カクリヨに金木犀が届く頃
体力作りのため、それから今のメンタルを試すため。
激混みであろう土曜日に、家からいちばん近いショッピングモールへ行った。ひとりで。
バッグの中には勿論頓服薬が常にあるんだけれど、こういうときはいつも出かける前に1回飲む。
この日はそれをせずに行ってみようと思った。
「母ちゃん正気?」
準備中、猫が白のダイニングテーブルの上でお座りをしながら、まん丸い双眸を向けてくる。
「まる的にはやっぱり無理そう?」
「無理そう!帰ってきてからバタンってなって、遊んでくれなさそう!!」
ひげ袋、ウィスカーパッドと言うんだろうか。それをぷっくり膨らませて抗議してくる息子の眉間を、いつものように人差し指でなでて宥めた。
この子の言うことはおおかた当たるだろうな、とは思う。だから出かける前にたくさんかくれんぼをして遊んだんやで。
わたしは変なところで自身を追い込みたがる悪い癖があった。
例えば昔は走るのが好きで、実家の田舎町の川沿いを走っていた時期がある。実はここも記憶が曖昧なのだけれど、スニーカーはMIZUNOかASICSだったと思う。
スプリンターでもフルやハーフマラソンでもなく、中距離が好きだったらしい。
ちゃんと頭に記憶している映像もある。
川沿いを走り続けて、そろそろ次の橋で折り返そうと決めるんだけれど、いざその橋まで来ると「やっぱりもうひとつ先の橋まで……」なんてことになってしまうんだ。
それを繰り返すものだから、気付くと隣のそのまた隣の町を示す標識の下にたどり着いてしまっていた。
そんなことを何度もして、ひとりで見境なく遠くまで行き過ぎるのは良くないって言うことで、それからは実家が建っているブロックや隣の墓地の外回りみたいな場所をぐるぐる走っていた。
案外そっちのほうがわたしに合っていた。変わらない景色の中を繰り返し走る、それこそトラック競技の中距離走者のような。
結局足首を痛めて、ひねり癖がついてしまってからはランニングシューズも靴箱の扉の奥にしまわれて、いつしか加水分解していたそう。
そんな感じで、なにかと自身で実験するのが好き、というより本当に癖みたいなものだった。
「肝試し」という言葉が、遠からずかもしれない。
自転車で作る風を受けるのはシンプルなライトグレーのロンTと、夫がプレゼントしてくれてお揃いになったLeeのペインターパンツ。
お気に入りのインポートのローファーで、踏み慣れないペダルを回す。いつも自転車のときはスニーカーが多いから。
気温は、羽織物がなくても大丈夫なくらい暖かな秋晴れだった。
撃沈したんだ。
やっぱりあの巨大ショッピングモールの週末は異様に混む。野外の広場も今日はいつも以上に賑やかで、駐輪場はもう飽和状態。
運良くお帰りになる自転車とすれ違ったから、その空いた場所に停めることができた。
中に入った瞬間目が回りそうで、すでにお手上げ半分。
前の職場の店舗もあるところで、平日とかなら顔を出しに行くんだけれど。先輩たちも流石に忙しいだろうな、邪魔になるなと思って会いに行くのを諦めて、目的だったアパレルショップに恐恐と入る。
そこもやっぱり人と人との距離がすごく近くて普段より繁盛していた。
AWとかFWとか、どっちでもいいけどそんな感じのモッコモコでもふもふでボリュームがある新作の洋服たちも相まって、なんだか導線が狭く思えた。
先日買って気に入ったトップスの色違いだけ、なんとか会計する。
対面式じゃなくてセルフレジなのに、ひとりでずっと緊張しているわたし。
大丈夫、ちゃんと「まずい」と思ったら頓服を飲むんだから。
人気のライフスタイルショップはさらなる人の濁流。ああそうか、今は大変お得なお祭り的期間真っ只中だった。
レジも長蛇の列だったから、今日は秋冬の新作や欲しい感じの食器やファブリックが置いてあるかを、なんとなく見るだけにした。
自分でも呆れる。よくやるよ、なんて。
先のランニングもそうだけれど、終電を見送った真夜中の街を、パンプスやヒールのブーツで4時間弱かけて歩いて帰ることも少なくなかった。
先輩たちには変な心配をかけたし、自身も「何してるんだろうな」みたいに思ったりもしたけれど、やっぱり自分の体力とか気力とかそういうものを試すということに興味があるんだろう。
それでも、それは持久力があった時の話。
仕事中にめまい症になって、それ以降たまに出てくるめまいに怖くなって、接客が怖くなる。
営業中でも帰りの電車でも、意思とは関係なく涙が出てきて止まらなくなる。
それでも職場というトラックに虚ろな目で立とうとするわたしを後ろから手を引き、涙でぐしゃぐしゃな顔と心ごと抱き留めてくれたのがなおさんだった。
「もういいから。十分やから」
……………………。
そこから身体の不調が相次ぎ、果てには【うつ】へと進化?退化?を遂げたわたしは、もう体力も気力も削がれて一度は心が死んだんだ。
最近回復を目指して外を歩いたり、新たに患った機能性胃腸障害の治療もようやく良い方向へ進み出した。
だからちょっと調子に乗ってしまったんだ。
しんどかったけれど、予想の範囲内ではあったから思ったほど頭の中は混乱しなかった気がする。
大人しく洋服一点だけをエコバッグに入れたまま、足早に駐輪場に向かった。
きっと、リハビリのウォーキングにはちゃんと効果がある。どちらかと言うとメンタルのほうへの良い影響が大きい。
でも、
まだまだ足りない。全然鍛え足りない。こんなことでは社会復帰なんて許されない。
わたし自身が赦せない。
少しずつ好転していっているはずの病状と、まだ当分病院通いが必要だと思わされる現実と。
はっきり言うと接客系の仕事において、鬱になる以前のように我武者羅に仕事をこなすことは、わたしにはもう一生無理だと解っている。
接客以外は経験値が少ないのでなんとも。
快活で泣き虫で負けず嫌いで、接客がとにかく好きで、パソコン業務や力仕事が下手。前の仕事は特に周りのひとに恵まれていて、たくさん面倒見てもらった分、下手でも気力で頑張っていた。
頑張れていた。
あの頃みたいなわたしには、もう何をどうしようと戻れない。
……だけど心残りがあるんだ。
当時、大事なタイミングで戦線離脱した未練たらたらな感情は、未だに浄化しきれていないんだ。
辞めたのは結婚して間もなくだけど、寿退社とかじゃない。そもそも辞める気はなかったんだから。
わたしは鬱になって、どんな事情だろうと結果的に「逃げた」ことになるのだ。
「攻めの逃げ」みたいな勇敢なものじゃない。
己の心は既に死んでいた。物理的にも死んでしまわないようにするための、「守りの逃げ」だった。
それがダメ、とかではないんだけれど。
陽がだいぶ短くなって、帰り道は宵の明星を探しながら自転車を転がす。
ぐるぐるもやもやしたわたしの脳に、鼻を経由して届くのは、甘いキンモクセイの香りだった。
どの道を通っていても香る。毎年だいたい自身の誕生日が明けた頃から香りはじめる。
優美で儚くて、果物のコンポートみたいな丸い甘さは、凝り固まるわたしの脳内に音なく溶け込んでくる。
ぐるぐるもやもやな頭が、じんわりふわふわになっていった。
オスマンサスの香りを模したフレグランスが出回る時季なんだけれど、わたし今こそそれは要らないと思うんだ。
本物のキンモクセイを楽しめるときは、それだけでいい。今、自分は天然のパフュームを纏っている。
オスマンサスを表現するために調香した香水を身につけたくなるのは、やがて街中からこの甘美で優しげな香りが消えた頃。
キンモクセイが恋しくなってくる頃だ。
深く呼吸をして、肺にまたふんわりとキンモクセイを巡らせながら、わたしは「幽世」という花言葉を思い出すのだ。
もうすぐなおさんのお父さんの命日がくる。
いつも心優しい言葉をくれるお義母さんは、夫の実家でキンモクセイの風を受けながら、お義父さんのことを想っているのかな。
幽世でお義父さんも、この甘い丸い香気を味わっているだろうか。
一度死んだわたしの心も幽世に居るのなら、どうか大好きだったキンモクセイに安らぎをもらっていてほしい。
強くなりたいし、強く笑えるようになりたい。
記憶が飛んでしまってどんなひとだったかは覚えていないのが悔やまれるけれど、わたし宛に送ってくれて大切に保管されている年賀状の1枚に、筆で大きく書かれた言葉。
『あなたの笑顔が大好きです。
強く、毎日笑っていこうね』
きっと記憶が欠損する前もそれから今でも、この年賀状を見るたびに震える気持ちがある。
沢山のひとに愛されていること。
周りのひとに恵まれていて、想われていること、護られていることはもう十分身に沁みている。
決してすべてを元には戻せないけれど、取り戻せるものはちゃんとまた抱きしめ直したい。
傍に居てくれるなおさんの心だけでも、護る強さと心がほしい。
ついでに、毎日笑えるわたしをもし取り戻せたなら、「おかえり」と言ってあげたい。
今日のあの人混みの中、頓服を飲まずにひとつ買い物ができただけでも偉いと思おう。
はたから見ると微々たるものでも、わたしにとっては大きな進歩であって、足りないものを洗い出せる良い「肝試し」になったと褒めよう。
少し目が眩んで、焦る気持ちもあるんだけれど。
古から邪気を払うと親しまれてきた香りに包まれているのだから、大丈夫。
キンモクセイがそうやって気持ちの揺らぎを和らげてくれる今は、それに素直に甘えたいと思えた。
もう少しこの宵の空気に包まれていたくて遠回りしようかなとも考えたけれど、やっぱり真っ直ぐ帰る。
まるがきっと、そわそわしながら待っていてくれるだろうから。
咲いているうちは、積極的に外に出てみよう。香りが向こうからわたしを追いかけてくる、短くて貴重な時季を楽しもう。
本物だけを味わいたいから、
調香したものたちは、まだどうか邪魔をしないでね。
『カクリヨに金木犀が届く頃』
わたしの大切なひとたちの心も、どうか護ってほしい。
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