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暗闇の先にあるもの
3年前の9月22日、私は開頭手術を受けた。
そのことがきっかけで、毎月22日は「自分の健康について振り返る日」
にしている。
2025年1月22日、新年最初の22日の振り返りを綴ってみた。
「どうして……?」
開頭手術から4カ月が過ぎたある日。
このまま問題なく治まっていくはずの症状が、
ふたたび現れてしまった。
私は、1万人に数人の珍しい、
そして、日常生活を送るのに恨めしい病気で
6年闘病したのち、手術を受けた。
手術中の万が一がない限り、命に別状はない。
ただ、その万が一で耳に合併症が起きたら……。
完治より先に障害が残るかもしれない覚悟をしないといけない。
また、手術後の症状の完全緩和率は約70〜90%。
頭蓋骨に穴をあける割にはスッキリしない数字だ。
幸い、術後の経過は順調だった。
厳しく冷徹そうな主治医が、毎朝の回診で
「大丈夫~、順調~♪」と鼻歌交じりで
ゴキゲンに去っていくくらいだ。
退院して、たった1人のリハビリ生活を乗り越え、仕事復帰も果たした。
今はできないことも、きっと少しずつ……
そう思って新年を迎えようとしていた矢先、
「お前を見るとお母さんがまたおかしくなる!
しばらく帰ってくるな!」
ジャイアンレベルの理不尽な父からの激しいボディーブロー。
「お前のせいだ!」
私が手術を受けている最中、母は入院した。
「お前が心配ばかりかけるから、お前のせいだ!」
入院している間に、全てが私のせいにされていた。
付き添いがいらない病気を探し、全ての手続きを一人でやった。
手術前日まで「何時からどこの病院でどんな手術を受けるか」すら知ろうともしなかった人が、全てを娘になすりつけるなんて。
それまでは、亡くなった祖母と、この父の理不尽さが、母が弱った原因だと言われていたのに……。
自分の不名誉をとっ払うのに、頭を切った娘は格好の材料だ。
「お前は橋の下で拾ってきた子だ!
……あれってあながち嘘じゃないのかも」
そんなバカなことまで大真面目に考える私のダメージレベルは95。
どうにか立っていられるくらいだ。
そんな理不尽な言葉を放つ父の声が夜寝る前にもこだまする…。
持病のある左耳からは、たとえようのない異音が響き、頭全体が鈍い痛みでおかしくなりそうだった。
寝不足のまま出勤すると、正確性を問われる仕事で凡ミスの連続。
「2か月も休んだから仕方ないよね…」
という憐みの視線の中で、汗と脂でテッカテカになりながら修正する日々。
「なんでこうなんだろう…」
仕事でもプライベートでも自分責めが続いた結果、消えていくはずの症状が再び現れた。
お先真っ暗。
こういう時のためにこの言葉があるんだ…。
そう思いながら、主治医の電話診療を待った。
「どう?もう大丈夫でしょ?」
その声を聞いた途端、涙があふれた。
話そうとしても声にならない。
いつもはウルトラマンか先生か、というくらいきっちり3分しか時間をくれない主治医が
「落ち着いて、ちゃんと話して!」と苛立ちながらも焦っている。
埒のあかない状態を察せられ、再診の予定が入った。
数か月に会う主治医の厳しさは健在。
ウルトラマンの時間を奪ってはいけない!と症状をまとめた紙を差し出すと、ご丁寧に読み上げながらぷっと笑う。
「考えすぎじゃない?」
正直ムッとした。
キン肉マンさながら、ひたいに「怒」と書いたような表情で主治医を見ると、さっきまで笑っていた顔はもうなかった。
「再発かどうかはまだわからない。みんなが100%完治するわけじゃないから。
でもね、90%以上は治っていると思うんだ。
僕の目にはそう映るんだけど、どう?」
主治医の、メガネの奥から光る視線が刺さる。
「絶対にネガティブに考えないこと!
あなたの気持ちもわかるけど、頭切ったんだ。
そんなすぐに完璧を求める方が無理だよ。
人間なんだから、多少の不具合くらいあるさ!」
怒られているか励まされているかわからない状態で、部屋を後にした。
「私が悪いんだろうか……」
腹立たしいほど青々しい初春の空を見上げると、涙がとめどなく頬をつたう。
東京のど真ん中でこんなに晴れた日に、私は十八番の自分責めを始めた。
コバエが目の前を飛ぼうものなら、顔色一つ変えずに瞬殺しそうな主治医が
「大丈夫!心配ないよ!頑張ろう!」
などという励ましの言葉なんか、かけてくれるわけがない。
わかりきっていたことなのに……。
私は
「治りたいのか?再発じゃないと言ってもらいたいのか?
はたまた優しい言葉に安心したいのか?」
自分で自分のことが全くわからなくなった。
ただ、ド根性で生きてきた底力がちらりと顔を出す。
春の陽気に、ひたいの「怒」があぶり絵のように浮き出てきた。
「ウルトラマン、見てなさいよ!」
あてのない決意表明をして、涙をぬぐった。
勢いよく決意表明したのとは裏腹に、今の自分が何をすべきか全く見えてこない。
出勤したら、振り分けられた仕事こそちゃんとできるまでになったが、業務範囲は狭まったまま。
目のブラック企業といわれるくらい負担がかかるため、業務手当を手放し負担を軽くしていた。
そんなことも理解せず、人は勝手なことを言う。
「なんであの人だけ楽してるの?」
「わざわざ東京で手術したんでしょ?」
「再発?不完全はどこまでも不完全ね!」
ボリューム大のヒソヒソ話は、私に着火しそうになる。
「おさえろ!ガマンガマンガマン!」
マウスを持つ手は震え、カーソルが定まらない。
目の前のモニターを割りたくなる。
……結局冷静を保てないと判断し、その日は早退した。
「なんで私ここにいるんだろう」
あれほど「病気を治して、失ったことを取り戻したい」と強く願ったのに、生かされている意味がわからない。
開いているだけの目で、ぼ~っとSNSを眺めていたその時
「自分責めばかりの毎日を変えてみませんか?」
コーチングを生業としている知り合いの、体験会の告知だった。
「自己否定手放しプログラム」と名付けられたそれは、
自分責めをする原因を探り、自己否定する自分を受け入れたうえで、スモールステップで自分を変えていくカリキュラムだ。
「何が何でも、このイジイジして嫌な自分を変えてやる!」
体験会の間に受講を決め、3か月の初級プログラムを受講し始めた。
が!
まぁ、面白いくらいにつまづく。
「誰が、じゃなくて私、でしょ?」
「他人にこう思われる、ではなく、私がどうしたいか、でしょ?」
コーチの声も時に大きく強くなる。
あとから聞いたが
「この人、どんだけ他人軸で生きてきたんだろう?
きっついやろうなぁ……」と、
わりと本気で心配していたようだ。
3か月目に入り、変化の兆しが見えてきた。
「どんなに小さなことでもいいから、よかったこと探しを毎日10個!」の宿題が出た。
心の片隅には、一瞬「ご冗談を!1日1個でもあれば御の字ってもんですよ」と、あきらめのフレーズが浮かぶ。
でも……やってみないとわからないよね?
まるで不思議なクスリを飲んだかのような「前向きみむら」が、あきらめフレーズを秒で打ち消した。
よかったこと……
今日飲んだコーヒーは、いつもよりおいしかった
シャイなAさんが、蚊の鳴くような声で挨拶を返してくれた
ヒールを履いた足がカッコいいと言われた
コンビニで、残り1個のブラックサンダーを手に入れた
なんだ!どんなに小さくても、自分がよかったと思う事でいいなら、
意外とあるじゃない!
こんな単純なことが、私を変えるきっかけになった。
それからどんどんことが好転しはじめ
「私は前向きに…なれているかもしれない」
そんな実感すら出てきた。
さらに、6か月追加でコーチに伴走してもらい
「自己否定手放し」を、より定着させることにした。
その中で、沢山の事を書きだした。
出来なくなったこと
取り戻したいこと
それを取り戻してどうなりたいか
いつまでにどうやって?
よくあるコーチングの手法かもしれない。
でも、書きだして本当に叶うかは、よくあるとは言えないのかもしれない。
ただ……
「一体どうしちやったの?」
コーチが頭を抱えている。
そのまま小刻みに震えながら笑いを押し殺すするくらい、私は変わった。
この時に書いたことが、2024年中にいくつか叶った。
「野口真代先生のライティングスクールで学ぶ」という目標が叶い、
読む専門だったnoteに自分で文章を書いている。
野口真代先生だけに飽き足らず、
永妻優一先生のストーリーテリングの講座まで受講するなんて、
私はどうかしている。
「地元福岡で歌を再開する」も、思わぬきっかけで叶った。
そして、自分が思い描く形ではなかったけど、大きな舞台に立たせてもらう貴重な経験をした。
「できたら、東京の仲間たちともう一度歌いたい」は、一番叶えたいけど、一番叶いそうにないことだった。
でも、奇跡的にグループの宣伝動画を撮影しなおすことで実現したのだ。
嬉しい誤算は、文章と音楽が重なりすぎて、文章の方がおろそかになってしまったことだ。
「2年前の今ごろは、真っ暗闇で何にも見えなかった……」
振り返れば、今でも苦しいことはある。
でも、あの頃の私とは確実に変わった。
ウルトラマン主治医のもとから無事に巣立ち、
できる範囲のことをコツコツと積み重ねながら、体調を整えている。
一旦凹んだら地の果てまで転がり落ちる過去を持つ私は
「悩んでも落ちこんでも1日!」そう決めたのだ。
あの真っ暗闇の中でひとつだけ光を見つけた。
「時間」は有限であり、大切だということ。
だからこそ、過去に「辛く」て「苦し」かったことも、
今は「楽しい」「充実している」で上書き保存し続けている。
再発する可能性がゼロではないと知っている。
けれど、それさえも私の生き方次第だ。
前向きに生きることで「再発しない私」を、自分自身がつくるのだ。
【朝活373目】おはようございます!昨年転んでけがした。
— みむら@チリツモチャレンジャー (@mimulabo11) January 19, 2025
それがきっかけで、膝の古傷が悪さしていることを知る。よかれと思ってのウオーキングには時間制限がかかる。2往復の階段のぼりおりの #チリツモチャレンジ は、様子を見つつ1往復に。ついにワイドスクワットも「別のがいいよ」と😢… pic.twitter.com/bGua0nZS0c
この頃から始めたチリツモスキマ活動を、いろんな方法で楽しみながら取り組んでおり、その様子を毎朝Xに投稿しています。
フォローしていただいたら、ジャンプして小躍りして喜びます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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