小さな屋外展覧会と休校した幼稚園
先日からお伝えしている三日市町を散策したときのシリーズ。今回は三日市宿の跡地だったところを歩いたあと、高野街道をさらに進んでみました。
やがて陸橋に差し掛かります。この陸橋にも「高野街道三日市宿」と書いてありますね。
ところでこの陸橋、単なる陸橋ではありません。アートな陸橋でした。
このように絵が展示していました。屋外展覧会と言いましょうか? そんな感じ。小学生が描いたもののようです。
恐らく授業の一環として描いたのでしょう。しかし大人と違い、子供の目線から見た絵は結構本質をついているような気がして侮れません。そしてこの絵をかいた子供の正体もしっかり描いていました。
平成22年度ということは11年前。ここで実際に描いた当時の児童の年齢ひとりひとりは解りませんが、平均10歳と考えたとして、ちょうど成人を迎えていることになります。その中で何人が現在もこの河内長野に在住しているのだろうか? あるいはこの中に本当にアートの道に進んだ人がいるかどうかなど、いろいろと想像してしまいました。
ちなみに下の三日市小学校の公式ページを見て驚いたのですが、三日市小学校の歴史を見ると本当に古く、江戸時代中期の寺子屋が源流とか。
明治5年に郷学校として設立されてから、上田小学校(高等小学校、裁縫学校、国民学校)などを経て昭和29年に河内長野市立三日市小学校になりました。
さらに昭和47年4月には旧三日市中学校後に移転して現在に至るそうです。
陸橋を渡ると三日市幼稚園がありました。しかしここは今年になって休園しているそうです。
実はこれを意識して散歩していたわけではありません。でも河内長野市の広報誌にそのあたりのことが書いてあるのを思い出します。あとで確認しました。
すると67年間続いた三日市幼稚園が休園することになったという記事がありました。6人が卒園して終わったとのこと。地域によって過疎化とか進んでいるのでしょうか? まだここに来て半年たっていないのでそこまでは解っていません。
ところでもう一つ気になるものを発見しました。三日市小学校跡地という石碑。なるほど昭和47年まではここに小学校があったんですね。
最後に今回紹介したあたりと、現在の小学校の位置関係を地図で確認しましょう。
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