無職の社会不適合者がベルリンに行く話

割引あり

壁に描かれてる下手くそなストリートアートのような、ただの自己存在の顕示欲の発露としての文

※この記事は2024年3月末の情報です。

1、はじめに

みなさんどうも。
ADHD診断書持ち社会不適合極まってついに日本からはじき出された無職です。

過去作を読んでくれてる方は御存知の通り、鬱判定で仕事辞めて傷病手当もらいながら1年ちょいほど過ごして、
無職でいる間は童貞を卒業したり、アナルを開発したりして楽しんでいました。
こんな人間も生きることを許してくれる日本政府は優しいですね。

そんな無職ですが、現在ベルリンにいます。
今回はベルリン渡航生活の第0話として渡航までの流れを備忘録と、ベルリンへのワーホリを検討してる後続の若人宛にネットの海にクソ文章をひねり出しておこうと思います。

なので今回は比較的真面目な文章になるので、いつもの奇想天外体験記を期待した人は申し訳ございません。いや、今回も別ベクトルで奇想天外体験記ではあるので、ここまで読んだならそれはそれで楽しんでください。

2、海外逃亡理由

はじめに、なんでお前そんな状態で海外に渡航してんの?という一番聞かれるであろう疑問に答えていきます。

欲望の発散と、1年間の無職期間の経歴の穴を埋めるための大義名分です。

そもそも私は元来旅行好きであり、特に海外旅行が大好き人間でした。
高校時代に、アメリカでステイ先のトイレを詰まらせたホームステイ経験。コロナ直前の2020年春、現地通貨のタイバーツ当時1万円相当をスられ、挫けずシーメール(男性器のついたニューハーフ)の乳を揉んできた大学卒業旅行のベトナム、タイ。仕事をやめたあと、鬱で傷病手当もらいながらも渡航し、ベルリンの町中でうんこ漏らしたヨーロッパ縦断バックパッキング。
異国で生きるという困難さでケツに火をつけ、私の脚を動かす。そしてその脚で異国の空の下を歩き、出先の名も知らない食べ物を食べるという一連の行為の、私の脳内の認識を広げるような独特の快感。そして多数のトラブルに見舞われながらも、生きて帰り、話の笑いのネタにする。
私にとってはこの非日常への快楽への欲求は他に代えがたいものであり、アナルによるメスイキや、パンチを喰らって耳鳴りとともに脳震盪で視界がぼやけながらも、今なお立っている自分への自己陶酔などと同様の、強烈な快楽であり、いわば海外への一人旅は私にとって馬鹿みたいに金のかかった、チンポ以外で感じるオナニーと言っても過言ではありません。実際アナル開発でのオナニーも笑い話のネタによくしてますし、海外旅行は私の欲望を慰めるためのチンポと乳首とアナルに連なる、地球で自慰する第4のオナニーってわけです。

この欲望の発散が、空いた1年分の経歴の穴を覆い隠せるカモフラージュに利用できると考えました。
2年ほど履歴書に穴があっても「1年は海外渡航のためのお金の貯金と勉強、2年目は実際に渡航してました」というと説得力ありません?
26歳というまだ若いものの、大人であることから逃げられない年齢という立場と、1年間無職であるという失うもののなさによって、欲望の発散という理想と経歴の穴を埋めるための理由作りという現実が海外渡航という形で重なりました。
私の考えるに、海外で生活するために必要なのは能力とコネを持つ人間であるか、めんどくさいことより先に行動する底の抜けの馬鹿であること。お察しの通り私は後者です。
しかし、馬鹿にさえ成れれば欲望と経歴の二兎の実益を得られるかもしれないのであれば、私は望んでとことん馬鹿をやります。

おまけにこの渡航によって、嫌になって1年間逃げてきた日本での就職という行為からも逃げ続けられます。傷病手当で手に入れた日本円を元手に抱え込んで出国し、生活のためユーロに換金しドイツ国内に流す。もはや完全に売国奴です。

もちろん、傷病手当を中心にためたお金は大した額ではないので、できるだけ早く、お金を得るためにドイツ国内で働く必要があります。そうだとしても、一度日本の労働市場というフィールドを傷病という形でリタイアした私にとっては、新天地での就労というのは新しい可能性になり得ると考えたわけです。
それに、どうせ労働というクソに従事しないといけないのであれば、自分が望んで選んだ土地での方が自分に納得ができるでしょう。同じクソならマシなクソというわけです。

もう一つの理由として、日本社会への疲れがあります。
まず前提として、私は祖国の日本を愛してます。この文章を書いているのはベルリン滞在5日目ですが、すでに日本という国の生活のしやすさを身にしみて実感しています。
そもそも、1年無職を可能にしたのも、パスポートだけで事前ビザ申請なしで色んな国へいけるのも、日本に生まれたからという恩恵です。胸を張っていえますが、日本という国は素晴らしい国であり、海外を旅する事により強くそう思います。

しかし、よく言って変わった人、悪く言えば発達障害(ADHD)持ちの私は、他者からの奇人変人という扱いに少々息苦しさを感じていました。
一方で、海外での言葉の通じない現地民との接し方。それは前述の目と似たものではありますが、海外でのほうが、異邦人であるという前提の元に、相手が接してくれるため、私としては幾分かそちらの方が気が楽に感じました。
言葉の通じる場所で、同じ共同体の一部という前提の中での疎外感と、はじめから違うコミュニティに属する人間で、言葉も通じない場所での疎外感であれば、私は後者のほうがまだマシに感じたのです。

それならば行き着くところまで行ってやる。と。通信簿に小中9年間は落ち着きがない子だと書かれ続けたのであれば、本当の落ち着きの無さというのを見せてやると。教室の隅ではしゃぎまわってたガキは、海を渡ってはしゃぐ、図体だけ一回りでかくなったクソガキになりました。
普通であるということができない私は、自分が自分であるという現実から抜け出せないことを悟った私は、変な人間であるという自分を精一杯利用することを、普通であることを強要する社会に対して選択しました。

3、目的地指定

次に、ワーキングホリデーでの渡航先としてベルリンを選んだ理由です。
理由はいくつかに分かれますが簡単にまとめると。

・英語が通じやすい
・ワーキングホリデー制度がある
・今まで行った国や都市で一番バランスがよかった

この3つが大きな理由になります。

まず、英語が通じやすいということ。
前回のヨーロッパ縦断の際にはイタリア、スイス、ドイツ、オランダと行ったのですが、その中でもドイツのベルリンは基本的にはドイツ語ながらも、英語での意思疎通が可能だったという印象でした。
しかし問題点として、私は英語が喋れません。もちろんドイツ語もです。
正直言って現状とてもやばいです。
しかし、英語が通じる場所であれば多少の意思の疎通は可能ですし、英語で話す機会が増えれば、英会話の練習にもなります。そのため、英語が通じる場所というのは私にとって必須条件でした。

次に、ワーキングホリデー制度があるということ。ドイツの場合30歳未満の場合、ワーホリビザを取得してから1年間はドイツに滞在が許されるため、私もこれを利用してドイツに長期間滞在する予定です。

しかし、現状これが私にとって大きな問題になっています。

実は現状私はワーキングホリデービザを取得していません。つまり、現状私はビザなしで滞在してるので、ドイツ国内での扱いは実質ただの旅行者と同じわけです。
そのため、このままビザが取れないのなら3ヶ月で不法滞在扱いとなり、日本へ強制送還されます。しかも、ドイツ国内で就労の権利も持ってないので、現状お金が増えることもないです。
は?お前何やってんの?なんでワーホリビザ申請してからドイツ来てないの?ADHD特有の先延ばしの結果なの?というのが正論ティーなのですが、半分は正解ですがもう半分は仕方ない事情持ちになります。

私の場合、ドイツでのワーホリビザを取得する前に、まず住処を確保しました。
人によってはワーホリビザ取得後、直接渡航して、現地で当分はドミトリーなどの安宿で暮らして、家探しをするというルートを選ぶ人もいます。
このルートのメリットとして、直接家の内見ができることや、すでにビザを取得した状態で渡航できるという点がありますが、もちろん家が決まるまでは永遠に宿ぐらしになるため、金銭的にも大変ですし、家が決まるまではビザがあっても住所としては不定のため現在の私と同様に働くこともできません。それに、現地で賃貸を契約するとしても英語かドイツ語が喋れる前提になります。
しかも、私はオナニー大好き人間であり、常に人の目や、気配があるドミトリーだと良質なオナニーどころか、ぐっすり寝られないため、眠りも浅い自分には難しい選択肢でした。
帰る家とプライベートスペースがないというのはメンタル的にしんどいでしょうしね。

そのため、私は渡航先の賃貸を確定後、ビザを取得して渡航という流れを理想として、渡航前にMixB(https://ger.mixb.net/)というドイツの現地日本人との交流サイトを用いて家探しをしました。
余談ですが、このサイトでは賃貸の募集だけではなく、求人などもでており、エリアで検索ができるため、とても便利なサイトです。将来的にはベルリン在住の間の仕事もこれで探す予定です。

私の場合基本的に無事、問題なく賃貸が決まり、日本人の家主さんが借りてる部屋に間借りさせていただく形でのシェアハウスが決まりました。
私の住居は元共産国側の東側。ベルリンは一時期東西で分断されていた都合上、それぞれで街の雰囲気が少し違います。西側のほうが華やかではあるものの、東側も独特な雰囲気をもち、良い街です。

そして電車網としてはBの範囲に位置しているため、都心へのアクセスも容易になっています。


これは、ベルリンで電車を使う場合の範囲表であり、電車でどこの範囲内を移動するかで料金が決まるものになっています。

独断と偏見で東京に例えてこれを簡単に説明すると、Aの範囲は山手線内の、東京23区でも都心であり、ヨドバシカメラで言う「まあるい緑の山手線、真ん中通るは中央線♪」ってやつのベルリン版にあたります。
そしてBの範囲は世田谷区や練馬区や足立区などの、山手線外の住宅地というイメージに近いです。私が済むのもこの範囲内の東側(地図上右側)になります。
最後にCの範囲。東京でいう23区外の市になります。つまり、東京だと東京の名を語るだけの別物ですね。地図を見て分かる通り、ベルリンのCの範囲に飛行場があり、東京の羽田空港周りもなんもないのと同じだと思ってくれればいいと思います。東京でも奥多摩とかだと大自然が広がってるのと同様、ベルリンでもこの辺はマジで草原が広がってたりします。

つまり私は、東京の23区の世田谷区民であるのと同等のステータスを、ベルリンにまで維持し、持ち込むことに実質成功したのです。
この条件下で、光熱費も併せてシェアハウスで月約700ユーロの条件に決まりました。
円安もありますが、東京都23区内で光熱費も併せて家賃10万と考えれば、決して悪くない条件というのが伝わるのではないでしょうか。
おまけに、家主は日本人の方だったので、生活するうえでのコミュニケーションやトラブルの解決に協力していただけるというのも私にとっては大きな魅力でした。

賃貸が決まり、家主さんといつまでに入居してほしいかという交渉が済んだため、次はビザの取得に当時の私は移りました。しかしここが大きなトラップになっていたのです。

もし日本のドイツ大使館でワーホリビザを申請する場合、まずネットで事前予約が必要になります。私の場合は天下の世田谷区民だったため、東京のドイツ大使館で申請をしようとしていたのですが、これがまーーーーーーーったく予約が取れない。
ドイツ大使館のサイトを確認すると常に予約でいっぱいの状態が維持されています。
聞いた話だと、毎週金曜日の朝8時に、6週間先の予約が開放されるらしく、されたとしても、枠は1日間分の5,6枠のみであり、基本的にはその狭き門をライバルたちと競うか、狂ったようにページを更新して、キャンセル枠に滑り込むかとなるわけです。

しかも、ワーキングホリデービザの取得のためにはパスポートを始めとした諸々の必要書類が必要になります。(詳しくは日本のドイツ大使館をみてね)

https://japan.diplo.de/ja-ja/service/wh/957786

その条件の一つに、航空券予約の証明書が存在します。
つまり、大使館の予約がとれたら、申請に向かうまでの間に渡航の日にちを決め、飛行機のチケットを取得する必要があるのです。

私の場合、すでに賃貸が決まっており、先に渡航日がほぼ決まっている状態だったため、日本でのワーホリビザ申請がすでに間に合わず、ドイツ国内でのワーホリビザ申請へ切り替えることになりました。

なので、もし日本でビザの申請と賃貸の確保を同時に済ましてから出国したい場合、理想的な動きとしては

賃貸とビザ申請のネット予約を並行して進める→6週間後のビザ申請の予約をとる→6週間の間にビザ取得後から住める契約の賃貸を確保する→飛行機のチケットをとる→ビザ申請→出国

が、理想的なスケジュールですが・・・まあほぼほぼ無理なんじゃないかなと思います。

あとは可能性として、trip.comなどで飛行機を予約する場合、保険という形で余分なお金を払えば飛行機のキャンセル料金が免除されるサービスがあるため、それを利用して

ビザ申請予約→飛行機予約→ビザ申請完了→飛行機キャンセル→賃貸契約→再度飛行機を予約して出国

という流れは可能かもしれません。手続き上問題ないのかは私も知りませんが。
また、ワーホリビザは取得してから1年間の滞在が許されているものになるので、ビザの取得後、賃貸契約に時間を取られてしまう場合、実際にドイツに滞在できる時間が削られてしまうという、もったいないことにもなってしまいます。

では、私と同様にベルリンでビザ申請をする場合になると、日本のドイツ大使館と同様にネット予約が必要になるのですが、こちらもまーーーーったく予約が取れません。

予約枠は日本の大使館と比べると多くあるらしいのですが、こちらも常に予約でいっぱいです。

しかも日本でのワーホリビザ申請は大使館のみで解決するのですが、現地で申請する場合は住民登録の申請後、その書類をもって移民局へワーホリビザ申請となります。
で、この住民登録の申請ですが、こちらもネット予約が基本取れません。
本来はドイツ入国後14日以内に申請しないといけないのですが、正直絶対無理です。
私の場合ドイツ入国前に予約できたものの、予約日は入国から1ヶ月後の4月末予定です。
そう、ベルリンでビザを取得するためには2つの予約をクリアするという、原付きの右折もびっくりの二段階予約のベルリンの壁が存在するのである。

現状、ビザの予約は取れる気配がまだないため(取れるときは急に取れるようなのだが)、毎日予約フォームの確認と、ビザ申請先である移民局にメッセージを送って返信待ちの状態です。進捗がなければ返事が来るまでさらに追いメッセの予定です。

さらに、もちろんですが現地でビザ申請する場合は英語かドイツ語になるので、前述した通り私はどちらも喋れない私には難易度最大です。
また、ビザが取れなければ働くこともできないため収入も得られないので、ビザの取得までは貯金とのにらめっこ耐久チキンレースが絶賛開催中になります。

そして一番の問題は、もしこのままビザが取れない場合。3ヶ月で不法滞在扱いになり、強制送還させられる可能性です。
これに関しては正直なんとも言えないのですが、現状私は移民局に直接メッセージを送っているため、ビザ取得のために努力をしているという扱いになり、私が悪いのではなく、ビザが取得できない移民局側に問題があるという判定にすることができるそうです。
ボールはすでに向こう側にあると、全責任を押し付けるわけですね。
つまり、交渉次第にはなるでしょうが、3ヶ月経ってビザが取得できていなくとも、引き続き滞在自体はできるようです。多分。
少なくとも、交渉材料としてそういったメッセージを送っていることを証明するために、PDFやスクリーンショットなどで証拠の保存は徹底しておきます。
まあもし3ヶ月後強制送還されてたらそれはそれでnoteにするので皆さん笑ってください。

ですが、現地申請の良いこともあります。
ワーホリビザでのドイツ滞在は、ビザ取得後から1年間のみになるため、ビザ無しでいられる期間の3ヶ月+ワーホリビザ取得後の1年で、うまくやれば最大で1年3ヶ月の期間をドイツで過ごす権利を得ることができるのです。

最後の理由として、ドイツという国のベルリンという都市のバランスに関してです。
これはシンプルに言えば「好きな都市と、実際に住みやすい都市とは別」という話です。
過去に行った都市で特に気に入ったのはナポリやバンコク、それに今回の渡航のついでに寄ったイスタンブールも非常に良い都市でした。私の傾向として、ノリの良い南国気質的な都市で、ご飯が美味しいながらも、治安や都市がごちゃっとしている都市が好きなようです。
しかし、こういった場に実際に住むとなると、役所は適当な場合が多かったり、政治が不安定であったり、治安や物価の問題がつきまといます。
特に、個人的には重大な、トイレの問題もあります。バンコクやイスタンブールはトイレに直接紙を流せません。
日本人の感覚では意外なことに、どこでもトイレに直接紙を流せる国はそう多くはないのです。トイレットペーパーの質や、下水道の質の問題でトイレに紙を流すと詰まってしまうという国は多く、横に備え付けられているゴミ箱などにケツを拭いた紙を捨てます。旅行する分では我慢できますが、実際に生活するうえでは私としては耐えられませんでした。
また、ヨーロッパなどではその国の治安の悪さに比例して、公衆トイレが有料になり、使用料も上がります。イタリアなどではトイレに入るだけで1~2ユーロとられることもザラです。これはその国の治安を見る一つの指標にもなります。

一方で、ベルリンという都市は行政がしっかりしており、移民が多いながらもちゃんと管理されています。東アジア系の移民も中国系ばかりというわけではないようで、アジア系の料理店の数を眺めるに、日本人や韓国人をはじめとしたタイ、ベトナム人も多く住んでいるようで、移住しやすいと感じました。
それでいて、全体的に治安が良く、美術館や博物館が多いながらも、東西での街の雰囲気の差や、クラブ文化や、パンク・ファッション文化、FKK(ドイツのえっちなお店)などの砕けた文化も持っており、その管理されたルール内でのバランスが独特で絶妙という印象を前回の旅行の際に実感しました。

それに、水回りに関しても、水道水は硬水ですが、直接飲むことができますし、トイレに関してもトイレットペーパーは直接トイレに流すことができ、公衆トイレも小のみであれば無料で済ませられるところも多く存在します。可能であれば、世界平和ツールのウォシュレットもほしいところですが、硬水のカルキのせいなどでこちらでは難しいようで、断念です。
物価に関しても、円安のせいで日本円をユーロに両替したものとして考えるとどうしても高く感じてしまいますが、実際に現地で働いて、その収入を元に生活することを考えた際の物価。つまり、収入と出費のバランスと、物の価値と値段のバランスを考えた際も、生活が十分可能であり、日本人の感覚と大きく乖離してないという印象でした。
つまり、ベルリンという都市を選んだのは、制度、治安、移民、物価、雰囲気、町並みなどの、住みやすさとしての好みのバランスが、過去行った都市の中で自分にとって一番ちょうどいいと実感したのが理由になります。


(先日の最寄りのスパートのレシート、ブロッコリー1束1.5ユーロとスパゲッティ0.8ユーロなど、ベルリンでの外食は高価だが、自炊する場合は品物を選べばとても安く抑えられる)

4、引っ越しと初手税関・・・?


こちらに関しては詳細はまた別のnoteで記載しようと思いますが、簡単に要約すると、現在、日本から送った私の荷物はドイツの税関に囚われています。

主な理由に関しては、こちらの記載通り
https://japan.diplo.de/ja-ja/service/post/2208200


の、条件に引っかかったと思われます。
そう、引っ越しの郵送物の中身はゲーミングデスクトップPCセットなのでどう考えても700ユーロ以上の内容物でひっかかりました。
そりゃまあドイツ税関も30kg+15kgのクソデカ段ボール2つが届いたら止めますよね。
ちなみに、私はこのルールを税関に止められてから知りました。素直に「自分のものなのに引っ越しに税金いちいちかかるの!?」という思いです。

日本郵便の荷物の追跡ではこの状態


になってると、税関に引っかかってるということになっているようです。

前回の東京都内の家を引き払った後、渡航前に半月ほど実家に帰っていた私は、この状態になっているのを確認し、ルームメイトに連絡を取った末に税関行きが発覚しました。
つまり、ベルリン到着後の最初の私の任務は言葉の通じない税関からお金を払って荷物を回収するということが確定しました。しかもいくらかかるかは現状不明です。
ワーホリビザの取得条件に2000ユーロ以上の貯蓄とあるので、ビザ無しで現在働いて収入が得られない以上、ここでかかる額によってはすでにドイツでの滞在自体が詰む可能性もあります。

あれ?もしかしてもうすでに俺の状況って終わってる?

こちらは話の収拾がつき次第、詳細を別途報告させていただきます。

5、おわりに


以上がひとまずの生存報告と、現在山積みの課題であり、脳停止でここまで来てしまった自分が対峙しないといけないハードルの内容になります。

これからのことがどうなるかなんて何もわからないし、これらのトラブルを抱えてまで渡航する意味なんてあるのかはわかりませんが、私はそれらすべての経験を欲してます。
それは私が変人として、普通の人が普通にしていることができないからこそ、社会に対しての反発として、他の人とは違う普通ではないことをしようとしています。
しかし、それでさえもワーキングホリデー制度という、国で定められた枠とルールを利用しているだけに過ぎず、社会というのは私という存在を抑圧しながらも、そこからの抜け道を用意してくれています。
所詮私が他の人と違うことをしようとしても、そんなものはすでに他の誰かが想定し、すでに実践した、ありきたりな選択肢の一つに過ぎないはずです。

そんな社会を、私は反抗期の子供が親へ向ける感情のような反発心を持って、中指を立てて生きることを選びました。
きっと自分の反発心までもが国や社会の想定内でしょう。
それは反抗期のガキがせいぜい1,2日家出した挙げ句、のこのこと帰宅するのと同様に、無意味なものだと思います。しかし私の選択肢にはこの選択しかありませんでした。ならば私は自分のその選択を愛したいです。

これからここで起こる数々のトラブルや困難もきっと、他人と違うことをやってやるという意思と、渡航する選択を取らなければ経験することはできなかったはずです。それであるならば、せっかく自分で自分自身の行く末を定めたのだから、苦悩を含めたすべての出来事を笑えるようにしたいです。
その果てに異国での日々という、私が求めていた非日常が日常へと堕ちたときに、自分が何を想うか。私はそれに興味があります。

以下、乞食フィールド

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