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寂しいって、愛しい。

東京都に緊急事態宣言が発令されて、1ヶ月半ほど。

それまで当たり前に毎日会っていた同僚や友人と会えなくなって、面と向かって人と話さなくなり1ヶ月半。週に2回の食材買い出しと早朝のウォーキングを除いて、外に出ることはない。

もともと1人の時間が好きな私にとって、外出自粛はそこまで苦ではなかった。執筆も仕事も、むしろ捗る。睡眠時間も前より確保できているし、働き方改革の最後尾にの方に並んでいた広告代理店も、一気に前に進んだ気がする。

だけど、春から初夏に移ろう季節を眺めながら、今思う。


「寂しい」


暑いね、とか、日が長くなったね、とか、爽やかな空だね、とか、もう梅雨かな、とか、その夏服可愛い、とか、冷やし中華始めようか(笑)とか。そんな他愛ない会話をしたい。同じものを見て、同じ空気を吸って、感覚を分かち合いたいという欲求。

一度自覚したその欲求は、どんどん大きくなる。寂しい。誰かというわけじゃないけど、当たり前に毎日会っていたみんなに会って、生のやりとりがしたい。

この状況になって気づいたことがもうひとつある。生のやりとりが、いかに多くの感覚器官を使って行われる高度なものか、ということだ。

言葉の間、些細な表情の変化、声音、呼吸の取り方、手足・体の動きから発せられる、言外のシグナル。

それらは、時に読み取りすぎると疲れてしまう「他人の本音」であり、コロナ以前の毎日では、ともすると私にとって「煩わしいもの」「頭を悩ませるもの」「情報過多で重いもの」でもあったかもしれない。

でも今は、それがなくて寂しい。みんなと細やかな、煩わしい感情のやりとりがしたい。思いは募る。


そしてオンライン飲み会で、思わずこの気持ちを漏らした。

無理なの分かってるけど、みんなに会えなくて寂しいよって。


同僚や友人は驚いた顔を見せた。「あなたがそんなこと言うと思わなかった、1人で快適に自粛を謳歌してるタイプだと思ってた」そう言って笑った後、みんな口を揃えて寂しい、会いたい、そろそろ限界だと本音をこぼした。生のやりとりをしたい、と全く同じことを言った人もいた。

寂しいね。

会いたいね。

恋しいよ。

そんな、コロナ以前だったら恥ずかしくてなかなか言えなかった言葉が、不思議なほど自然に口から出てきてオンラインの場を飛び交っていた。

私はそれで、なぜか安心した。みんなと繋がってる気がした。


もちろん、だからと言って寂しい気持ちは消えない。状況も変わらない。会うこともまだしばらくはできないだろう。

だけど、寂しいって悪者じゃない。ネガティブな感情と捉えられがちだけど、きっと違う。根本にあるのは、分かち合いたい、笑い合いたい、相手を知りたい、触れ合いたい、という前向きな気持ちなんじゃないか。そしてその気持ちが、人と人をつないでいる。

そう思うと、寂しいって、すごく愛おしい。

自粛が続いても、まだしばらくはこの気持ちと寄り添って過ごしていける気がした。オンラインで、言外のシグナルを送受信できない環境だからこそ、言葉で誰かと繋がっていく方法を考えようと思えた。



コロナが私たちの生活にもたらした変化はとても大きくて、寂しいなんて可愛い感情が済まされない人も多いだろう。

だけどどうか、大変な日常の中で、寂しい、辛い、悲しい、というあなたの気持ちが悪者になりませんように。

その気持ちが、人と人をつないだり、事態を打開する糸口となりますように。

そんなことを思いながら、私も自分にできる精一杯として、今日もおうちに引きこもり、情報を発信していきます。


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