空っぽだと思ってた
30を目前にして20代の課題であった答えが
ほんのちょっと見えてきた。
ような気がする。
とりわけ可愛くもないし
歌が上手い訳でも
絵が上手い訳でも
カリスマ性がある訳でも
誰かが羨むようなものを持ってる訳でもない。
だからといって
何もできない訳でもなくて
ある程度のことは仕事でもプライベートでも
そして、恋愛においても
平均より少し上くらいで出来てしまう。
でも、一人になったときにふと、思うことがある。
自分には何があるのかと。
その場の雰囲気にあわせて
そこにいる人が心地よくなるようなことを
なんとなくで言って
楽しく見えるようにふるまって『ただいるだけ』。
空っぽの自分がいただけなのではないか。
人には言ったことがなかったけど
ずっと自分の中で探し求めていた。
自分でない誰かを追っていたのかもしれない。
自粛期間中、一人で過ごすことが多くなり
いろんなことを考えることが増えた。
そうすると、少しずつ自分のことが見えてくる。
今、誰に会いたくて、何が好きで、どんな時に充実感を覚えるのかと。
そんなことを考えていると、やっぱり彼が出てくるものだ。
今思えば、彼との初めての出会いは、ある意味『奇跡』的だった。
友だちにすすめられてはじめたマッチングアプリで知り合った彼なのだが
正直、なんでマッチングしたのかは覚えていない。
マッチングアプリは始めてから1か月間はトップに出ることを知って
やる期間は1か月だけと決めていたし
この期間に出会わなかった人とは『運命』ではないとも思っていた。
ほとんど、というか彼以外の人は
相手から個人の連絡先を聞いてきたのだが、
彼は、私から連絡先を教えた唯一の人だった。
ただ単にアプリをはじめて1か月を経とうとしていたから
退会する前に、と思って交換したのもある。
そんな彼の返事は毎回遅くて、
きっと興味ないんだろうな、とさえ思っていた。
会うことになったときのご飯の場所も
私が探したお店の中からあみだくじで決めたほどだった。
だから、当日会いに行くのもやめようとも考えていたのだが
(その当時、すでに何人かとご飯に行っていたので調子に乗っていたのだ。)
さすがにドタキャンは失礼だと思って
つまらなければ1時間で切り上げたらいいや、とさえ考えて会いに行ったのである。
(今思えば、かなり失礼。)
はじめてのデートはあみだくじで決めた焼き鳥屋で
彼も仕事終わりのスーツ姿だし
私も全然期待せずに行ったからだろうか。
気づけば、終電間際の時間になっていた。
初対面で名刺をくれる人ははじめてだったし
今までの恋愛についても、なんでアプリを始めたのかも
結婚したらどんな風になりたいのかも
何が好きで、どういったところが良いと思うのかとか
ゆっくりと、丁寧に、一つずつ互いに語り合った夜。
初めて会った人に、しかも異性の人にこんなに話したのもはじめてだった。
帰り際、駅のホームで
「また、会ってくれませんか。」
と言われたときに、心から嬉しさと
安堵感と、満ち足りた気持ちになったのが懐かしい。
そっか。
あの日から、私は少しずつ
『自分の言葉で、今、心に感じていることを話す』
ことに安心感と充実感を感じはじめたんだ。
いつだったか、彼に言われたことがある。
「キミの感覚はちょっと独特で、たまに理解しきれないときもあるけど
なんだか安心するし、好きだよ。」と。
その場の雰囲気で、周りから外れないように話しを合わさなくとも
その時、感じた想いや感覚、
うまく言葉にできないことも不器用ながらに伝えようとしたら
ちゃんと相手に届いてたんだってやっと思えた。
それは、ちょっとずつ、ほんの少しずつだけど
私の中にある空っぽのビンに
キラキラな何かが積もっていく感覚だった。
私は今日も『言葉』を話す。
相手の話をちゃんと聞いて、自分が感じたことを丁寧に話す。
もしかしたら、かけてほしい言葉ではないことを話してしまって
がっかりさせてしまったり、傷つけてしまっていることもあるかもしれない。
でも『言葉』の存在が空っぽだと感じていた私を満たしてくれたものだから嘘をつかずに、一つずつ、向き合っていたい。
何者かになりたかったけど、なれなかった。
でも、何者にもならないでよかった。
誰もが自分にしかもっていない感覚や想いをもっていて
それだけで素敵なのだと、今は心から、そう思える。
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