3.壁にぶちあたった時に
私の先生は、「全力」という言葉が大好きだった
マガジンにしたはいいが、そんなに話が続かないかもしれない....。
でもなんか懐古したいこともあるし、もう少しだけ続けようかな。
中学3年生。うちの中学の文化祭は9/26からだった。
夏前には合唱曲を決めて、練習を始める。
最後の曲に選ばれたのは、「流浪の民」。
3年生。最後の年。3年連続金賞という目標達成のためにも、「練習」がやはり求められていた。
教室は狭い。声が響きすぎる。みんなの声が大きく聴こえてしまうのは、よくなかった。
教室という狭い場所で、歌声が大きい、よく響いているなんていう自信を持ってしまったら、体育館で歌った時に絶望してしまう。
体育館での練習日は、クラスごとに決まっていた。
貴重な貴重な練習の日。このころのクラスの雰囲気は、なんだかたるんでいた。
「3年連続金賞なんて無理じゃないかな」
「今年は金賞取れない気がする」
そんな声が、クラスではチヤホヤ囁かれていた。
体育館での練習時間になっても、みんなは体育館に移動しようとしなかった。
やっとこさ担任の先生が教室に入ってきて、みんなで体育館に向かった。なんとも言えない空気の中、だらだらとした移動だった。
そんな時である。
「そんなにやる気がないならもうやめちまえ!
本気で練習したいと思ってるなら、1分1秒無駄にしないつもりで駆け足くらいの気持ちで移動しろよ!」
担任の先生の怒鳴り声だった。
みんなはどこかでわかっていた。このままじゃダメだということを。
先生もきっとわかっていたからこそ、きっかけをくれたのだと思う。
どちらかといえば自分が悪者になることによって。
この後結局体育館では練習せず、1度教室に戻った。誰もが無言だった。
やりきれない気持ちを抱えながら。
このままじゃダメだと思いながら。
わたしたちは壁にぶつかって、もう1度「全力でやる」ことの意味を考えるようになった。
1度壁にぶつかったからこそ、「全力でやればこの壁は乗り越えられる」
そんなことに気づけたのだった。
先生はいつだって大切なことを教えてくれた。
みんなが全力で頑張れるように、壁を乗り越えるきっかけをくれた。
「もしかしたら今年はダメかもしれない」
という空気を打ち破ってくれた。
これ以降、私たちが練習にかける時間・想いは一変した。
みんなの表情が変わった。
誰もが金賞に向けて、一直線だった。
この話を書こうと思った時に、思い出したことがある。
私は当時生徒会本部の役員で、文化祭のテーマとテーマソングを決めたりもしていた。
この年の文化祭のテーマソングは、FUNKY MONKEY BABYS の「悲しみなんて笑い飛ばせ」だった。
この歌には、こんな歌詞がある。
越えられない高い壁は ぶつかってぶっ壊して 前に進んでけばいいさ oh oh oh oh
強靭な向かい風は 背中で受け止めて 追い風にすればいいさ oh oh oh oh
不可能なんてないよ 可能だらけさ 絶望なんてないよ 希望だらけさ
私のクラスには、本当にぴったりの歌だった。
私たちの日々の練習の積み重ねは、努力の結晶なんていう綺麗な言葉では表せない。
必死で、泥臭くて、這ってでも進む。そういうものだった。
なんども同じ部分の歌い方を直され、何度も練習した。
何度も歌詞の意味を、表現を考えた。みんなの歌声を聴いて自分も歌った。
そしてうちのクラスの練習の勢いをより一層加速させたのは、ライバルの存在であった。
次はそのことを書こうと思う。