ナミビアの砂漠
主演、河合優実。
特に映画の内容は知らないで観に行った。
平日の午前中にしてはそれなりに人が入っていて単身の客が多かったように思う。映画を見始めると河合優美演じる主人公が結構脱ぐ。なんならおっぱいも出ていた。久しぶりの映画館で気のせいかもしれないが、やたらと男性客が多いことに妙に納得して、気持ち悪っと思った。その嫌悪感も含まれているような映画だった。
観ながら、この映画のテーマは何なのだろうとか、何を伝えたい映画なのだろうとか、どんな売り文句が書かれているのかとか、Filmarksではどんな感想だろうとか、余計なことを考えていた。つまるところわからないことが多い映画だった。
よくわからない、という投げやりな感じではなく、え?どうなった?といきなり話が分断されたり、これは何のシーンなのだろう、と説明がないことが多かった。会話の中で、実はそういう設定だったんだと気がつくことがほとんどで、あとからなるほどと思うこともあれば、その行間は自分で噛み砕くしかない。あの映画にあと何が必要で何が不必要かと言われると、過不足はない気はする。
パンフレットを買って読んでからカナが付き合ってた彼氏の名前を知った。
彼らが暮らしている空間を含め、行動や言葉には妙なリアリティがあって、それは妙な安心感がある。映画に対しての信頼みたいなものかもしれない。
冷蔵庫から食べかけのハムを出してむさぼるカナの姿やハンバーグを食べてる時、ケチャップとソース机に出しておく感じとか。背伸びしすぎない生活空間にどこか見覚えがある。あぁ、このくらいの年のときにはこのくらいの部屋に住んでいたなあ、みたいな。懐かしさを伴っている反面、今この街のどこかでこういう人たちが生きているドキュメント的なリアリティがあった。
映画の3分の2くらいまでは結構真剣に観ていたけど、だんだんと笑けてきて、あ、この映画笑っていい映画か、と気が付く。
カナという人物は、きれいでおしゃれな子、でもなんかちょっとヤバそう(実際結構ヤバい)、みたいな子で、自分だったら友達にはなれないだろうし、生き方に共感ができるかと言われたら今はもうできない。かつてはできたかと言われると、それもほぼないのだけど、わかる部分はあるという感じ。周りにいるかと言われるといないし、ああいう子が実際にいるのかどうかもわからないけど、なんか、わかる。そういう感じ。
たばこめっちゃ吸うし、だらしないし、人任せだし、お腹空いたら機嫌が悪くなる。遠ざけたい嫌悪感がある。だけどなんかわかる。見離せない。
会うのが待ち遠しかった男と一緒に暮らしてみたら、全然構ってくれないし、家族を紹介する場では放置され、いなくなったかと思って探しに行けばドラッグ?を吸っている。絶対に仲良くなれなさそうな女が彼氏に話しかけてくる。寝てしまった彼氏の横で帰りて〜というカナの背中に畳み掛けてくるのは彼氏の母親、上から目線で語りかけられる。無理。カナの表情が語っている。こうありたかった自分になれなかった自分と、いまいる環境が無理すぎる状況、心情は一切説明されないけれど、想像すると結構辛い。どうしようもない。
引っ越しの時に見つけてしまったエコー写真がカナの頭の中にずっとくすぶっている。妊娠している女をみれば、もしかしてと思ったかもしれない。
彼氏に対して理不尽にキレ散らかすカナに「うわ〜やべ〜」と思っているわけだが、キレている理由とかきっかけは理解ができて、キレたことに対しての彼氏の態度とか言葉とかに対してさらに苛ついてしまうのもわかる。
過去の彼女を妊娠させてしまって子供をおろしたことがあるという事実をだまっていた彼氏側の気持ちと彼女側の気持ち。このやるせなさをうまく描いている。そこには言葉にならない感情があって、もやもやして、いらいらして、でもどうしようもできなくて、そこに対して冷静な彼氏と、うまく飲み込めないし自分をコントロールできないカナ。
それにしても、ホンダ(元彼)にしても、ハヤシ(今彼)にしても優しい。彼らはカナを見離せない代表だ。
そしてこの映画は終わらない。
映画としては終わるけど、丸く収まらない。
映画って何だっけ。
そもそもそんなことちゃんと考えたこともなかったと思う。
作り手の意思で、役者の意図とは違う結果にもなったりする。その逆もまた然り。
パンフレットにはラストカット用にもう1カット撮っていたけど使われなかったと書いてあった。ラストもあのあとにもう少し意味のある表情になったけどその前に切られていた、と。
どこでどう終わるんだろうとは思っていたけど、そこかあ、ああ〜と思っているうちにエンドロールのナミビアの砂漠が映される。というかそう思って観てはいたけど、それがナミビアの砂漠かも知らない。異国の砂漠の水場に草食動物であろうものが水を飲みに来る。そういう画だ。
別に明確に説明が欲しいわけではないけど、観た人間は少し考えさせられる。結局ナミビアの砂漠ってなんだったの?どういう意図なの?
結局それも答えは出ていない。
それがよい映画というのもあるのだろう。
河合優実でなかったら、
そう考えたとき、もっと許せなかったかもしれない。素晴らしいキャストの化学反応でもあった。
甘いのとしょっぱいのうれしい。
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