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陰のわたしは陽のあなたに憧れる

人の中には『いん』と『よう』があって、自分は陽だと思ってたら実は逆だった、なんてこともある。

個人的にこの二分は、メンタル面で言えば血液型とかより重要性が高いんじゃないかって、時々思ったりしていた。
昔の中国の考えから、この2つは対極で、かつ互いに必要としているのだとか。難しいことはわからないけれど。
【うつ】になると、余計にそんなことを深く考えてしまうんだ。



シャインマスカットを届けに行くから、ついでにドライブしよう

ある朝、夫を送り出して地道に家事を進めていたときに、母から届いたメッセージだ。
洗濯機に昨晩の風呂の残り湯を移して洗剤や柔軟剤を入れてスタートボタンを押したあとに、洗面所に置いていたスマートフォンの液晶を確認する。
わたしは複雑な気持ちで返信するのだ。

おはよう、マスカット嬉しい。でも、まるのご飯が昼過ぎで、今は掃除中だし……午後1時か2時くらいなら大丈夫だよ

そうすると、脱衣所を出たあとで電話がかかってきて。
「今ちょっと出先だから、用事が終わったら迎えに行くね」
明るい声が耳から脳、そして脳から外へ抜け出ていく。母は声が大きい。大きいと言われるわたしよりも大きい。
「それは困るって、さっきも伝えたけどまだ掃除中だし自分の身支度も含めると時間かかるから」
「じゃあ近くに着いたら連絡するから、その辺うろうろして待ってるわ」
そうして、じゃあねーと言って通話が切れる。
わたしはため息をつくけれど、いや、ため息ついてる暇なくない?ってなって、慌てていろんな準備に追われるのだ。

これは本当によくあることというか、いつものことだった。
わたしは母のことはすきだ。
だけれど彼女の底なしな元気さに、毎度目がくらんでしまう。


「母ちゃんどしたん?」
少し掃除のスピードを上げてパタパタと動き出すわたしに、サークルの中から猫が声をかけてくれる。
気まずそうに母ちゃんは応える。
「このあとねぇ、母ちゃんの母ちゃんがこっち来るんだ」
「……ぅえ!?ほんま?」
息子は元気で声が大きいうちの母のことをいつも怖がっていて、逃げまくっている。尻尾をたぬきのようにブワッと広げて警戒するリアクションは想定内だった。

今回は家の中には上げないことを伝えて落ち着かせて、
「悪いひとちゃうんよ。お米もぶどうもケーキもくれるし」
実家かかりつけの動物病院に小さなまるが保護されたことを誰より早く知らせてくれたのも母だった。
このふたりが歩み寄るにはきっと、母が色々と譲歩しなければいけないんだろうな。

「母ちゃんの母ちゃんやから、ぼくは嫌いにはなれへんよ」
「ありがと。まるはいい子やね」
「けどさぁ、これからふたりでお出かけするんやろ?……早く帰ってきてよね」
ツンデレの息子にそう言われてしまっては、「善処します」と応えるしかない。


母はいつも突然のひとだ。
思い立ってはすぐに行動する、素晴らしいことではあるけれど。
「今から知多まで行くから!迎えに行くね〜」
みたいに、わたしや家庭を持っている兄妹たちを巻き込む。もちろんというべきなのか、前日までのアポイントはほぼない。だって今さっき思い立っちゃったんだから。

わたしのことは、うつで引きこもりになっていないか心配なのもあるし、独身時代はアパートでの暮らしが気になって誘ってくれることもあった。

悪い人ではないんだ。本当に。
むしろ良い人、それから「ひとがいい」と言うべき人間。
おせっかいで子供思いな明るいひと。その存在に助けられた時期だってもちろんたくさんある。
けれど心を壊した今のわたしには、その明るさが、そのパン!と張ったような元気な声が、目や心臓を鈍く締め付けてくる。


「おまたせ、」
助手席のドアを開ける。
見慣れた片付いていない車内を軽く一瞥して乗り込んだ。母はドアを閉める前にその大きな音量で文句を言ってくる。せめて閉めてからにしてくれ。
「おそーい!お腹空いちゃったじゃん」
「いやいや、早くても1時って言ったし」
「掃除なんてちゃちゃっと済ませちゃえばいいのに」

そうは言うけど、わたしだってちゃちゃっとできたらいいよ。でもゆっくりじゃないと今はだめなんだってば。
そんな言い返しをしかけて、すぐに口をつぐんで飲みこむ。言い合いをしに来たわけじゃない。
それに同じ県とはいえ車で1時間以上かかる距離でも会いに来てくれて、わたしの準備ができるまでなんやかんや待っていてくれたんだ。

待たせてごめんねと言うと、母は今度はころっと表情を変えて笑うのだ。
「まずお昼ご飯食べに行こ!お寿司にする?きしめんにする?」
そうして車が走り始める。
もう気持ちを入れ替えなければ。おせっかいで優しい彼女とのドライブを楽しもう、と。


空気を全然読まないわけでもないんだ。
向こうから誘ってきてもわたしが先約や体調などで「無理」とはっきり言うと、電話越しにしょんぼりと何かをぼやきながらも理解してくれる。
やや強引な誘いにわたしが折れてドライブについていく中で、ハンドルを持ちながらいつも彼女の横顔が言うのだ。
「わたしが動けるうちに、こうやって親孝行してよね」
一緒に出かけることが孝行になるのか。
それを聞くたびにこのひとは、ひときわ寂しがり屋さんになったんだなあとしみじみ感じる。


母はわたしからすると若い年代ではない。
わたしには歳の離れた兄がいるからだ。4人兄妹で、全く似つかない個性派揃いの面々だったから、母は育てるのにたくさん苦労したんだろうと思う。
今自分のとなりで運転しているこのひとは、昔と比べて顔も性格も丸くなって、目が優しくなった。
孫は今4人いて、もうすっかりおばあちゃんの顔で。
こんなことが親孝行に入るなら、しんどくてもたまには付き合わなきゃと思うし、わたしも本当はもっと穏和にいきたい。

よく行くショッピングモールでは、母のゆっくりした歩調に合わせて一緒に歩く。
筋肉がなくなって柔らかくなったみたいな彼女の二の腕をふにふにと触るのがわたしの癖になっていて、全然嫌そうではないのに「もう、止めなさい」って言われる。
騒音の中、お気に入りのお寿司屋さんに入って、彼女は必ずコハダを頼む。大好物らしい。
わたしは胃を殺ってしまっているので生物は怖かったけれど、お昼の薬を飲むためにもいちばん好きなサーモンを頼んだ。
大丈夫、頓服は常に持っている。

そういえば、母は〆鯖が食べれない。嫌いとかではなくアレルギーなんじゃないかな。詳しくは知らないけれど、食べると死ぬって昔言っていたことは覚えている。
でも焼き鯖は食べれるから、生とかが駄目なんだろうか。
そんな〆鯖を、味見すら危なくてできないのにもかかわらず、いつも子供たちのために作ってくれていたっけ。彼女は料理好きだから、作る工程が楽しいのだとも思う。

「〆鯖は死ぬのにコハダの〆は食べれるの不思議」
「お母さんも不思議〜。……うん、おいひい」
「いつも命がけで〆鯖作ってくれてたんやね」
言うと母はにししと笑う。
楽しいよ、ちゃんと楽しいんだよお母さん。
こうしてわざわざ会いに来てくれて、嬉しい気持ちだってちゃんとあるんだ。


その突発的な過ぎた行動力と、持ち前の無邪気な明るさが、心が一度死んで治療中のわたしに堪えるだけなんだ。
今は眩しくて目をそらしたくなる。




母は昔から男勝りなひとだった。
父の会社を手伝い共働きで、いつも4トントラックを走らせていた。
負けず嫌いで、体格の良い男性からの理不尽な男尊女卑みたいな発言にも立ち向かうくらい。

下3人の子供が小学生だったときの授業参観は、仕事を抜け出して仕事着のポロシャツとジーンズで、廊下側の窓から控えめに覗いている。
目が合うとニカッと笑って、小さく手を振ってから違う兄妹の授業を見に小走りで去る。

小綺麗に整った服装のお母さんが多い中、わたしはませていたからかな、恥ずかしさで手を振り返せなかったけれど。
来てくれて嬉しかったんだとは思う。廊下に視線を向けてそわそわして、はやく会いに来てくれるのを待っていたからこそ、あのとき目が合ったんだよね、きっと。

わたしは幼少期から体が弱く、保育園の記憶は殆どが総合病院かかかりつけのクリニック。薄暗い待合のソファでハイチュウをねじりながら食べていた。
強い体になるために運動はさせられていたけど、小学校に上がってもよく熱を出したりした。
そんなとき、来賓用の駐車場に大きなトラックで入ってきて、職員室と保健室へ来てそのまま病院に連れて行かれたこともあった。

最近になってそんな思い出を話したとき、彼女は覚えているくせに「そんなことあったかな、」なんて白々しく言っていて、そのときはわたしが笑った。


運動会で作ってくれたお弁当が、まさかの母お手製山菜入りいなり寿司だったことがある。
一面茶色のお弁当はよくあれど、隙間なく詰め込まれたいなり寿司はなかなかないかもしれない。
今ではいい思い出だけど、当時は恥ずかしかったな。周りのクラスメイトは「手作りでいなり寿司なんてすごい!」って感動してくれる子もいた気はするけれど。

確かに、過酷な仕事を終えた母が夜から揚げを甘辛く煮て、山菜も別で煮て、翌朝早くに酢飯を冷まして山菜を混ぜて揚げで包むんだ。
なぜそんな手間がかかるお弁当にしてくれたのかは謎。
「愛情の深さ」だったんだなと思うと、不器用な表現が愛おしい。






……軽くお昼を食べ終えて、軽く同じフロアのペットショップを見て。
施設内のスーパーでそれぞれ買い物を済ませてから車に乗り込む。なんだかんだで夕方前。不機嫌な猫がハンモックに揺られている姿を想像した。

買うつもりのなかった色目の良いメバチマグロの刺身の柵を母が買ってくれた。彼女は調理師免許を持っていて、これまで積んできた経験からか目利きが良い。そんな母が選んでくれたひと品だ。

「今日はもう夜ご飯決まってるから良いよ」
「それなら1日冷凍して、明日漬けにしなさい。なおくん好きでしょ」
御名答、夫は刺し身と山かけのコンビが大好きだ。だからこれはわたしのためではなく、仕事を頑張っている彼のための母の気遣いだったかもしれない。少し強引ではあるけれど。
「ありがと。明日食べるね」
そう言葉に甘えると、母は満足げにカゴの中にマグロを入れた。


そういえば以前こんな感じで、スーパーの中をふたりでまわっていたとき、目を離した隙に母がいなくなっていたことがある。迷子かな。
探すと少し離れた場所で、彼女と同年代くらいの女性と仲良く談笑していた。
知り合いかぁと思って、わたしはわたしの欲しいものを見に行くんだけれど、何度確認してもまだ話し込んでいて、結局わたしが待ち惚け。
母は顔が広い。気が合えばすぐに仲良くなるから、呆れつつ少し羨ましくもあった。

「遅い」
「ごめんごめん、ちょっと話してた」
ちょっとではないことは確かだけれどね。
「見たことない人だったけど、誰?」
訊いたわたしに少しキョトンとした顔を見せたあとで、
「さあ?初めて会ったひと」
って言われたときは流石に面白くて。なんというコミュニケーション能力。
待ちくたびれて少しぶすくれていたのに、わたしの機嫌はおかげで直った。




「マグロが傷まないうちに帰ろうかね」
「うん、ありがとね」
そうして帰路のドライブが始まる。
トラ
ック時代、ナビなんてなくて分厚い日本地図で道を覚えていた彼女。どっちのルートで行けば早く着くかな、と思案している横顔に、傾きかけた西陽があたる。

昔より丸くなった顔、小さくなった体、変わらないケロッと明るいオーラで話が止まらないわたしのお母さん。
なんだか涙が出そうになってしまう。




陰陽で言えば、母は間違いなく陽の人間。
わたしは陽の皮をかぶった、実はじっとりと湿度の高い隠だった。


お母さん。
反抗期もあったけれど、わたしはあなたみたいになりたかった。
強くて逞しくて子どもがだいすきで、周りともすぐに仲良くなって人脈を自覚なしに広げていく。
おせっかいでおしゃべりさんで、そこはたまに困るんだけれど、怒ってもまたニカッて笑って切り替えが早くて。
ご飯が美味しくて、習字を習っていたのに字が下手で、お茶目でかわいいわたしのお母さん。

あなたはわたしが憧れるひとのひとりなんだ。………。



我が家に着いて、荷物を取り出しながら助手席を出る。
母も降りてきて、
「ぶどうも忘れないでね」
って後ろのドアを開けて、立派なシャインマスカットを手渡してくれた。
このぶどうも、母がとても仲良くしている、すごくおいしいぶどうを作っている農家さんの逸品だ。

「それにしてもほんとに顔広いよねお母さん。お母さんのお葬式めちゃくちゃ混み合いそうだわ」
「もう、勝手に殺さないでちょーだい?でも骨は海に撒いてね」
不謹慎だけれど、これはわたしたちがよく交わす会話だ。

そうしてわたしが手を振って見送る中、車輪が少しずつ回っていきながらも運転席の窓を開けて何か色々言ってくる。
彼女はそんなつもりはなくとも、元々音量が大きな声だから、意識して大きな声を出すともう叫び声に近い。車の中だからまだいいけども。
忘れ物はない?
ちゃんとこまめに連絡しなさいよ!
なおくんをあんまり困らせるんじゃないよ!

わたしは聞いてるような聞いてないような素振りをしながら、とにかく「気をつけて帰ってね、ありがとうね」を伝える。そうすると母は今度は大人しく「はーい」って言いながら、やっとちゃんと車を走らせるのだ。
最後は曲がり角で車窓から手を振る母が見えなくなる。
この一瞬は、胸が苦しくなる。事故になど遭わぬよう、祈る気持ちに一切の嘘はないから。



そして。
気付けばどっと疲れる身体。
あそこまで屈託なく明るいひとと共にいると、己の気力や体力も悪意なしに吸われていく。
母が悪いのではなくて、わたしがそれに対抗できる力を、心を、まだまだ取り戻せていないだけなんだ。

胃を患って体重は減っているのにずっしりと重くなったような気がする足で階段をのぼって、ようやく我が家に帰還する。
「母ちゃんおかえり……ああ、あかんなあ」
サークルで利口にお留守番をしてくれていた猫は、わたしの様子を一瞥してため息混じりに言うのだ。
「ただいまぁ~、ひとりにさせてごめんね〜」
語尾は掠れた声で伸びている。

ソファに突っ伏したいところだけれど、まずはぶどうと買ってきた食材を冷蔵庫にしまわなきゃ。
お刺身の柵はラップに包み直して保存袋に入れて冷凍庫へ。
今日の夕ごはんは手抜きになることを、なおさんに予め伝えておかなくては。母のことを言えば、なおさんも解ってくれる。

それからわたしはまるを連れて寝室に行って、布団に仰向けだ。扇風機が心地よくて、頭はぼーっとして。少し甘えモードな息子の喉を鳴らす音が耳元で聞こえる。


隠の【うつ】患いが陽の明るさにあてられるとこうなるのだ。
陽の人が元気を分けてくれることももちろんある。母の元気さや思い切りの良さは、その陽が強すぎてわたしはバテてしまう。今の自身は雑魚キャラ並みの弱さだから。

目を閉じてしまって、すぐに気が遠くなる。
母への感謝と、夫への謝罪を瞼の裏で繰り返しながら、今日はもう暗くなりきるまで起きれないだろうなと思った。




ちゃんと解っている。
陽の人にも陰が隠れていること、それからその逆も。
快活な母も昔はとんでもない苦労をしてきたひとで、辛くて悔しくて色んなことで泣いていた。
ちゃんと知ってるよ、あなたの娘なんだから。

それでもってわたしの陰に今は完全に覆われて、出口がわからなくなっている小さな陽の灯り。
わたしが生まれる前。いちばん最初に灯してくれたのは、他の誰でもない母だということ。

お母さん、

疲れてしまうし酷いときは倒れ込んでしまう薄情な心身でごめんね。たくさん会えなくてごめんね。
この歳になっても心配をかけてごめんね。


こんなだけど、お母さん。これは本心よ。

『陰のわたしは陽のあなたに憧れる』

ずっとずっと、そうだったんだよ。



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