頑張っても報われない社会で生きること
以前ブログに書いた内容を掘り出してきて新たに内容を付け加えようかな〜〜っていう取り組み(?)を始める。(時々)
前半はブログからの引用(こちらは2019年4月頃に書いたもの)
東京大学の入学式での 上野千鶴子さんの祝辞が話題になっていますね。祝辞全文はhttps://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html です。
入学式の「祝辞」でするような話ではない、という意見をネット上で少なからず見かけましたがそれは置いておいて、話の内容には 私は素直に感動しました。上野千鶴子さんの思想全て(今までの発言全て)に賛同するわけではないですが。
(一部抜粋)
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
頑張ったら報われる、と思える理由が何なのか少しわかった気がしました。東大志望の人もそうじゃない人も、上野千鶴子さんの思想に共感する人もしない人もこの文章を読むことによって何かしら自分の意見を持ってほしいなぁと思います。頑張りを、自分が勝ち抜くためだけに使わないこと。このことを忘れずに勉強していきたいと思いました。
頑張っても報われない社会のひとつが大学入試だと思います。誰かと頑張りを比較しても結局頑張りを証明してくれるのは結果だけかもしれません。自分がどんなに頑張ったとしても、周りの人は認めてくれないかもしれません。例え頑張っても報われない社会で生きていかなければいけないという現実があるとしても、頑張り続けたいです、私は。自分が頑張ることに何か意味を見出したいです。浪人生活の中で、自分が頑張る意味や理由が見えてこない時が絶対に1度はあると思います。正直、見えてこない時は頑張らなくてもいい、と言える立場に私はないので、見えてこなかった時の自分になにか声をかけるとしたら「例え頑張る理由や意味がわからなくなってしまったとしても、ここで頑張り続けられない人間が受験で勝てるわけがない」と、そう言いたいです。もちろん頑張って頑張って頑張り続けて自分の心を殺してしまうようなことがあっては元も子もないんですけどね。自分自身のメンタルとの付き合い方は最終的には自分でしか答えが出せないものだと私は思っているので。誰かのアドバイスは「参考程度」で良いと思います。
頑張ることは綺麗な言葉だけでは表現できません。夢を叶えるために頑張る、将来のために今は頑張る、と言えないくらい辛い時があります。さっきは厳しいことを書きましたが、頑張ることをやめてみるのも人によってはアリかもしれないですね。頑張ることを放棄したことによって見えてくるものもあると思います。
私が通う大学で ある教授が授業でおっしゃっていた話、というのを最近友達が教えてくれたので簡単に紹介します。当時その教授は海外に滞在していました。
ある日大家さんに「マンションの中庭にロンドン大学の教授がいるから、挨拶をしてきたら?」と言われたそうです。そこでその教授は喜んで挨拶をしに中庭に向かったわけですがその時 中庭には男女夫婦と小さな子供が寄り添っておしゃべりをしていました。
教授はそこで迷わず、『男性』の方に
「ロンドン大学の○○教授ですか?私はこういう者ですが…」と声をかけたそうです。すると、その男性は「ロンドン大学の教授をしているのは妻の方で、僕は専業主夫をしているんだ」と答えたそうです。
教授はとても恥ずかしかったそうです。名門ロンドン大学の教授と聞いて、迷わず『男性』の方に声をかけてしまったことが。
前半は東京大学の入学式における上野千鶴子さんの祝辞の話で、後半は性別に関するエピソードである。
当時の文章は浪人生視点っぽく書かれている。
まずそもそも今の社会は「頑張っても報われない社会なのか?」というところから問うていかなければならないかもしれない。
だがここでまた「頑張っても報われなかった時にそれは環境や社会のせいなのか?(そのせいにして良いのか?)自分のせいではないのか?」という疑問も湧いてくるわけで。
疑問を持ち続ければ持ち続けるほど答えは出ないだろう。私は今の社会を頑張れば報われる社会だとは思わないし、どちらかといえば真面目に生きている人が損をしているという状況が(コロナ禍では特に顕著に)見えてきたように感じている。
でもだからといって「頑張ったのに報われなかった」ことをいつも誰かのせいにしようと思うわけではない。
ただどの程度「環境」のせいにしても良いのかというのは難しい部分があると思う。人生における「選択」に関わる部分は特に。
もっと深掘っていけば、そもそも日本では「頑張ることが当たり前」という風潮がやはり強いかなと感じる部分もある。頑張ることが前提、みたいな....。
まぁまず「頑張ったら報われるんだ」と思えているのかどうかっていう部分もあるのかもしれないが....。頑張ったら報われたという経験がないと、そう思えないのだろうか。それとも他者のそういうエピソードを聞くだけで十分自分も頑張ろうと思えるのだろうか。
疑問は尽きないけれど、ただ私が1つ気をつけていることがあるとするならば、それは「頑張っている人には『頑張って』と言わないようにする」ということである。
最後に、とある知り合いの言葉を紹介しておく。
「信じれば 夢は叶う」
多分それは 本当だ
さらにいえば
信じて
「他のどのライバルよりも1時間長く毎日努力を続ければ ある程度の夢はかなりの確率で」
叶う___だ
キャッチコピーというものは 短い方がいい
でもこれはあまりにも はしょり過ぎだと思う
それじゃまるで「何もしなくても」「ただ信じていれば」叶うみたいじゃないか
この文章を ここまで削ったヤツに
何を思って ここまで削ったのか 問い質したい