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オウムアムア
時々不思議に思うことがある。
これは繰り返し繰り返し、なんらかのかたちで「不思議だ」とつぶやいてみたことではあるのだけれど。
学生時代を終えてしばらく経って、いまはある意味で「ひとやま越えた」ところを歩いている時期だと思う。ここはあのとき見た丘の頂上なのだろうか、いやそれはあの向こうに見える峰なのだろうか、次はそこを目指そうか、はたまたあちらに登ろうか、と日々考える。
ふと立ち止まって振り返ったときに、「そういえば途中まで一緒に歩いていたあのひとはどこにいったのだろう?」と思い出すひとがいる。たまにすれ違って挨拶をしていたひともいたな、通りすがりに一度だけ話をしたひともいたな、と思う。
そういうひとたちって、この道すがらどのような意味をもたらしたのだろう。そして、どこへ行ってしまったのだろう。
みちばたで休んでいた顔見知りの彼に聞いてみる、あのひとはどうなったの、と。ああ、そんなひといたね、どうしてるんだろうね、と返される。
向こうからやってきた彼女に聞いてみる、ねえあのひとのこと知らない、と。誰だっけそれ、と返される。
おかしいな、と僕は首を傾げる。
陽が落ちてきたので焚き火を起こしてひとやすみする、また考える。
そんな繰り返し。
思うにそれは晴れの日の通り雨であり、思うにそれは夏の夜の雷鳴でもあり、「ここはどこそこでありだれそれがいついつに没する」と書いた看板が立っていた気がするんだけど、それは前に足を止めたよく似た風景の場所のことかもしれない。
すこしぼーっとしてから立ち上がると、なにについて考えていたかは忘れてしまった。
たぶん僕たちは記号としての名前がなければ誰についても永く覚えていることはできない。なぜならばその後付けの記号をもとに深い深い螺旋状の図書館を辿りお目当ての書棚を探し当てているから。
あのひとはどこへ消えてしまったのだろう。そう口にしながら縦穴の底を覗き込む。そこになにか見えるか、あるいはなにも見えないか、きっとなにも見えないほうがいいんだろうな、なんとなく。
そして「行き」よりはるかに速く階段を駆け上がる、なんなら飛び上がる。なにについて考えていたかは忘れてしまう。
意味を与えるのはきっと自分だし、意味を与えないのもきっと自分だと思う。
すこし疲れたから、今日はこのまま眠りにつけたらいいのにと思う。たぶん今夜は夢をみる、そんな予感がする。