西高野街道を歩く② ~仁徳天皇陵から関茶屋まで~
昨日のこちらの記事の続きになります。
こちらの記事が総集編のようになっており、その第二弾。
今回は仁徳天皇陵(大仙古墳)から堺市東区にある関茶屋エリアまでです。
前回の仁徳天皇陵、ここから今回はスタート。
西高野街道の分岐したところまで戻らず、少しショートカットしました。その途中にあるのがJR百舌鳥駅。
この道は本来西高野街道ではありません。ショートカットして国道310号線で西高野街道と合流します。
国道310号線に出てきました、ここから再び西高野街道沿いに歩きます。
梅北交差点の一本手前。ここを左に曲がり、国道から離れていきます。
道路に色がついている道なりに歩いていきました。
この辺りから道の端に地蔵堂の姿が見られるようになります。
この地蔵堂は、説明が書いている紙を自由に貰えるようです。
一枚もらいました。これは堂の中に入っている複数の地蔵の説明です。
この辺りは古い建物も残っていました。昔ながらの街道の雰囲気。
こちらは西高野街道沿いに面している御廟表塚古墳です。
さらに街道を歩いていくと。
急に鉄筋の建物が見えてきました。実は中百舌鳥駅のすぐそばまで来ています。
中百舌鳥駅から水路の横を通り。
いったん、広い道国道310号線に出てきました。目の前にあるのは大阪府立大学中百舌鳥キャンパス。
大阪府立大学白鷺門が見えるとまた国道から離れていきます。
このまま西高野街道を進んでいくと。
隣に白鷺公園が見えてきました。
この公園にはトイレがありますが、この先にはトイレがありません。つまりここで用を済ませておく必要があります。
白鷺公園を過ぎて、泉北高速鉄道の高架をくぐりました。
この辺りからは古い街道の雰囲気が続き、地蔵堂の姿が次々とみられました。
町内会ごと?にいろんな地蔵がいますが、こちらは薬師如来とありますね。
こちらは中地蔵と書いてあります。
さらにこちらは家の横にありました。
こうしていろんな地蔵を見ながら古い街道沿いを歩いていくと。
こちらの建物は地蔵堂がふたつ並んでいました。
ちなみこの辺りは関茶屋と呼ばれているところで、堺市の中でも古い雰囲気が残っているところのようです。現在は住宅地ですが「茶屋」という地名から昔は茶屋があったのでしょうね。
今回はここでいったん終了。次回はまた明日以降に。
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