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就活失敗した底辺私大卒が海外駐在を獲得するまで(その2)

 みなみと申します。
前回に続き新卒就活を失敗した私が転職し、海外駐在を獲得するまでの話を書いていきたいと思います。
今回は1年目に職場を干され、現実逃避で転職しようとしていた時の頃からの話です。
 友人からの助言により私は退職をするのではなく、新卒で入った会社の人事に自分の置かれた状況を相談する事にしました。

人事に相談する時は覚悟を決める


・現在自分が仕事を与えられていない事
・2年目以降の仕事に不安がある事

 昼から始まった人事との面談は就業時間を大幅に過ぎました。現状に理解をしてもらい、その後、2年目からは私は別の部署へ異動する事になりました。
 結果的には良かったものの人事に相談するのは勇気の要ることです。
あの時人事に相談した時から得た教訓があります。
当時私は全社で200名程度の会社で働いていました。
人数の少ない会社では誰がどういうことをしているか、すぐに見えてしまいます。よく言えば「風通しのいい会社」ですが、「距離が近すぎる」事が問題になるわけですね。
 そうした中で私自身が干されている状況はすぐに隣の部署が気づきます。1ヶ月後には何かあの若手は上手くいってない、という評判を立てられます。新人は会社の新参者であり、入って日が浅いだけに圧倒的にアウェーの人間になります。なので、干されている状況がその新人自身に責任があるようにすら言われてしまう事もあります。
 私の経験から言える事は、人事に陳情するという事は、もう後には引けない状況で言わなければならないという事です。職場での困りごとや干されている状況で自分が悪くない状況証拠をしっかりと突きつけられなければ、とんでもない大火傷を負う可能性すらあります。負けるケンカに挑まない、これが鉄則です。
 もしあなたが自分が規則やマニュアル、担当として問題なく仕事に取り組んでいるにもかかわらず職場で理不尽な扱いを受けているとすれば、まずは自分が悪くない証拠を集めるのが大事だと思います。

2年目ー商社は自由な存在で、何をしても良い


 異動したとはいえ、1年目での育成失敗のレッテルが貼られてしまった私は、まずは国内営業に取り組む事になります。同期はすでに海外との取引の担当もスタートしている中、私は周回遅れで営業を始めていました。そんな中で1年目をもう一度やるような再スタートは私にとって悔しく、屈辱的でもありましたが、私がここでは環境に恵まれていました。
 商社でお仕事をされた事がある方がどれくらいいらっしゃるかわかりませんので解説すると、一般的な商社とよばれる卸売業の業態は、生産設備を持ちません。メーカーの製品をお客様へ販売する仲介を担う、ミドルポジションです。メーカーのように自社で生産した製品を売る必要性は無いのです。
つまり究極的には自由な存在です。もちろん親会社や商習慣による縛りというものは存在するケースもありますが、ここでは一旦除外します。
 私は先輩から「法に触れる事で無く、利益につながるなら何に取り組んでも良い」と言われました。商売につながるのであれば、どんな商材を発掘し、どこに売るのも自由であるという事だ、というわけです。
とはいえ何か急に実績ができるわけではありませんし、地道な営業活動や飛び込みのようなことも数多くやりました。既存の商品の担当をしつつ、別のお客様に販売をトライアルしたり、新しい商材を既存需要家にマッチングを試みるといった取り組みは非常に面白く感じました。自分の担当だけのルーティン業務をこなしているとしたらつまらなく感じるかもしれませんが、そこに自分なりの工夫や新しい要素を加えようとする事が仕事を面白くするコツと言えるかもしれません。私は会社の終業後に会社近くのカフェで仕事の内容を振り返ったり、アイデアをノートに書くようにしていました。この会社とこんな事ができたら面白いのではないか、とかこういう商品が出てきたらどうか、といった内容です。もちろんこれは荒唐無稽なものも多くあり、ほとんどはボツになったものばかりでした。しかし、こうした考え方やアイデアーの試行錯誤が土台を作ってくれたように感じます。

海外ビジネス担当のスタート

 国内向けの営業担当を始めてから半年ほどが経過した頃です。
国内の取引先からの評判も良く、仕事が少しずつ軌道に乗った頃、私は上司から呼ばれました。
君の担当してるお客さんの◯◯常務と一緒に来月タイに出張に行ってほしい
 それまで海外出張経験の無かった私にようやくチャンスが巡ってきたのでした。お客様の重役とはよく顔を合わせる間柄で、普段の関係作りが功を奏し私への指名があり同行することになったのです。
 タイでの出張を皮切りに、東南アジアや東アジアの国への出張、ビジネス担当が増えるようになりました。
 国内営業と並行して海外の仕事の担当もありましたので、急激に忙しくなっていきました。私は新人に毛が生えた状態から戦力として換算されるようになり、充実した日々を送るようになります。他の同期と比較してようやく同じ線に立ったという所だったのでしょう。

社内にファンを作ることが大事だった

 振り返ると1年目で採用失敗とまで言われた私がなんとか持ち直せたのには、仕事の面だけではなかったように思います。
 よく総合商社の飲み会は華やかだったり盛り上げ上手な人がいるイメージがあると言われます。専門商社もそれは同じです。実際、社内の懇親会も多くありました。
 小さな会社でしたので社内の懇親会で色々な情報が飛び交ってしまうことは多々ありました。私は最初は飲み会では新人はやらなければいけないことが多く、面倒に感じたり嫌なことも多かったのですが、自分が今どういう仕事に取り組んでいるかとか、そういった話をできる場でもあります。狡い話ですが、飲みの場に多くいる若手は目立つ傾向にあり、私は人があまりやりたがらない幹事を積極的に引き受けるようにしました。自分から懇親会を企画することも取り組んだ思い出があります。
 こうした取り組みは面倒な一方で、社内での人脈は勝手に広がっていくため頼れる人が増えていきます。会社の中に自分のファンが増えていったことを実感しました。「あそこの部署の彼は頑張っているな」という印象を持って貰えればこちらのもの。更にお店の情報にも詳しくなり、公私ともに大いに活用できる知識となっていきました。

 新卒入社した会社で最初はつまづいたものの、順調になったかに見えた会社生活。しかし3年目、4年目と進んでいくと徐々に違和感を感じる場面に直面するのでした。

(続く)

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