苦手な人をなくす方法
最初に答えを言ってしまうと、
自分を好きになること。
人それぞれタイプがあるということを知ること。
まぁ、それだけ言われたってなかなか、
自分がダメと思っている部分もひっくるめて
自分を好きになる
なんて難しいですよね。
人のタイプを知ったところで何さ、
という感じですよね。
なので以下だらだらと説明してみます。
説明もまどろっこしいわ
という方はこれ以上読まず
早速下の章の
太字のタイトルの本を読んでください。
先日料理が苦痛な時に読む本
の中でちらっと出てきた
蓮村誠先生の本の話です。
最近はアーユルベーダ、
毒だし関係の本を多数出されておられますが、
昔そのものずばりのタイトルで、
自分を好きになる技術 人を受けいれる技術
という本を出されてました。
今は販売されていないのか、
アマゾンでびっくり価格になってますが、
図書館で普通に借りることができます。
ざっくり言えば、
人には色んなタイプがありますよ。
そして自分に当てはめて
考えたらわかると思うけど、
もって生まれた性質を
違うタイプに矯正するのは難しいよね。
でも矯正する必要はないんだよ。
そのままでいいんだよ。
という話。
タイプっていうのは、例えば
●頭に浮かんだことが直接口から出るタイプ、
●頭に浮かんだことを熟考していて口から出せないタイプ
●一つのことを最後までやり遂げないと気持ち悪く感じるタイプ
●逆にあれこれ手を付けてなかなか一つが終わらないタイプ。
など。
タイプ別の人の特徴をみて、
ああ、こういうふうだと嫌だな、困るな、
自分こっちだけどもあっちのほうがよかったななど、
タイプ別の説明を
無意識にジャッジを下しながら読んでいた時、
衝撃でした。
目に入った本編で繰り返し出てくるフレーズ
「どちらがいい、悪いではない。」という一言。
そうはいっても小学校、
中学校などで集団生活するときに
先生が統率しやすいタイプがいい子
みたいな扱いにはなってしまい
いい子のモデルタイプが刷り込まれているけれど、
人生は学校だけじゃないからと。
一つのことを集中して
じっくりやりたいタイプは
学校では優等生ですよね。
そしてあれこれ手を付けて
なかなか一つのことに
集中して向き合えない子供だと、
気が散って集中できない子。
と言われます。
でも、例えば家事に例えて
1日のスパンで見た場合、
洗い物をしている途中で
洗濯機がピーってなったら、
洗い物が終わってなくても
洗濯ものを干しにいく。
干してふと、部屋のごみに気づいて
掃除が始まる。
洗い物はその間ほったらかし。
でも掃除が終わってから、
ふと流しをみて、そうだったと
洗い物を終わらせる。
一日の間にきちんと洗濯、掃除、洗い物
が終わってますよね。
むしろ複数のことを同時にやれて
器用とも言えます。
だからって洗濯機が鳴っても
洗い物を終わらせるまで
お洗濯を干さないからダメな人
というわけでもありませんよね。
だから人のタイプをどちらが正解、
不正解、と判断するものではないのです。
とこんな感じ。
もう少しわかりやすかったと思うのですが、
私も10年くらい前に図書館で借りて
読んだきりなのでうろ覚え。
他の本の受け売りも交じってるかもしれませんが。
おおよそそんな感じ。
まずは自分がどんなタイプの人間かを
チャートでチェックする。
私の場合、娘と今一つあわないというか、
よかれと思ったことが裏目にでるなぁ。
娘なのになんか苦手でつらいなぁ
という悩みがあったので、
娘のタイプもチェック。
結果
真逆のタイプでした(笑)
自分のタイプが自分の理想と全然違っていて
あーあ、となっても随所にでてくる
「どちらがいい、悪いじゃない」
というフレーズにとことん励まされました。
自分は学校の枠の中ではダメな子
のタイプだったのと
とりあえず否定癖のある親の影響で
そもそも自己肯定感も低かったのです。
色んな生まれ持ってのタイプはそもそも、
「そういうもの」
なので無理に違うタイプに
なろうとしてもなかなか難しい。
テントウムシはカナブンにはなれないのと同じかな
けれどもみんな、
自分のいる空間の都合で
タイプのいい悪いが決まってきたから、
そこの都合のいい物差しに合わせようと、
一生懸命
親だったり自分だったりが
矯正しようとしてきたはず。
だから本来の自分のタイプが
わかりにくくなっていることも多い
という一文にも大きくうなづいたのでした。
なのでタイプチャートも
丁寧にアドバイスが入って
タイプ判断に間違いが出にくいように
構成されていてとっても親切。
自己肯定感の話で一つ。
私は早生まれ、
体も小さい、体力が平均以下、
運動神経も平均以下、
落ち着きがなくて、あれこれ気になってしまう。
勉強も苦手。
食べ物の好き嫌いが多いから
給食もいつも最後の一人。
という子供時代だったので
昭和の小学校の空気感では
劣等生気分で過ごしてました。
いくら親から早生まれだからとか、
やればできるといわれても、
自分がやってもできない子だと
うっすら思っていました。
もちろん拗らせたりはせずに
一般的な子供同様に、
一生懸命学校の物差しに合わせようと
しつけられたり、
自分でも矯正しつつ育ってきたので、
そこまで波風立つこともなく
平均的に学校をでて、
就職して結婚して子育てをしてと
やってきましたし、
学校という世界を出たら
もう「勉強苦手」とか、
「運動苦手」とか関係なくて、
むしろ欠点だと思っていた、
「気が散りやすい」という部分が、
「あちこちに気が回る」
という評価にもつながったりしたのですが、
常に根っこに流れる無意識の
自己肯定感の低さはことあるごとに
意識に上ってきたりもしてました。
がそれでも普通に生活しますよね。
自信ないなりに不安とも付き合いながら
子育てしたり。
自信のない子育てしてていいのかと悩みつつ。
そんな私の転機になったのは、
子供のプレ幼稚園で出会った先生の言葉でした。
娘は極度の人見知りで
公園でもほかの
同年代の子供たちと遊べなかったり、
一人目初孫らしく
神経質で気難しい子供だったので
幼稚園前に少しでも慣らしておかないと
後々つらいだろう!
と入れた幼児教室でした。
案の定、
娘はみんなが楽しく遊んでいる輪に
入らないどころか、
先生方の正しい判断により
パーテーションを出して
安全地帯を作ってもらい
お布団まで敷いてもらい、
専用の場所として
毎回行くとその中にこもってしまったのです。
慣れてくればそのうち一緒に遊ぶから
様子を見ましょうと言われ続けて半年。
さすがに
「先生、うちの子供布団で寝ているだけです、
教室に来ている意味ないんじゃないでしょうか」
と相談すると
「そんなことはない、
お布団の中からじーっと皆をみてます。
それがこの子の経験なんですよ、
ちゃんと他のお子さん同様に
意味のある時間を過ごしてますよ。
これでいいんです。
このままで、
そのままの娘ちゃんでいいんですよ。
大丈夫ですよ。」という言葉。
「これでいい」
「そのままの娘ちゃんでいい」
この言葉に子育て不安の母としても救われたけれど、
いつもみんなとちょっと違って
はみ出して叱られていた
幼少期の自分も
まとめてそう言ってもらえた気がして
自分そのものが救われた気がしたのでした。
先生のそのたった一言で、
何かが溶け出すような
肩の力が抜けるような体験でした。
その後も運のいいことに
通いだした幼稚園も
同じような理念のところで、
ことあるごとにみんなと
足並みのそろわない我が子を
普通に受け入れて
「それでいい」
「これがこの子のいいところ」
と何もかも
丸ごと、素の状態を受け入れてもらっている姿に、
自分も受け入れてもらえている、
無理して人に合わせたり、
コンプレックスを必死で隠して
強がったりしてきたけれど、
そんな必要ないのかも。
と心から感じることができました。
それから数年後、
出会ったのが
蓮村先生の自分を好きになる技術です。
タイプをみて自分を知り、
自己肯定感の低さの原因を知り、
恥じることはないし、
無理に矯正しようとしても無理。
ということも理解。
例えば、
自分は思ったことを口に出さずにはいられないタイプ、
我慢すると大変ストレス。
ということをはっきり言葉で理解したうえで、
うじうじとしている、
意見がはきはき言えない、
何を考えているのかよくわからない
と感じていた娘の態度が、
実際は軽率になんでも
ペラペラ言ってる自分より、
熟考している慎重な人だったのかと気づき
(すでに軽率だの慎重だのってジャッジ下してるけど置いといて)、
自分がどうしても思ったことを黙っていられないように、
この子は逆で、パッと口に出すことが難しくて
ストレスになるんだ。
と気づいた時、
娘のことをめんどくさいと思う気持ちが
少しなくなりました。
これまで出会った、
「なんであの人はああなんだ」
という人たちから
なんで「私ってこんななの」
という自分までひっくるめて
本当にまさに
「自分を受け入れて他の人も受け入れ」
た状態になったのです。
だって、そもそも矯正するのは無理だし
不必要だし、
どっちがいい悪いじゃないんだもん。
って。
本一冊でここまで心境に変化が起きることは
なかなか無い経験でびっくりです。
本一冊で心境に大変革
実はこの時期に
もう一冊そういう本に
出合ったのですが、
そちらはまた別の機会に。