西高野街道を歩く① ~堺大小路から仁徳天皇陵まで~
本日Yahooにて下記の記事を書きました。
これは、西高野街道というルートを堺から河内長野までの距離を歩いたものを記事にしたのですが、Yahooの場合、シリーズ化できないため非常に長い距離の総集編のようになりました。そこでnoteでは、これを5回に分けて少し詳しく写真を添えて紹介したいと思います。
こちらのイメージで書いていきたいと思います。今回は一回目ということでスタート地点の堺市の中心から仁徳天皇陵まで。
河内長野から堺に行ったので最初に堺東駅で下車します。面倒でしたが、いったんここから西の阪堺電車が走っている道まで向かう必要がありました。
途中でみつけたもの、大きな地蔵が安置していました。
路面電車になっている阪堺電車の前に来ました。ここから西高野街道がスタート。
この通りは紀州街道のようです。それにしても堺は都会ですね。いつも生息している河内長野や富田林とは大違い。
こちらの晴明辻がスタート地点です。この晴明は陰陽道の安倍晴明ゆかりの地。
大小路の説明版がありました。
ここが西高野街道の起点です。同時に竹内街道の起点でもありました。
メインのストリートを東に向かって歩きました。
こちらはベトナムの領事館だそうです。
市役所など堺市の官庁街を通りすぎるとようやく細い道が見えてきました。
この道が河内長野まで続いている西高野街道と奈良方面につながる竹内街道。
昔ながらの道に来ると、このような地蔵堂の姿がいくつも見られました。
さてここで道が分岐しています。
このように西高野街道と竹内(竹之内)街道の分岐点。今回は右に向かって歩きます。
このように説明書きがあります。西高野街道は河内長野を経由して最終的に高野山に向かう道。
途中で鉄道の上を通ります。
陸橋ですが西高野街道ということのようです。
陸橋を越えると仁徳天皇陵(大仙古墳)。世界遺産ですね。
古墳沿いに歩いていきます。左側の広い道は国道310号線で、この後河内長野まで西高野街道と並行して続ています。
これは仁徳天皇陵ではなく、それに付随している古墳とのこと。
茶山古墳と書いてありました。
ミユキ御苑というのはよくわかりませんが、ここでいったん西高野街道から離れて仁徳天皇陵方向に向かいます。
世界最大級の古墳なので、一周するのに3キロも歩かないといけないという。本当に大きいですね。
ということで正面の拝所まで来ました。
宮内庁が管轄していることを示す看板。
仁徳天皇陵は3重の濠で囲まれていますが、いちばん外側の濠の先に行けるのは正面の拝所だけという。
ということで仁徳天皇陵まで来ました。この続きは明日以降に書きます。
#堺東駅
#大小路
#晴明辻跡
#仁徳天皇陵
#旅のフォトアルバム
#竹内街道
#西高野街道
#この街がすき
#yahooで書けないことをnoteで書く
#堺市堺区
#南河内
#奥河内