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紫式部『源氏物語』瀬戸内寂聴訳、講談社

読み始めたのが7月の終わり。ついにきのう(9月21日)読み終わった。猛暑の日々。わたしの長い夏が終わった……。

あらためて『源氏物語』の感想を書くのはたいへん難しいけれど、まずは思いつくままに書いてみるとー

・現代語訳はいくつも出ていて、寂聴訳は読みやすいとの評判だった。が、読んでみると読みやすすぎて平板に感じた。あとで図書館でいくつか見てみたが、円地文子のが自分の好みだった。リサーチ不足。

・表現にバリエーションはあるものの、登場人物が美しいと述べる記述が非常に多くて、なんだかこの時代の貴族社会は美人ばっかりの印象あり。性格の良さや教養も重要だが、なんといっても容貌の美が一番大事。ルッキズム文学。

・男も女もやたらと泣く。ほんとに涙が出ていたのかと疑いたくなる場面も多い。

・人物が固有名でなく、肩書で呼ばれることが多くて混乱する。たとえば「弘徽殿の女御」は最初に出る人物は意地悪だったが、のちの「弘徽殿の女御」は別人で意地悪ではない。また、誰が誰の子どもなのか、系図をしょっちゅう見ないといけない。見ても忘れる。

・とにかく男が女漁りばかりしている。高潔な人物のはずなのに、美人を見かけるとすぐふらふらする。

というのが素朴な感想です。だけど、じゃあ『源氏物語』はつまらないのかというと、そんなことは全然ない。

・対照的な二人の人物を並べてみせたりなど、構成がうまい。特に感心したのは、夕霧と柏木という二人の対照的な男のドタバタ気味の恋愛騒動をうんざりするほど長く書いたあとで、いきなり紫の上が死に、源氏が死ぬ。この高貴な二人の死があっけなくて、よけいに悲しい。また、源氏については、紫の上の死を悲しんで出家の準備をしているところで終わるのだが、次の「雲隠」の巻は名前だけで中身はない。その次の巻で読者はいきなり「源氏の君も亡くなったので…」と告げられる。この斬新さ。とても平安時代の文学とは思えず、ほとんどモダニズム。

・一番良かったのは、最後の浮船の話。薫と匂宮が二人それぞれ真剣に浮舟に恋していたはずなのに、浮船が身投げして死んだ(と思った)あとは、けっきょくいつもの生活に戻って女漁りを再開。堅物であるはずの薫も、である。この滑稽さ。苦さ……。そして、長い長い物語の最後は、「ここで終わりのはずがない!」と読者が叫びたくなるような唐突な終わり方。素晴らしい。

・長い物語を読み通してしみじみ思うのは、光源氏以降出てくる主人公的な男たちはみんなまったく成長していない。いつまでたっても、どんな悲しいことがあっても、これまでの女漁りを繰り返す。でも女たちの方は、「変わりたい。この苦しみを抜けたい」という思いが強くあって、全体に見ると、多くの女たちを全体として貫く、微かな成長があるような気がする。特に最後の浮船が、強引に出家し、どんなことがあっても男たちに会おうとしないところ。まわりから「情が冷たい。頑固すぎる」と思われても意志を通すところが本当によい。

ということで、大河ドラマをきっかけについにこの名作を読んだわけですが、読んでよかった。そして、わたしごときが言うのもナンですが、紫式部って天才です。



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