鴨習太(かもならいた)神社
南河内郡河南町にある鴨習太神社を紹介しましょう。
こちらが地図です。近鉄富田林駅から金剛バスに乗り神山バス停で下車すると近いです。道の駅かなんや寛弘寺古墳公園がすぐ近くです。
さて神社の入口に来ました。
丘の上にあるようで坂道を登っていきます。
坂を上れば境内に。滑り台がありますね。
この位置からだと右側に本殿があります。
本殿の他、境内末社の姿も見えます。
登ってきた方向と別の方向には階段がありました。
こちらが拝殿です。つぎに鴨習太神社の由緒について引用してみましょう。
鴨習太神社(かもならいたじんじゃ)
【所在】大阪府南河内郡河南町大字神山五九五番地
【祭神】饒速日尊(にぎはやひのみこと)、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)(萬治三年十一月相殿合祀)※万治3年は1660年
【境内末社】一言主神社(祭神 八重事代主神:やえことしろぬしのかみ)
神明神社(祭神 天照大神:あまてらすのおおかみ)
御魂神社(祭神 八百萬神:やおろずのかみ)
琴平神社(祭神 大物主大神:おおものぬしのおおかみ)
聖天社(祭神 大聖歓喜自在天:だいしょうかんきじざいてん)
【祭祀】歳旦祭一月二日
秋季大祭十月第三日曜日(もと十月十八日)
【由緒】
神社の創建年代は不明であるが、延長五年(九二七年)に撰上された「延喜式」<神名帳>に河内國石川郡の式内社九座とともに記されている由緒ある右社である。
神社の所在地名が示すように[かみのやしろ]の村として、神社を中心に古い時代からひらけてきた。
古代においては神社と部族の関係は密接であって神を中心として部族が構成されていたからで古い由緒ある神社のあるところはその神を奉斎していた
部族の移住地であった。
この地は物部氏の勢力圏であり、その祖先神として饒速日尊を祀ったとおもわれる。
拝殿の奥に本殿が見えます。ところで由緒とは別に神社名に「鴨」の文字があることとから賀茂氏(かもうじ)との関係があるのではとの情報もあります。
拝殿の隙間から本殿を見ました。
古い写真がありますが、これはそれほど古くはなく平成十七年十二月に社殿改修の落成を記念したもの。
「神宿る 緑の森の 神山は 末代茂る 実なるぞや」
の歌が書かれています。以下引用文です。
神山は地の通り神聖な土地として、鴨習太神社が建てられた。天照地照彦火明櫛玉にぎ速命(あまてらすじてらすひこ ほあかりくしたまにぎはやひのみこと:饒速日尊)及び高皇座霊尊(たかみむすびのみこと)を祀ったものである。
延喜七年(西暦907年)よりは古いものと思われる。中世以来、神仏習合によって真言宗阿順堂を神宮寺としていたようである。境内に摂社として神明社(神明神社)、御魂社(御魂神社)、琴平社(琴平神社)を祀っている。社殿の規模はさして大きくはないが、唐破風尽き入り母屋造りで、全体が仏堂建築の様式をなしているが、空間に埋め込んだ精巧な彫刻は神社様式である。
昔の人達は、こうした神社を、村の守り神として崇拝し、五穀の豊作を願い、感謝し、旬、旬には五穀をお供えし祀ったものと思われる。祀られている神の名からして天と地、即ち自然を崇め、天地異変は神のなす業と恐れてきたのではないだろうか。月日を神とも思い崇拝したものと思われる。科学が進んだ現在、太陽や月を神として、拝む人は少なくなってきているかもしれない。しかし、自然の摂理宇宙の不思議さは計り知れないものである。地球温暖化が叫ばれている今日、自然の恩恵、不思議、怖さを謙虚に受け止め、先祖が崇拝した神の目標(めどう)として造られた物を、大切にし、後世に引き継いで行かねばならないと思われます。
境内末社です。こちらは神明宮と書かれていますから神明神社で天照大神
が祭神のようです。
こちらは小さい堂ですが八百萬神と書いてあるので御魂神社で、八百萬神を祭神として祀っているようです。
こちらは金刀比羅宮とあるので、琴平神社で大物主大神を祭神としているのでしょう。
こちらはドアが開いていて、奥に狛犬の姿が見えます。
こちらは聖天宮とあるので聖天社で大聖歓喜自在天を祭神としているようです。ヒンドゥ由来の仏教系の神のようです。
あとひとつ、一言主神社がどこかにあると思われますが、見つけられませんでした。
後で調べたら、一言主神社は階段の途中にあったようです。画像でいうとのあたりの死角になっているあたり。
ということで鴨習太神社を紹介しました。南河内郡河南町にある由緒ある神社であるいう印象を強く受けました。
#この街がすき
#旅のフォトアルバム
#鴨習太神社
#饒速日尊
#高皇産霊尊
#物部氏
#加茂氏
#神山
#南河内郡河南町
#南河内
#奥河内
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?