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買うのは簡単だけど・・・、私のモノとのつき合い方

いつも使っているシャーペンがある。
学生時代に原宿の裏通りにあった雑貨屋で一目惚れをした。
セルロイドでできたシャーペンは、
少し重みを感じる。
でも、その重みが指に馴染み、
私にとっては書き心地がいい。


「このシャーペンがすごい!」
と評判のシャーペンを使ったことがある。
たしかに、持ったときの感触がよく、
書きやすい。


でも、気づくと私はセルロイドのシャーペンを使っている。
出逢ってから30年近く経っているので、
壊れているところもある。
有名ではない海外のメーカー品なので、
修理にも出せない。
どうにかしながら、多分、一生使うんじゃないかと思っている。


たかがモノ、されどモノ、だけど、
モノとの付き合い方は恋人との関係に似ている


ここ1ヶ月ほど、欲しいけど買えないでいるモノがある。
帆布のトートバッグだ。
アンティーク加工された、日本製の帆布で創られたトートバッグは、春の軽快な服装のアクセントになってくれるだろう。
持っている姿を想像すると、わくわくする。


だけど、買えずにいる。
それは、その先のことを考えるようになってしまったから。


買い物は楽しい。
好みのモノに出逢った瞬間にテンションはマックスだ。
ものすごいスピードで、シュミレーションが始まる。


クローゼットにある、あの服とこの服と、こんな風に合わせて・・・
こういうときに身に着けるといいよね
(予定もないのに)。
妄想は止まらない。


そして、買った瞬間の高揚感は最高だ。
ネットで買ったのであれば、届いたモノを開ける瞬間、
店舗で買ってのであれば、家でパッケージを開ける瞬間が、最高の気分だろう。


ずっと恋焦がれていた人と付き合うことになった瞬間のような高揚感。
しかしながら、その高揚感はいつしか日常に溶け込んでいく。
恋をしたときめきが、穏やかな愛に変わるのならいいが、
恋した瞬間があったことさえ忘れてしまうことがある。


そんなモノを処分するときは、罪悪感でいっぱいだ。
完璧なシュミレーションで
「絶対にたくさん使う!」
と確信して買ったのに、
クローゼットの隅で、値札がついたまま眠っている。


出逢ったときは、これ以上ないほどのときめきを感じたのに、
今は、なにも感じない。


なにも感じなくなったモノを手に、
ただ落ち込む。
言いようのない罪悪感と一緒に。


買うのは簡単だ。
ほんの一瞬で手に入れることができる。
だが、買った後の方がはるかに長い。
なのに、買う時に、買った後のことや、処分するときのことを私たちは考えない。



モノを買う時は、幸せな気持ちなのに、
処分するときは罪悪感でいっぱいだ。
そして、買ったときの何倍ものエネルギーを使って処分をする


だから、最近、思うのだ。
モノを買う時は、
穏やかな恋心が持続するモノ、
値段に関係なく、最後まで責任がもてるモノしか、手にしないと決めた。



学生時代に買ったお気に入りのシャーペンのように。
たとえ壊れて、使えなくなったとしても手元においておきたいと思えるモノを大切に、慈しみながら、一緒に年を重ねていきたいと思う。



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