ディーパ・アーナパーラ「ブート・バザールの少年探偵」
インドのスラムで起きた、子供の失踪事件。
スラムが題材の作品は「スラムドッグミリオネア」、小説だと「三つ編み」を読んだけど、それらが航空写真としたらこっちはハンディカメラで潜入したよう。
子供の視点まで姿勢をさげて、風景を細かく切り取る。
インド出身で貧困層の取材をしていたジャーナリストでもある作者が描く、スラムの少女が見つめる手のひらの描写はこんなだ。
「指のまわりにぐるっとできたマメやタコを見た。水くみで運んだバケツの数、切ったナスの数、洗ったシャツの数のぜんぶの記録だ。手のひらには、料理中に焼けた黒いすじもある。それらは手相に刻まれた生命線。彼女の未来を決定しているのだ」
手相が占いに使われるのは、ひとりひとり違うから。
それぞれの未来が刻まれているとされる手相が、日々の労働で覆われている。運命が生活苦に負けている。
警察に訴えても、失踪した子供の訴えも相手にされず、逆に家を重機で壊すと脅された。スラム住人は相手にしないのが普通。なけなしの金を賄賂として渡せば、気まぐれで仕事してくれる可能性がゼロではない。
警察がそんなだから、大人や先生も外出を禁止するだけで動けない。
「インドでは毎日180人もの子供が行方不明になる」
帯にあるショッキングな言葉だ。
動かないインドの警察にかわって、テレビドラマの警察に憧れる少年ジャイは、友だちのファイズとパリを巻き込んで捜査を始める。
子供の無邪気さで、身近に事件が起きても恐怖より好奇心が勝る。ギャングとつながってそうな生徒に勇気を出して聞いたり、犬をつれて商店街を歩いたり。
少年探偵団が大人を出し抜いて活躍する「なんてすごい子たちだ!」パターンには・・・なかなかならない!
支え合って生きる人々の中に誘拐犯が潜んでいるのか、家出なのか、ジン(霊)のしわざなのか。
町の空はスモッグに覆われ、続けてもうひとりの子供が行方不明になる。
主人公の少年が元気に走り回るから明るい印象だけど、子供たちは連続失踪事件に警察が動かないことが、そこまで異常だと理解していない。元気だけどかわいそう。ちゃんと働く警察はテレビの中の警察だ。
あらすじはミステリー小説だけど、細かく書かれるのは生活。探偵少年たちはお茶屋で働いたり、校庭でクリケットで遊んだり、外国人には耳慣れないスラングを使ったりする。
それが何か、わからなくてもいい。
「リキシャ」と「Eリキシャ」の違いとか、わからなくてもいい。わからないものがあふれる中をかきわけて読んでいくのが、インドを見て回ってる感がある。
「インドでは毎日180人もの子供が行方不明になる」
作者は、データを知って終わりじゃなくて、数字の向こうにその数だけ生活があることを伝えるため小説に取り掛かった。
真実を伝えるために架空の少年たちを生み出し、虚構をつかった。
書かないといられなかった理由まで含めて筋の通った一冊は、小説デビュー作でエドガー賞を受賞した。