わたしの【想い】にこそ、価値がある
子どもが生まれてから、
お金を払って学ぶことをたくさんしてきた。
今までの自分にはない視点を学ぶことで
たくさん感動してきた。
その想いを綴るためにインスタに投稿してきたりしていたのだが、
時折思う、『はて?この投稿はなんのためにしているのだろう…』
ただの自分の感想であれば、自分のノートに書き留めればいい。
投稿にするのであれば、もっと人に伝わるように
もっと人の役に立てる情報の方がいいのではないのか?と思うようになった。
だけど、その情報はわたしが勉強してたどり着いたものではないし、講師の方が有料で出しているものなので、果たしてわたしなんかが出していいのか?なんてことを考えるようになった。
表面的な理解ではいや、もっと深く学んでわたしも根拠を理解したら、正しい情報を出せるかも!と思い、学びを深めた。
そして、今度は学びを深めたにも関わらず、
『わたしなんかが出す意味あるのかな?もう知っている人はたくさんいるし、もっとすごく深い知識を出している人はいっぱいいる』という想いが出てきたし、
『正しい情報を出さねば』と思っていたのに、情報だけを出そうとする自分に違和感も感じようにもなった。
どんどん身動きが取れなくなっていった。
2月から入っているコミュニティ
【しあわせと豊かさの学び】の講座の中で
『流れは自分から作る』という言葉を聞いた。
それはお金や何かモノをあげる、だけではなく、
自分から挨拶をする、とか
想いを伝える、とかそういうことでいいんだよ。
とまみさんは伝えてくれた。
その言葉が頭から離れなかった。
わたしはまだ人に与えられる商品などはないけど、想いを伝えることからでもいいんだ、と知って、それからは自分に湧き出た想いを伝えるようにした。
(今まではわたしなんかが伝えても仕方がない。相手はわたしのことなんて知らないのに伝えるなんておこがましい、、、そんな想いがあって伝えることなんてできなかった。)
自分が感じたことを文字にして人前に出す。
自分の心の中の想いを言葉にして声に出す。
『わたしなんかがしても何の意味があるのだろう』そんなことを思わなかったといえばウソになる。
ビジネスについて学ぶようになったときには
『誰かに届けるために、やらなければ!!』なんて力んでいた時もあった。
でも、そんなことを手放して
とにかく自分の想いを言葉にする。
それだけを意識して、繰り返してきた。
そしたら、わたしが感動したことについて発信したら、ある1人の方が受け取ってくれた。
自分の出した想いに反応があったことがただただ嬉しかった。
そして、まみさんが伝えてくれた。
『みぃちゃんの純度の高い想いを発したから、この循環が生まれたんだよ。これをしたら何かいいことに繋がるかな、なんていう損得勘定を持たずに、自分の想いを出したからだよ。』と循環について教えてくれた。
あぁそういうことなんだ…。
純度の高さって。
わたしはわたしが感じた想いを言葉にのせるだけでいいんだ。
そのことがわかったら、
もうひとつ腑に落ちたことがある。
『自分が自分自身を唯一無二の存在だと認めてあげる』ということ。
わたしが今感じ、わたしの中に浮かんだ想いは
この世の中で1つなんだから、
その想いを『わたしの想いなんか…』と否定する必要はないんだと。
そして『今』感じたことは、もう【今】しかなくて、同じ自分でも、今は今しかない。
だから、『タイミングは今じゃないんで』ということも必要ないことだということに気づいた。
【今】の【わたし】にすでに価値があるのだから
わたしの想いをもっと大切にしていいと思った。
そして、その想いを出すから、世界は動き出す。
わたしは自分が感じたことを
見逃すことなく、自分の中に留めることもなく
世の中に放った。
わたしには何にもない。
そう思っていたけど、わたしにはもうすでにあった。
わたしの中には【わたしの想い】という価値あるものがすでにあった。
その価値ある【自分が感じたこと】を
見逃すことなく、自分の中に留めることもなく
世の中に放った。
そうしたら、ここに書いてきたことに気づくことができた。
わたしの世界はまた広がったのだ。
自分自身を認め、あるものに気づき、それを放つ。
出したから、ここに辿り着くことができた。
【出す】から循環して、わたしのところに返ってきた。
大事なものは知識ではなかった。