まさか助六だったとは
大学生の頃のお話です。
私は常に出席日数の足りないダメダメ学生だったのですが
1人、私にとても良くしてくださるおじいちゃん教授がいました。
おじいちゃん教授…S教授と呼びましょうかね。
S教授は近世文学の先生でした。
いつも出席日数が怪しい私に「優」をくれる優しい教授だったのですが、
ある時、その教授に勧誘されます。
「私がやっている研究会の部長になってくれないかい?」と。
毎日大学にちゃんと通えるかも怪しい私にとって研究会の部長なんてとても務まりそうにありませんし興味もなくて。正直に言うと嫌でした。
(あっ!そういえば私、美術部に入ってるんだった!!)
油絵セットを使ってみたいという理由だけで美術部に幽霊部員として在籍していた私は、
堂々と
「私、美術部に入っているんです。かけもちはちょっとできません」
とお断りしました。
3日後、またS教授に捕まりました。
「美術部の先生に聞いたら、君はヒラ部員らしいじゃないか。それもほとんど行ってないらしいね。美術部と僕の研究会、かけもちで入ってくれないかい」
まさか1度お断りしたのに美術部の先生に私のことを聞きに行くとは…少しビビりました。
なんだかますます入るのが嫌になりました。
それから、何度断りましたかね。
3度ほど、あれこれ理由をつけて断って…
1度は家にも電話がかかってきたので母からも心配されました。
「本当に無理なんです!!!」と、
少し強めに断ったところ…条件を緩めてくるS教授。
「じゃあ、こうしよう。もう部長というのは名前だけでいい。ミーさんが好きな時に出席してくれたらいい」
(え?好きな時で良いの?)
少し心が傾きかけたその時、
「そして!研究会に出席してくれた日はお寿司をとろう!!約束だ!!私はミーさんが来てくれたらお寿司を出す!!」
は?
お、す、し、を、だ、す
「え?お寿司ですか?」
「そうだ!ミーさんはお寿司は好きかね?」
「大好きです!」
「じゃあ、決まりだ!ミーさんが来てくれた日は寿司だ!入ってくれるかね?」
「…はい」
私はお寿司につられて、近世文学の研究会に入りました。
自分でも情けなかったとは思います。
「忙しいので入れません〜」と散々断っておきながら、結局お寿司につられて入ったのです。
私の中で何か罪悪感のようなものが芽生えました。
入るなら最初から入れば良かったのです。それがお寿司を提示されて入るなんて・・・バカバカバカ。
私が出席した第一回目の研究会。S教授はとても喜んでくれました。
その日は私を入れて5人くらいの学生が集まっていたので、
「ぼくを入れて6個注文だな!ミーさんが来てくれたからお昼はみんなでお寿司を食べよう!」
どうしよう・・・。
出席したら本当にお寿司を出してくれるみたい。
私はドキドキしました。近世の研究どころではありません。寿司につられて研究会に参加している自分について考察したいくらいです。そんな自分が恥ずかしくて逃げたくなりました。
お昼になりました。みんなで食べられるように場所を移動して・・・
届いたお寿司が配られます。
他の学生さんは「温かいお茶でも淹れてきましょうか」と気がききますが私は緊張で何もできません。ただ突っ立ったままお寿司を受け取りました。
助六でした!!!
あれ?
あれ?あれ?あれ??
いや、助六も立派にお寿司です。いなり寿司と巻き寿司ですね。あっ「助六」とは歌舞伎の演目「助六」のお話から名付けられたそう↓
助六寿司の「いなり寿司」は油揚げの「揚」で、「巻寿司」の「巻」と合わせて助六の恋人「揚巻」となることから、江戸っ子の洒落で「助六寿司」と呼ぶそうです。また別の説では、鉢巻を巻いている助六が「巻寿司」、揚巻を「いなり寿司」に例えて、二人が添い遂げる様子を寿司で表現したからとも言われています。
いなり寿司も巻き寿司も好きですよ、好きですけれど・・・
私の中でのお寿司のイメージって、こんな感じだったわけですよ。
それが、実際は
・・・ちょっとね、思いましたよね。
まさか助六だったとは!!!
その後、真面目に通うようになりました。お寿司目当てだと思われたくなかったのでお昼時を避けて。
まったく興味のなかった近世文学を卒論にも選んで、私は卒業までそのS教授にお世話になりました。
今思えば、大学を休みがちな私をどうにか来させるように努力してくださったのかな。もしかして江戸の文化を助六を通して伝えたかったとか?
私の想像していたお寿司ではなかったけれど、ちゃんとみんなに助六をふるまってくださったし。
恥ずかしかったからこそ、その後の勉強も頑張れたし・・・。でも、助六。
若かったとはいえ、食べ物につられた私のトホホな助六話でした。