西部の「空気読み」。アカデミー監督賞「パワー・オブ・ザ・ドッグ」原作冒頭は今年ベスト級!
村上春樹原作の「ドライブマイカー」がアカデミー賞の話題を独占したように日本では報道されたけど、監督賞を受賞し台風の目となったのが「パワー・オブ・ザ・ドッグ」だ。
この原作が「事件」だ。
ゲイの作家が牧場ですごした実体験がもとになっていて、映画化されるまで埋もれていた小説で、発刊年1967年から50年たって、初めて日本語訳された。
舞台は今から100年ほど前のモンタナ州。西部劇の世界。ほこりまみれの世界で、ひげをたくわえて馬を操り、獲物を解体して肉と毛皮にする「男らしさ」が美徳の世界。
この世界を描くのに省かれてきた、内向的なタイプの男や、荒っぽい男たちが苦手な女性、迫害された先住民たちの視点をまじえて描かれる。
「女性視点で」
「見すごされてきた弱者の視点で」
流行語みたいによく見るフレーズだけど、50年以上前に評価されず、原作そのものが本当に無いものにされ、のちに書かれた作者渾身の男性同士のラブ・ストーリーは、出版の見込みすら立たず、絶望した作者がビリビリに破いて捨てたとか。
とはいえ、これは50年前に読んだら理解できなかった。
西部劇って馬と決闘をみるやつでしょ?乾いた草が転がってるんでしょ?ダンディな男を見るもので、なんで、風呂に入らないカウボーイの体臭に文句を言えず我慢する女性が出てくるのか、意図がわからなかった。
それが、時代が追いついて、狭い世界の価値観になじめなくて排除された人たちの話だな、とわかる。現代にスマホを使えない人がいるように、当時でも動物や酒が苦手な人はいる。
物語は、フィルという男が牛の去勢をするところから始まる。「インディアンの奴らは自分が時代遅れなのを自覚すべき」と思っているのに、最近の車や機関車がきらいな40歳。
料理人が魚をおろすように手際よく、睾丸を火に投げ入れて冗談を飛ばす。
フィルにはリーダーシップがあり、自然や音楽への造詣もあるが、怒ったときはストレートに怒りをぶつけるので、周囲が緊張してしまう。
「頼りがいのある兄貴」フィルの周囲には、おとなしい弟ジョージ。ジョージに嫁いだ未亡人のローズ、連れ子のピーターをくわえて、
「荒野に放り出されたら生きていけないお人よし」
たちと共同生活が始まる。
カウボーイハットとリーバイスで馬を乗りこなす、絵になるフィルの陰で、ローズは彼の機嫌を損ねないようにオドオドし、常に緊張している。
だけど、女性のための物語というわけではない。
日本の男が読んでもわかる。不機嫌そうな上司に舌打ちされたり、体育会系の人と飲んでる感じだ。思い当たるふしがある。アメリカには空気を読む文化がないと聞いたけど、これは西部版「空気読み」だ。
ローズの息子ピーターも、会話もしないで亡き父が残した本をずっと読んで友達もできない。
心をとざしている息子も通じ合わず、ローズは隠れて酒を飲むようになる。そうなると、周りはうすうす気づいても本人には言わない。美しい自然の中で、気が付いたら母子とも孤立している。
酒に逃げるローズを見て、フィルは
「あの女はこの世界では生きていけない」
としか思えない。
動物を狩ることや人に指示することが「男らしさ」であって、困った人に手をさしのべる「男らしさ」はないのだ。
フィルはローズの心の支えである息子ピーターを外に誘う。
ずっと何を考えているかわからない、心を閉ざしていたピーターが、本物のカウボーイに馬に乗せてもらう体験をする。
引きこもり少年を、荒っぽいおじさんが強引に外に出して乗馬体験に連れて行ったら意外に心を開いてしまった。
息子が天敵ともいえるフィルになついて、「西部の男の倫理」に染まってしまったら、完全に孤立するローズの生きがいはなくなり、破滅していくのは見えている。
最後にピーター少年が、ずっと苦しんでいる母親ローズか、新しい世界を見せてくれた叔父フィルか、いっぽうを選び、もう片方を断ち切る。
なぜ。どんな手段で。それがずっと前から伏線としてあったことに気づく。
この小説は「去勢」で始まるのがすごくいい。
「不要なオス性の排除」を冒頭から突きつけられて、これから始める話はこういうことだ、とテーマを示しているようにも思える。タイトルは聖書の一節だけど無学ゆえにピンとこなかったので、邦題「去勢」でもいいくらい。