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今年の抱負

新年あけおめございます。
気付けば一週間が経ちましたが、2024年という響きに全く慣れません。僕の中ではいまだに2023年が新しさを保っています。一桁が偶数やとなんか丸っこくて新しい年って感じがしないんですよ。この感覚分かる人いますかね。

ちなみに今日、1月8日は山田杏奈さんの誕生日ですおめでとうございます。昨晩は「ウルトラマンDASH」に出演してはったのでTwitter上では「妻 山田杏奈」を始めとするたくさんのご尊顔ツイートを拝めました。もう本当に愛くるしい。

あと「KOK2023」の日でもあります。音源をほぼdigらない典型的バトルヘッズの僕による優勝予想は、「Authority」です。とりあえず小節の初めに「AHHHH」ってがなり声を出せば勝てます。あと、純粋に勝ってほしい。ベスト4予想は「Authority」「MOL53」「漢a.k.a.GAMI」「SAM」、決勝は「Authority」と「SAM」でいきます。



年末年始は5日間ほど滋賀に帰ったんですが、今回の帰省は僕にとって本当に素晴らしい時間となりました。過去1素直に親と話せたからです。

いつからかなんてもう覚えていませんが、幼い頃から僕の中には親と話す事へのうっすらとした抵抗感がありました。理由はいたって単純で、どこか恥ずかしかったからです。

家にいる時に何か話題を振られても必要最低限の返事しかしてませんでしたし、隙あらば自分の部屋にこもってました。学校での姿と家での姿は自分でも分かるほどに違っていたので、近所のフレマやイオンなんかで親と買い物をしてる時に友達と会ったりすると本当にきつかったですね。とにかく会話をするのが嫌でしたし、めんどくさいとばかり思っていました。

まあこれを「思春期」の一言で片づけてもいいんですけど、なんともくだらない理由でひどい事をしたな~と今は反省しています。反省7割、後悔3割くらいですかね。

ちなみに僕は俗にいう「反抗期」を経験していません。していないどころか、その事を我ながら誇らしく思っている時期すらありました。「おれはその時の感情任せで親に暴言(例:『黙れ』『氏ね』)を吐いたことなんてないぞ、なんて良い子なんだ」といった具合に。

でも今考えてみると、何かで怒られている時にその言い方は嫌だなとかそこはちょっと違うぞと感じてもそれを言い返す勇気が無いだけでした。勇気なんて綺麗なもんじゃないかもしれないですね。親を信頼していなかっただけのような気もします。そら暴言は不要ですけどね。あとはまあ両親ともに理不尽な怒り方をしてきた事がほぼ皆無だったので、まともに言い返す言葉が無かったというのもあります。

だとしても、もう少しくらいは子どもらしくその時々の感情に任せて親と正面からぶつかる経験をしておけば良かったんでしょうけど、それができないままずるずると年を重ねたせいでこのありさまってわけです。


考え方が変わるきっかけとなったのは留学でした。

留学中はたくさんの人から色々な価値観を学びましたが、その中でも「家族」の面で僕に大きな影響を与えてくれた人がいます。その人はとにかく家族を大事にしていました。何をどう大切にしていたかはうまく説明できませんが、少なくとも自分とは明らかに違う信頼関係だな~と感じましたし、自分もこのくらい家族を大事にできる人間でありたいと率直に思いました。

なのでまあ自分の内から湧き出た純粋な気持ちというよりその人に感化された真似事みたいな形ではあったんですけど、定期的に親と電話をするようになりました。やっぱり親はとても喜んでくれましたし、その頃から少しずつ今までの自分の親への態度を顧みるようになりました。


あとは就活の影響もあります。

自己分析を進めない事には就活が進まなかったので留学の後半からちょくちょくやっていたんですが、自分の人生を振り返れば振り返るほど親へ感謝しなければいけない事の多さに気付きましたし、それに対するこれまでの自分の感謝の少なさも露呈していきました。共働きでも基本的にご飯を用意してくれていたとか、私立の高校の学費とか、スキー部にかかった費用とか、とかとか。

それから、親と過ごせる残りの時間の少なさにも驚きましたね。社会人になってもし一人暮らしをすることになれば、今以上に実家に帰れる時間は減ります。1年に一回、例えば年末の3日間だけ帰省すると考えた場合、親の寿命にもよりますが100日もあればいい方という計算になります。なんなら帰省中全ての時間を親と過ごすというのはほぼありえないのでもっと少ないですね。

冷静に考えてやばくないですか。これを意識してる同い年ってどんくらいいるんやろとか思ったんですが、こんな重たい事、ましてや親が死ぬ時期なんてものを計算してる罰当たりな人間がそもそも極少だと気付きました。まあそれでも僕は定期的な死への意識は大事派なんですけどね。


12月30日の朝、父親はまだ出張に行っていたため母親と二人で朝食を取っている中で珍しく自分から話しかけてみました。行きたかった企業から内定をもらえたこと、なぜそこに行きたくてこれからどんな人生を歩みたいのかということ、そしてもうこれで就活を終えるつもりだということ。

家族のグループLINEで既に内定の報告と大まかな今の考えを伝えてはいましたが、やはり言葉というのは直接伝えてこそですね。そこからは留学の話とかもっと昔の話、つまりは雑談をしました。1時間くらいは喋りましたかね、間違いなく人生で1番長く母親と話しました。なんか単純に楽しかったです。小学生の頃、友達の妹があまりに可愛すぎて妹か弟が欲しいと毎日のように言ってたんですが、結局僕はいまだ一人っ子のままです。ほんでその事を軽く謝られたんでびっくりしましたね。むしろ一人っ子で良かったと熱弁しました。

次の日帰ってきた父親にも話をしました。父親に対しては昔から「尊敬」と「恐怖」という二つの印象を抱いてきたので、同じ話をするにしてもそこに対する心構えというのは母親の時とまるで違います。ただまあ、今自分が自分の将来に対して思っている事は全て伝えました。こちらも同様に楽しかったです。

もっと早くこの域というか考え方に達していたらどれほど家での居心地が良かっただろうかとも思いましたが、この時期までくすぶっていたからここまで真剣に家族について考えられた気もします。


そんなわけで今年の抱負は「もっと素直になる」です。これは家族だけでなくて友達に対してもです。こいつのこういうところ好きやな~とかかっこええな~と思ったらなるべく純度100%で伝えられるようになりたいですね。なんか今まで「人との関係を大事にする」事の大切さというか方法を勘違いしてた気がするので、その分これからは友達を大切にしたいです自分なりに。

逆にそれは違うくないかと思ったらちゃんと言えるようになりたいですね。僕はこっちが特に苦手ですし、そのせいですごく仲良かったのにだんだん一緒にいるのがしんどくなってきて、それを我慢するのも限界が来て、遊びに誘われても断るようになった友達というのが今まで何人かいます。一緒に心地いい関係を築くには時として必要な決断ですし、それが言えないなんてもはや友達と呼べるのかと頭で理解できるほどには成長しました。あとは行動が伴うのみ。


それから「たくさん本を読む」と「日本史を勉強する」もですね。

いまだ仮部屋に避難生活をしているせいで部屋にWi-Fiが無いんですが、おかげでYouTubeを見ずに本を読む時間が増えました。脱スマホ脱スマホ。本を読んでる時間ってやっぱり特別な力があるな~と感じますし、読書に集中できない時って何かしら自分の精神状態に問題がある事が多いので自己診断にもなります。ちなみに今は「海辺のカフカ」を読んでます。記念すべき初めての村上春樹作品です。

あと卒論のテーマが坂本龍馬から変わりそうです。なんか調べていく中で、坂本龍馬って司馬遼太郎バフがかかった偉人説が浮上してきたんですよね。「幕末の風雲児!」「薩長同盟の立役者!!」みたいなイメージがあったんですが、実はそこまで直接的な活躍をしてないらしくて。『竜馬がゆく』はファンタジー要素込みで楽しむ作品でしょうからそれで良いんですけど、坂本龍馬をテーマに卒論を書き進めるのは一度考え直そうとなりました。

ほんならテーマどうしよっかな~とか思ってたんですが、昨日から始まった新しい大河ドラマ『光る君へ』が予想以上に面白かったです。お正月に祖父母の家に行った際に祖母からこの作品の話を聞いたのがきっかけで見ました。最近は大河や朝ドラを見れていませんでしたが、小さい頃は割と好きだったので懐かしくなりましたね。

なんかここで卒論のテーマを平安時代にしたらすごく自分らしいなとは感じてます。僕の人生における決断の多くは直感によるものです。目の前に突然きっかけが転がって来たらあんま考えずに「あ、これでいいか~」ってノリで選んできました。たまたま今年の大河のテーマが紫式部で、平安時代で、ワクワクしたってだけですが、このまま来年の卒論提出の日まで突っ走ってるかもしれませんね。

とはいえ幕末も捨てがたいんですよね。龍馬一本で書くのはやめる予定ですが、倒幕から開国までの流れ自体にはとても興味があります。

幕末って日本に「写真」という文化がやって来た時代なんですよね。学校で歴史の授業を受けていても「これってほんまかよ~」って思う事が多々ありました。だって縄文も平安も鎌倉も確かに実在はしたんでしょうけど、文字による記録なんて当時の権力者たちの都合のいいように書いて後世に残せるじゃないですか。500年前とか1000年前ってもう数字がでかすぎてそれだけで頭がポカーンとしてました。

ほんでですよ、これだけ長い日本の歴史において幕末ってのはたった150年前の話なんですね。自分のおじいちゃんのひいおじいちゃんが生まれたくらいの時代と考えれば一気にリアリティが増すと思いませんか僕は思います。昔「徳川慶喜を見た事がある人まだぎりぎり生きてるんじゃないか」て企画の番組を見た時もすごくわくわくした記憶があります。

歴史ってどれだけ資料が見つかっても100%の事実に辿り着けることは無いでしょうし、言い換えればみんな好き勝手に想像できるわけですし昔であればあるほどその余白は大きいわけです。小さい頃は、圧倒的にリアリティがあって当時の暮らしをイメージしやすかったんで幕末が大好きだったんですが、大きくなるにつれて平安時代とかの良さも分かり始めてきました。

そんなわけで、卒論では「平安」か「幕末」のどちらかを選んで当時の人々の暮らしを知っていけたらなと思っています。



あ、あともう一つ大切な目標がありました。「睡眠の質を上げる」。
前の記事にも書きましたが、数年規模での慢性的な睡眠不足ですし、特にここ数日はあまりの眠りの浅さに自分でも絶望してます。なんかほんまに毎日寿命が縮まってる気がします。何も考えずとも7時間くらいぶっ通しで寝られていた体に戻ってくれ~、なんて思いながらこの文章を書いてる時刻が3:06なので最悪です。もう寝ますさようなら。


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