〈 ステージ2☆11話 〉 自分の中の前提をかえる
絵を描くことを前提に選ぼうとした
イノチグラス
体感としてはピカいちの反応の
サポートカラーがあったのにも関わらず
理由をつけて
それを選ぼうとしなかった私
一番の体感があるものを選ぼうが
二番目のものであろうが
実のところ正解、不正解ではないが
私的には
わかっていて 思考的に
逃げた感じがしたから
あれ?と感じたのだ
私、なにを恐れてるの?
ありのままでいたいといったのは
私じゃないの?と。。。
☩
発達する眼鏡を考案した灰谷さんと
ある方の対談を動画でみたのだけど
その中に
「前提を変える」という話があった
とても大切なことだと感じた
前提があると
その前提で自分や他者、事象を
判断してしまうことがあると思う
もともと本来は
「前提なんかいらない」のだとは思うけど
自分を含め
人間なかなかそうはいかないものだ
ただ
意識的であっても、無意識であっても
前提があると進みやすいと感じるから
何かしら前提を持ち続けるのだと思う
ある程度の制限的な枠のような感じかな
時には必要かもしれないが
必要じゃない時もあると思う
例えになるかわからないけど
豊かな生活をするために働くって話が
あるとして
じゃぁ 豊かさって何?ってなった時
その豊かさの前提がかわると
働くことに求めるものが
違ってくるのだと思う
前提を変えることに共感するのは
私は前提にとらわれると
特に
身動きがとれなくなるタイプだから
前提というか、定義はあまり必要としない
だから今回
「絵を描く」という前提に
気付いた私は
その前提をとっぱらったのだ
☩
体って、とっても素直で
考え方や心で
すぐ変わるんだと思う
何か気付きがあって
自分の中の思考が変われば
カラダはすぐ反応する
そのひとつが
体の軸だったり
目の見え方だったりするんだと思う
「みる」はいろいろあって
目に映るものたけが「みる」じゃない
感じとったり
観察者することも含んだりする
見方が変わったら
見えるものものも変わり
思考も心にも変化を与える
生きてきて
失敗や経験くりかえしてきてるから
その経験に基づいて
人は思考や感情に支配されがちだ
それが体の細胞に刻まれてゆく
体が記憶をしてゆく
幼少期のトラウマ的なものが
なかなか抜けないのも
体がその時の感覚を記憶しているからだ
その記憶を
サポートカラーで変えることができたら
新しい人生初の一歩が
はじまるのかもしれないと思う
余談だが
わたしは
そーいうものをリセットするために
絵を描いてるのかもと時々思ったりもする
吐き出すというより
描いてる間に瞑想状態になり
表れるものはクリアになる
☩
何度も言うけれど
体って正直だ
今回
イノチグラスを作って
すごく感じた
体に聞きながら
メガネをつくってゆくから
カラダの反応は半端ない
つづく
いつも読んでくださりありがとうございます
今回は特に
抽象的な言葉になってしまったかも。
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