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読みたくなる文章


noteで文章を書くようになってから
文章についてよく考えるようになった。


自分が書くときは、なにをテーマに書こう。
どうしたら読みやすくなるだろう。
読んだ人はどう思うだろう。と考えるし
こうして発信してる以上、
どんな文章なら読んでもらえるだろう。
フォローしてもらえるんだろう。と
「文章を書きたい」以上の欲もでてくる。




自分が読むときも、もちろん記事を選んでる。
それで多分わたしは、読む記事と好きな記事の傾向がある程度固まっている気がする。


まず読む記事。
文章を読むというのは、それだけでなかなか労力を使う。
だから論文みたいな記事は読まないし
あとはノウハウ系や、あなたもこうしてみては?というテクニックが書かれたような記事も読まない。
悩みを解決しようとか、自分を変えたくて記事を探してるわけではないからだ。

だから気楽に読める記事がいい。
極端にいうと疲れているときでも読める記事。


そして好きだなあ。と思う文章は
人間くさい文章であることが多い。


なにかに悩んでいたり、怒っていたり、悲しんでいたり、苦しんでいたり、愛や、やさしさが溢れていたりする、人間くささダダ漏れの文章に魅力を感じる。


文章の上手い下手ではないと思う。
その人の人間味を表している人間くさくて
カッコつけてない文章は親しみを感じるし
売られてる本では読めない価値を感じる。


そう。カッコつけてない、というのも
わたしの中で大事なポイントかもしれない。
ありのままの、自然体の文章がとにかく好きなのだ。



おしゃれなことを書いてうまくまとめられた文章は、どこか「こう見られたい」という気持ちが透けて見える。
そんな自分を褒めてほしい。素敵って思ってほしい。というのがチラチラ見えてしまうと
なんだか気が散って話が入ってこない。


だからおしゃれさや文章の上手さみたいなのは
わたしはそんなに大事だとは思わなくて
むしろ「今日の夕食はカップラーメンで、風呂にも入らず寝てしまいました。」
という文章の方が、続きが気になるし読んでしまう。



ありのままの日常と
それに対して思ったことをそのまま綴っている文章は、その人が生きてることを感じる。
そういう人間くさい、生きてる文章が好きだなあと思う。


そして、その生き方や考え方に共感できたり
やさしい気持ちになれたり
自分が気づかなかった視点で物事を見ていたり
知らなかった扉を開けてくれる文章を書く人は
この人をもっと知りたい。考えに触れてみたい。読みたい。と思ってフォローする、ことがわたしは多い。





そしてそういう文章が好きということは
自分でもそういう文章が書きたいのだと思う。

気楽に読める。
ありのままを綴っていて自然体。
カッコつけてなくておしゃれぶってない。
悩んだり、怒ったり、人間くさい、
生きてる文章。




自分の記事を読み返すと
やたら文字数が多かったり
内容をこねくり回して読みづらくなっていて
気楽には読めなかったり
なんかカッコつけてるときもあって
よく偉そうに、こんな文章が読みたい。なんて言えたもんだという記事のパレードだ。
自分は書けないくせに。
本当すみません。大目に見てください。


でもだからこそなんだと思う。
自分に書けないからこそ、憧れる。
すごいなあ。と思うし、読みたいなあ。と思う。


文章を書くってむずかしい。
でも楽しい。

一人で何年も日記を書いていたときも楽しかったけど、
noteを始めてからはもっと文章が好きになったし、文章について考えるようになった。



わたしもいつか、こんな風に書けたらいいなあ。
そう思いながら、今日もnoteの記事を読んでいる。




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