対岸の火事
助けてほしいと思っていても、声に出来ない人がいる。
「ちゃんと伝えればいいじゃん」で片付けられない人がいる。
この日わたしはそんな人を見かけて、一度無視した。
空気を入れ直した自転車はよく弾みながら軽い踏み心地で進む。
9月とはいえ太陽の照りつけは未だ容赦なくて、アスファルトの熱も真夏そのもの。けれどペダルを漕いで、自身で作る風は心地良い。
家にある自転車の空気入れは、今のタイヤの空気口には何かハマらなくて、「減ったな〜」と思ったらパンクとかのトラブルを起こす前に、サイクリングショップに赴くのだ。
今回そこの駐車場に着くと、つなぎ姿の若いお兄さんが元気よく出てきた。すみません商品見に来たんじゃないんです、と遠慮がちになりそうだったけれど、ここはわたしも元気よくいかないと。
「すみません!空気入れさせてもらってもいいですか!」
わたしは【うつ】真っ盛りだけど元々声がでかいのと職業病もあって、他の作業員さんも振り返るくらいの声出しになってしまう。
お兄さんはお買い物目当てじゃないわたしにも、にこにこ笑顔を崩さずに「いいですよ!!」と。
ありがたや、いいひとや、と思いながら心を撫でると、彼は手を店の入り口横にある空気入れのところにササッと向ける。
「こちらにどうぞ!」
そうして前輪から、手際よく空気を入れはじめてくれたのだ。
地味に感動した。
前にも2度ほど同じお店に空気を入れるためにお世話になっている。近いから。営業中は「ご自由にご利用ください」と店外に置かれている空気入れ。
大きな自転車屋さんはセルフサービスで置いてくれてるところが多いと思う。
わたしは毎回「空気だけなんて嫌がられるかも」と思いながらも、声だけはかけていた。
「空気入れさせてもらってもいいですか?すみません」
そこの店舗のスタッフさんは、今回と違う人でも嫌な顔はされなかったと記憶する。「どうぞ!」と気持ちの良い返事をくれて、ありがたく足で踏むポンプ式の空気入れを使わせてもらって。
わたしは「ありがとうございました!」と言って去る。
違う名前の自転車屋で、過去にすごくつまらなさそうな顔で「お使いくださいって書いてあるんでご勝手にどうぞ」みたいに言われたことがあった。
たぶん、買い物目当てじゃない人はお呼びじゃない、みたいな文字が顔に貼り付いていたと思う。
わたしはなんだか腹が立ってしまって、「態度が怖いのでやっぱりいいです、別のお店まで行きますので」
お邪魔してすみませんでした!なんて、喧嘩を買って逃げるみたいに自転車にまたがり直してそこから離れた。
言葉を放ったあとのスタッフさんの顔はどんなだったか知らない。
もしかしたらすごく忙しかったのかもしれない。忙しいとツンケンしちゃう人の気持ちはわかる。
それか、極悪クレーマーへの対応中という絶妙なタイミングでわたしがきてしまったのかもしれない。
向こうの事情があったのかもしれないけれどわたしは傷付いたのだ。上司に怒られるよりショックだった。
商売にならない、得しない、だから知らない、勝手に使えば。みたいな圧みたいなのが怖くて、怒りもあって、啖呵きって逃げたわたしの心臓は怖さと悲しさとなんやかんやで爆発しそうだった。
元気なお兄さんは、いつもわたしが使わせてもらう足踏みポンプのほうじゃなくて、車のタイヤの空気を入れるのと同じような機械で素早くエアーを入れてくれる。懐かしい、カシャンカシャンというリズムが背後からしていた。
カシャンカシャン。
昔ガソリンスタンドで働いていたとき、車のタイヤに使っていたあの音とほぼ同じ。名前はわからない。当時は「エアー」としか呼んでいなかったし。
そういえば、空気を詰め込んだ丸い形の持ち運べるエアーキャリーなら、「空気入れて〜」とやってくる自転車にも使っていたなあ……
「はい、終わりました!」
変わらないテンションで空気口のキャップを締めて立ち上がる青年。髪はほんとに今どきな感じで、イヤリングカラーがお似合いだった。
「助かりました〜!ありがとうございます!!」
彼の空気に感化されて自分も元気に礼を言う。駐車場を出ていくときも、彼は「お気をつけて!」と、タイヤだけじゃなくわたしの背中にも活力をくれた。
ライトとかが調子悪くなったら、ちゃんとこのお店にお礼も込めて貢献しよう。素直に思えたのが嬉しかった。
それから1軒目のスーパーまで走ったんだけれど、やや太めのタイヤが弾む弾む!
お兄さん、どうやら空気も気合もパンパンに入れてくれたみたい。文句はもちろんない。わたしが卵とかをバウンドさせないように気をつければいい話なのだから。
それまで重かったペダル。ほんの少しタイヤが柔らかくなるだけで、川の橋のゆるい上りも腰に来ていたのに、その負担がたちまち無くなった。
軽いなぁ、爽快だなぁ。
スーパーまでの道のりがとても楽だ。きっとこれはあのお兄さんの接客込みの気持ちだと思った。
お肉とお魚を買って、昼の灼熱で食材が傷まないうちに2軒目の薬局へ急ごうと思っていた。
思っていたけれど、お兄さんがメンテナンスしてくれた自転車が元気過ぎた。
買ったものがカゴの中で崩れないように、わたしはゆっくりペダルを踏んでいく。
前方に、何やら危なっかしい足取りで歩を進める男の人がいた。少しだけ幅広の歩道を左右に行ったり来たりで、ちょっとした段差につまづきそうになったり。
おろおろしている感じがして気になって、遠目からよくよく見る。
彼は右手に白い杖を持っていた。
そこは片道2車線の混み合う大通りで、沿う歩道も人通りが多い。スーパーだけじゃなくてバーガー屋さんも本屋さんもスポーツジムだってあるし、自転車もたくさん通るし車も横切る。
ああほら、白杖の先が柄物の洋服を着る女の人の自転車と接触しそうだった。
自転車はうまくかわして、そのまま通り過ぎる。男の人はその気配に怖怖とした様子で、といってもまだ顔もわからない距離なんだけれど。
それでもそう目に映るくらい挙動不審だった。その末に杖を今度はガードレール近くの木に当てていた。
自転車を慎重に転がしながら少しずつ距離が縮まる。
男性は60代くらいで、やっぱりなんだか全然杖さばきに慣れていない感じだった。カツカツ、カツカツカツ。白の棒に映える赤の反射板の先が鳴らす音が聞こえてくる。
彼が来た後方には大きな交差点。渡ってきたのならどうやって?と思うくらいには長い横断歩道なのだけれど。絶対周りの人も目に留まってるだろう不安定な進み。
……最近、そういう環境や生活になったんだろうか。
他人事ながら少し気がかりだった。
わたしが見てる先でも、歩行者や自転車が彼を横切るんだ。ハラハラしながら見るんだけど、通り過ぎる人たちは振り返ったり速度を落としたりしない。
まるで対岸の火事。
なんだか困ってそうだけど、自分には関係ないから。
気になる人はいたかもしれないけれど、結局声はかけずに向こうの信号にみんな急いでいく。
こんなふうに書いているわたしも、その中のひとりなんだと思う。
否定から入るんだ。
だって、この人はいわゆるSOSシグナルをしてないし。つまり立ち止まって白杖を上に掲げて「助け」を求める事をしていないのだ。
電車で席を必要としてそうな人に譲ろうと声をかけても、「大丈夫です」ってピシャリと言われたことはあるだろうか。わたしは何度かある。
そんな感じでこの男性も、人の手を借りず自分の力だけで白杖の扱いに慣れていくことを望んでいるかもしれない。
自転車のカゴには熱に弱いお肉とお魚があるし、このあと薬局ともう1軒スーパーに行きたい。
容赦ない陽射しで目がチカチカする。どれくらいの時間をロスしたら、食材は傷んでしまうんだろう。
そんな言い訳の数々。
考えればどんどん出てきそうで。そんな情けなさを恥じながらも、わたしはゆっくり彼の横を通り過ぎた。
……自転車を降りて、来た道に方向転換したのは、ガラス張りのスポーツジムの前。そのガラス越しにランニングマシンがあって、こっちを向きながら走っている人には、その場に止まって何かをじっと見ているわたしは普通に不審だったと思う。
やっぱり危なっかしかったんだ。
見て見ぬ振りは無理だった。
時と場合があると思う。
白杖の扱いが安定していてゆっくりでも普通に歩いている人もいるし、盲導犬を連れている場合なんかは、むやみに声をかけられない事もある。
でも、もし電車のホームで白い棒を持った人が線路に落ちそうなところにいたら、対岸の火事な人たちでもきっと声を掛けるでしょう?
声をかけて「大丈夫です」と心の通わせを遮断されるのは怖いし悲しいしすごく恥ずかしい。
でも、いつか地下鉄のホームで過呼吸になってしまったわたしに寄り添って、電車を2本ほどスルーしてでも駅員さんを呼んでくれて背中を擦ってくれた、名前も知らない女のひとの心遣いがすごく嬉しくてありがたかった、あのときの感情も知っている。
じわじわっ……と沁みるようなあの気持ちを忘れかけていたなんて、わたしは本当に馬鹿だなあ。
自転車に乗り直して道を戻る。
さあなんて呼ぶ?
おじいちゃんやおじさんは失礼じゃない?お店の中なら迷わず「お客様」だけど。八百屋さんならおとうさん?おにいさん?
ああもう、最初の声かけを決められずに隣まで来ちゃった。静かにブレーキをかけて片足をアスファルトにつけて。
「どこにいくの?」
結局なんて呼ぶかわからなかったし、咄嗟の緊張が高まったときの癖でため口になるわたしを、誰かたしなめてほしい。
男性は声をかけた途端、大袈裟かと思うほどすごく嬉しそうに
「ああよかった!声かけてくれてありがとう!」
と笑った。朗らかで張るような元気な声だった。
目を見れなかった。良心がズキズキする。一度でもスルーしてごめんなさいと。
ああわたしは、比率でいうと圧倒的に多い「対岸の火事」側になろうとしていたんだ。
もしかしたら、過去の冷たい態度だった自転車屋のあの人とも似てしまうところだったのかもしれない。
男性はとある駅に行きたいと言った。
確かにこの道を真っ直ぐ行けば着く。
「でもこっからだと遠いよ、バス使うの?」
「そうなんだよね、この辺からバスに乗りたくて」
そうかそうか、よかった。ずっと歩くと絶対疲れるもん。何より危ないし。
「市バスのバス停なら、来た道を少し戻ったところにあるよ!」
例のスポーツジムのすぐ目の前くらい。そこまでの誘導なら、ヘタレなわたしでも少しは役に立つ。
一緒に戻ろう。
そう言ってもう一度自転車ごと踵を返す。たぶん前輪が彼の靴に当たってしまった感じがして詫びたけれど、声をかけられた事が本当に嬉しかったのか、それで安心感が勝っていたのか男の人はずっとにこにこしていた。
すっぴんで日焼け止めだけして、眉毛は描かず目深にバケットハットをかぶって隠してる、そんなズボラ主婦の顔はこの人には見えていないんだろうな。
……一度無視してしまったわたしの愚行と懺悔も。
「ここ持って良いよ」
片方のハンドルに杖を持たない左手を置かせて、ゆっくり歩く。彼は「ごめんね」と言う。
なぜこのひとが謝らないといけないのだろうか。今後も「ごめんね」と言うことの多い生活を送るんだろうか。
あなたはなんにも悪くないのに。
どちらかといえばあなたを一度見放そうとしたわたしのほうが悪だ。
「ぜんぜん!」としか返せないのがつくづく情けない。
ちょうど市バスが来る。
ほぼ乗らないバスについての知識はちんぷんかんぷんだから、運転手さんに
「〇〇駅まで行きますか!」
と少し大きな声で訊いた。運転手さんはマスクをしていたけれど、瞬きと頷きで肯定してくれて。
わあよかった。
「行ってくれるって。よかったね!段差気をつけてね」
「うん、うん、ほんとにありがとうね!ありがとう!」
彼は自転車のハンドルから手を離して、何故かバスに乗るときはとても慣れたような動作だった。
もしかしたら今日はたまたまひとりで、いつもは隣で補助してくれる人がいるのかもしれない。
そうであったら良いなと勝手ながら思った。
わたしはその後すぐに自転車にまたがった。
執拗に見送りして、彼が優先席に座るなり手すりに捕まるなり、そういうのに集中するのを妨げたくなくて。
背後でバスのドアが閉まる音がして、やっと緊張が溶けた気がする。
特に行き先とか以外の話はしなかったから、彼が全盲なのか弱視なのかは知らない。
どうして駅まで行こうとしてたのかもわからない。あれが行きか帰りかも知らないけれど、無事に着いていたら良いな。
わたしなんかよりも善良な人たちに助けられながら。
例の交差点を渡って、薬局に向かう。
けれど目的のものをサッと買ったら一度家に戻ろう。それでお魚とお肉を傷まないうちに処理して、それからもう1軒のスーパーへお買い物第二弾として行けばいい。
わたしにはこの元気になった自転車があるんだから。
……もしも、彼がまたひとりで歩いてるところを見かけたら、次はスルーせずに声をかけよう。
ほとほと情けない自分だけれど、最後に「ごめんね」じゃなくて「ありがとう」と言ってくれたことが救いだった。
『対岸の火事』
帰宅早々がさごそとエコバッグを漁って、食材を順々に処理していくわたしに、猫が言う。
「母ちゃん?なんか元気なさそうやね」
「……そう見える?」
「ぼくはそんなに目がいいわけじゃないけど、声でわかるよ」
そっかぁ。
「良いことをしたなあ」なんて考えにはなれなくて、今後自身がなるべく「対岸の火事」な人間にならないように云々……と思考はぐるぐるしていた。
わたしは元から生粋の「良いひと」ではないから、意識しなければ、勇気を持たなければ行動にうつせない。
「自分に関係ない知らない誰かを助けるって、やっぱり勇気がいるんだねえ」
鯖を1枚ずつラップに包みながら小さく漏れた声はしっかり猫の耳に届いていたみたいで、まんまるなゴールドの目で少しわたしを見つめたあと、なんだか呆れたふうに視線を流してリビングの窓のそばに向かう。後ろ足もかわいい。
ベランダの向こうの電線に今日も鳥がいるみたいだった。
窓越しに鳥を見上げながら息子はふてくされたような声でぼやいた気がした。
「関係ない知らない」捨て猫のぼくを、迷わずここに連れてきてくれた人間がなに言ってるんだか。
この記事が参加している募集
頂きましたご支援は、執筆活動しか出来ない今のわたしの大きな支えになります。いつも見てくださりありがとうございます。