嵐のような下の子のイヤイヤ期と、愛する幼稚園の先生達
うちの上の子は2歳になったくらいから言葉が達者だったので、イヤイヤ期にはすでにイヤな理由を説明するだけの語彙力があって、あまり苦労しなかった。
でもおおらかな下の子は、適当な長文を2歳になった頃からずっとしゃべっていて「○○ちゃん*#<%*$ちゃって※○×+%>$%たのー」といった具合なので、周りが何を言っているのかわかってあげられないことも多い。本人はフラストレーションが溜まってしまうのだろう、ちょっと嫌なことがあると道路で拗ねて座り込む、スーパーで大声で泣きわめく、外でパッと逃げ出してしまう、などかなりエクストリームな(典型的な?)イヤイヤ期を送っている。この状況での約2週間の登園自粛は今までの自粛と比べ物にならないくらい、大変だった。
さらにもっと厄介なのは、お姉ちゃんに対する憧れやライバル意識の裏返しなのか、車で隣に座っただけでお姉ちゃんを叩いてしまったり、髪の毛を引っ張ったりしてしまったりして、不意を突かれたお姉ちゃんは「なにもしてないのに」と泣くことが続いた。もちろんお姉ちゃんはもちろん本気出せば力で妹をねじ伏せるのは簡単なのだが、お姉ちゃんはそうしたくはなくて、心が痛くて泣いてしまうのだ。
下の子に「そんなことしたら痛いよ」と都度諭すのだが、まだきっとこれをしたら相手が痛いだろうとかそういった想像力がないらしく、叱られてもポカンとしていることも多い。イヤイヤが親に向かっているのならまだマシなのだが、お姉ちゃんに矛先が向くとなると一体どうしようと、わたしも途方に暮れていた。
久しぶりの登園の日、先に下の子を預けてから、年中のクラスまで一緒に歩く時お姉ちゃんはずっとメソメソしていたが、わたしも気持ちが弱っていたこともあり、一緒に泣き出したい気分になっていた。
そこで出迎えてくれたのは娘の大好きなA先生。なぜ朝から泣いているのか説明したところ、うんうんと聞いてくれ、
「上のお子さんは、そういうことがあっても我慢してしまっている子も多いので、こうやって涙を流せているのはとてもいいことなんです。悲しかったら泣いていいんだよということを◯ちゃんにわかってもらい、これからも◯ちゃんが自分の気持ちを素直に話せるように、声をかけていくようにしますね。今日わたしは家庭の都合で早く上がってしまうのですが、午後担当の職員と共有しておきます」と言ってくれた。
娘にも「困ったことがあったらなんでも話していいんだよ、泣いてもいいんだよ」と声をかけてくれ、それに安心したのか娘はさらに泣き出し、わたしも涙腺が崩壊しそうになってしまったので慌てて「よろしくお願いします」と娘を預けて幼稚園を後にした。
そしてその日の帰り、言葉通り別の先生が預かった伝言を伝えてくれ「園では変わりなく、笑顔でお友達と遊んでいました」とのことで、娘たちも久々の幼稚園はとても楽しかったようで2人で鬼ごっこしていたので、ほっとして帰宅した。
また翌日、朝から3発くらい下の子に叩かれてムスッとしたまま登園したお姉ちゃん。出迎えてくれたのは別の先生で、今日はわざわざ不機嫌の理由を言うこともないか、と思いそのまま預けて帰った。しかしその日のお迎えの時、A先生がいて「朝の職員から、今日も登園の時◯ちゃんが元気がなかったと聞きましたので、他のお友達が聞いていないところで本人に話を聞かせてもらいました。どんな些細な出来事でも遠慮なく言ってくださいね」と言ってくれた。
自分が幼少の頃、こんなに先生に気にかけてもらったことがあっただろうか?わたしの子どもの頃は、言うことを聞く子が良い子という風潮だった気がする。こういう時、娘を育てながらも時々自分の少女時代を追体験して、自分も癒やされているのを感じる。
娘たちの通う田舎の幼稚園は、広大な敷地に充実した遊具、動物も飼っていれば畑もある、という素晴らしい環境にある。そして何より素晴らしいのが先生方。とにかく先生同士の情報共有がすごい。大規模な幼稚園なので、何百人も園児がいるのだが、先生方はみんな娘たちの名前も親の顔も知ってくれているし、上の子の先生は下の子の情報をよく知ってくれていて、逆もしかりである。そして子どもたちの自主性を尊重して、よく話を聞いてくれるのである。
ほかにも、コキンちゃんの髪留めをつけて幼稚園に行きたかったと拗ねる下の子のために、コキンちゃんの絵を描いて髪留めみたいにつけてくれたB先生。保護者と話すのは少し苦手のようだけど、面談で子どもの様子を話してくれる時はとてもニコニコ饒舌に話してくれる、下の子の担任のC先生など、先生方の言葉や態度の端々に子どもたちへの愛が感じられて、こちらまでほっこりしてしまう。
娘が小学校に入ったらこんなに娘の話を聞いてくれる先生方はいるのだろうか?でも今こうして信頼できる大人たちに囲まれていることは間違いなく娘たちの財産になるだろう。子育てはひとりではできないものだとつくづく思う。こんな大変なご時世でも、最善を尽くして保育をしてくれる先生方のいる幼稚園に心の中で最大限の愛を送りながら、娘たちの送り迎えをしている。