二つ名なんか無くたって、貴方はずっとヒーローだ
ああ、いない……大好きなあの人が、いつもの場所にいない。
2021年1月1日。正月恒例・ニューイヤー駅伝のスタートリストに、トヨタ自動車九州 陸上競技部 主将、今井正人選手の名前は並んでいなかった。
別にレースひとつ走らないだけ。引退宣言したわけでもない、けれど、私にとってはそれくらいのショックで、ついついテレビの電源も切ってしまった。華々しい正月の風物詩に「いつもの人」がひとり欠けただけで、こんなに寂しくなるなんて、我ながら驚き。
昨年の実績から考えたらきっと、このスタートリストは順当なんだろう。今井さんが2020年に出場したレースはたったひとつ、ちょうど1年前のニューイヤー駅伝だけ。4月頃から左脚の不調でうまく練習ができなかったようで、記録会(自己記録の更新・タイムの算出を目的とするレース)にも出ていない。
36歳。トヨタ九州のチーム内で、80年代生まれはもう今井さんひとりだ。(なんなら21世紀生まれの選手もいる)実業団の現役長距離選手としては高齢の部類。賛否両論あるのかもしれないけど、30代半ばにしてなお高みを目指して走り続ける姿が、私は大好きだ。
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福島県小高町(南相馬市じゃないから!)出身の今井さんは、隣町の原町高校で本格的に陸上競技を始め、順天堂大学へ進学。2007年、箱根駅伝第5区で往路優勝を決め、あの異名を全国に轟かせた。
「山の神」である。
《今、山の神、ここに降臨! その名は今井正人!》
この台詞を叫んだのは日本テレビアナウンサー・河村亮さんだが、それは更に、当時日体大の北村聡選手(現・日立製作所 監督)が大会前に語った「5区には(山の)神がいる。今井さんと勝負がしたい」という台詞に由来するという。(2日放送の箱根駅伝中継でもCM前の名場面集で一瞬写って歓喜した。日テレ公式YouTubeでも1:40辺りで見れる)
私、当時20歳。帰省中の実家のコタツで「浜通り出身の選手がなんかすごい」という感想しか持っておらず、その後10年以上経ってもファンであり続けるとは思わなかった。
本格的に今井さんを応援するようになったのは社会人になってから。仕事の関係で陸上競技に携わるようになったからだ。陸上ド素人の私は、周囲の人達から、今井さんの記録がいかに素晴らしいものだったか、いかに将来を期待されているかを聞かされて、「そんなにすごかったんだ!」と無知を恥じる一方、地元が近い(駅4つ、車なら40分)というだけでどこか誇らしくなっていた。
今井さんは、本格的にマラソンを始めても、すぐに芽が出るわけじゃなかった。駅伝で結果を残せたのは上り坂に強かったからで、平地での速さは人並み。何度も何度も世界の切符を目前にして、あと一歩及ばなかった。本当に、本っ当ーーーーっに、あと一歩だったのだ。
でも逆境に負ける今井さんじゃあない。涙も憚らないほどの悔しさを越えて、経験を積んだ2015年。当時日本歴代6位となる2時間07分39秒を記録。ついに世界大会の出場を決めた。
来た! 今井さんの時代がやっと来た! 8月の北京大会に向けて、メディアは「あの初代・山の神が……」と期待を寄せた。
※この頃の山の神といえば、青山学院大・神野大地選手(現・セルソース 所属)が3代目と呼ばれており、今井さんのことは元祖とか初代とか呼ぶようになっていた。ちなみに2代目は東洋大・柏原竜二選手(現・富士通 企業スポーツ推進室 所属)
大好きな今井さんが、世界で活躍する姿が見られる! 心躍らせたのは私だけじゃなかったはずだ。
でも。
開催直前に目にしたのは、予想外の知らせ。
髄膜炎罹患による入院、欠場。
もう、素人の私なんかが我が事のように悔しかったのだから、本人はどれほど辛かったろう。想像もつかないけど、身を割かれる思いだったに違いない。
とはいえ、髄膜炎という病気は、年間発症数こそ少ないものの、致死率は19パーセントと比較的高く、決して油断ならない病。合宿中の痛みだって尋常じゃなかったはずだ。世界の舞台に立てないことはもちろん悔しいけれど、それより先に、生きのびて元気を取り戻してくれることを願わねばならない。
いちファンの私にできるのは、欠場に落胆しないこと、変わらずに応援し続けることだけだった。
願い届いて、いや、それすらなくとも自らの力で、今井さんは、その年のうちにトップレベルの世界に戻ってきた。
11月、熊本甲佐で復帰、快走。日本人では旭化成の茂木圭次郎選手、村山謙太選手に次ぐ好成績だった。(国際部門合わせても5番目)
病み上がりなんて言わせない、十分な結果。命を落としかねない状況から、再び1分1秒を争う世界に戻ってきたという、そのことだけで大大大尊敬に値するのに、期待以上のことをやってのける。格好良い以外の何物でもない。
ところでその頃の私、仕事がうまくいかずに落ち込んでいたけれど、この今井さんの姿にはずいぶん励まされた。というか、今井さんを応援し続けることが、折れそうな自分を鼓舞することに繋がった……と今では思っている。(当時はそんな分析する余裕ゼロで、純粋に「今井さんおかえり!」「今井さんすごい!」とミーハー全開だった)
そして2019年。今井さんはMGC(東京五輪代表選考レース)を走った。日本全国からわずか49人だけが挑戦権を得たレースだ。(男子34人、女子15人。当日の出場数とは異なる)
何度、世界に手を伸ばしただろう。何度、目の前で夢を掴みそこねただろう。それでも諦めない、まっすぐ走り続ける姿から、私は目を逸らせなかった。
結果は、25位。出場枠争いの圏外になっても、最後まで走りきった。
結果主義であるなら、先頭集団に戻れないと悟った時点で棄権することもできたけれど、そうはしなかった。1パーセントだって可能性(本人は冬のレースで挽回を考えていたそうだ)があるなら諦めない。真面目な人柄とでも言えばいいのか、もう、そういうところが、本当に好きだ、大好きなのだ。
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人生は、そう簡単に評価したり人と比較したりできるものじゃない。ましてあの頃が良かったとか今が最高だとか、言えるはずもない。
でも、私は「今井正人」という生き方が好きだ。箱根で「山の神」と呼ばれた時を人生の頂点にせず、現役選手として挑戦し続ける、自分自身で勝負を楽しみ続ける「今の今井正人」が大好きだ。
今年のニューイヤー駅伝、いつも出場していた今井さんがいないのは、確かに寂しかった。でも、それに落胆するだけで終わるのは違う気がするのだ。
だから、私は敢えてこう問おう。
次に走る舞台はどこですか?
私は、私のヒーローの凱旋を、今日も待ちわびている。二つ名なんて無くたっていい。ただ、走り終えた後、振り向いて一礼する「今井正人選手」の姿が、私は大好きなのだ。
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最後にこれだけは自慢させてほしい。何を隠そう、私は今井さんの友達の友達の後輩である(遠っ)……もちろんご本人と面識は無い。
参考サイト(順不同):
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