マーガレット・アトウッド『昏き目の暗殺者』鴻巣友季子訳、早川書房
この長編小説を読むのは実は2回め。初読はかなり前のことだったのだけど、読むにつれてだんだん思い出してきた。ある一族の歴史が年老いた主人公アイリスを語り手として語られるが、彼女の現在の様子(いつものようにアトウッドは知的な老女を描くのが本当にうまい)や彼女が振り返る過去の話が交互に出る。当時の新聞の記事が挿入される。さらにはところどころにローラの死後に発表されるハードボイルド風のフィクション『昏き目の暗殺者』が入り、そのフィクション中に男が思いつくままに様々な物語を語る。そんな何重にも込み入った構造。重厚といえば重厚だが、凝り過ぎていると感じる人もいるかもしれない。でも笑ってしまうような皮肉やユーモアもあって、わたしは面白く読んだ。
主人公アイリスには純真すぎて人を苛つかせる妹ローラがいて、いろいろな騒動を巻き起こすので、読者の注意は自然とローラに惹きつけられる。そのそばでローラほど目立たない姉アイリスだが、傾いた家業を助けるため愛せない金持ち男と政略結婚をさせられ、彼女なりに苦しみながら生きている。姉は妹をかばいつつも、当惑し、苛つき、ときに傷つけてしまう。それから夫の姉であるウィニフレッドとの確執。こういう女と女の関係を描くアトウッドの目はいつも鋭い。
さて、2回めの感想としては、小説のプロットとは別に、老いたアイリスが人間の過去について考えをめぐらす言葉に共感することが多かった。過去を書きつけることで過去は変化するのか。痛みは薄まるのか。また、アトウッドが物事を詩的に比喩する表現のうまさ。たとえば妹であるローラが何を考えているのかわからず戸惑う場面で「手袋にいったん手を入れてしまうと手袋の内側のことがわからなくなる」という表現など。こういうさりげない比喩がそこここにある。
あと、今回は作中作『昏き目の暗殺者』のハードボイルドがもろにレイモンド・チャンドラー風で、もうほとんどチャンドラーのパロディじゃないかと思えるぐらいで読むのが楽しかった。アトウッドがこのフィクション部分は楽しんで書いたんじゃないかな。
ブッカー賞とハメット賞を両方受賞した作品。翻訳は鴻巣友季子さん。わたしは原文を読んでいないので翻訳の出来はよくわからないが、非常に凝った日本語表現が多かった。題名のblindを「昏き目の~」と訳したのもそのひとつ。中には「はて、こんな日本語あったっけ?」と思うような言葉もあった。きっと翻訳はたいへんだったのだろう。