#それでもスポーツで生きていく・#10
~本論【第5章】
スポーツ・インテグリティの姿
こんにちは、スポーツエッセイスト・岡田浩志です。
なんとかnote開始から今日まで、一日も休むことなく更新し続けることができています。これも読者の方がいてくださる、という実感あってのこと。
書き続けることで、自身の考えの輪郭が捉えられるようになってきて、リハビリになっている感覚もあります。
本当に有り難うございます。この本論のラスト項目、【第5章】の冒頭文になります。5つの行動原則、最後の項目です。
≪ 自立のための5つの行動原則 ≫
1. 存在すること自体に価値を認める
(Being Management)
2. 本心からやりたいことだけをする
(気の進まないことはしない)
3. 過去と決別して今ここに集中する
(今できることに専念する)
4. ダメなことを理由に頑張らない
(高すぎる理想を掲げない)
5. 内面の想いと表出行動を一致させる
(インテグリティを持つ)
インテグリティという言葉
今回のタイトルにあるインテグリティという言葉。昨今、スポーツ界のなかで、よくささやかれるようになった言葉でもあります。特に東京五輪の招致に成功した2013年以降、見かける頻度が上がったような気がします。
日本のスポーツ界を統括しているJSC (日本スポーツ振興センター) のホームページ上にも、「スポーツ・インテグリティの保護・強化に関する業務」というのが業務紹介の1つの項目として掲げられています。
ホームページ上では、
スポーツ・インテグリティが上記の表で整理され、アンチドーピングや反社会的行為の防止、暴力・ハラスメントの禁止、ガバナンス構築やコンプライアンス遵守など、スポーツ界の品位を保つことの重要性が整理されています。
確かにこれらのテーマは、スポーツ界が未来永劫、社会のなかで存立する上で重要なテーマであり、僕自身もスポーツ系の専門学校での講義で、力を入れてお話ししていたことでもあります。
ただひとつ、この「インテグリティ」という言葉の邦訳について、しっくりこない感覚がある、という話が今日のメインです。
高潔/清廉/完全という邦訳の違和感
integrity
1. 高潔, 誠実, 清廉
2. 完全な状態, 無傷
辞書で引くとこんな邦訳になりますが、integrityってそもそもは「統合」って意味だと思うのです。
統合と言っても確かにピンとこないのですが、高潔、清廉、完全などと言われると、ものすごく意訳というか、武道的なエッセンスがそこに盛り込まれているような違和感が僕のなかにあったのです。
そんなある日、僕が密かに尊敬しているメンタルコーチ・田中ウルヴェ京さんのメルマガ配信のなかで、たまたま、このスポーツ・インテグリティに関する記述がありました。
田中ウルヴェ京さんも、僕が感じていたのと同じ違和感を感じていらっしゃったようで、海外ではこんな定義がなされている、ということをメルマガで配信してくださいました。
Integrity の正しい定義
Integrity is the integration of outward actions and inner values.
( インテグリティとは、表出行動と内面の価値観が統合されている状態をいう。)
A person with integrity does what they say they will do in accordance with their values, beliefs and principles.
( インテグリティのある人は、それぞれの価値観や信念、原則に従ってしようとすることを言葉にし、行動します。)
つまり、内面の価値観(inner values)と表出する行動(outward actions)、この2つが統合していることがインテグリティということ。
「高潔」や「完全」という訳し方だと、何と何が統合されているのか分かりません。そして、何よりも大事な内面の価値観(inner values)をおざなりにしてしまいそうな危険性もあります。「社会の価値観が全て」というような誤訳に繋がりそうです。
このメルマガに出会ってからは、僕のスポーツビジネスの講義でも、こちらの定義のほうで授業をするようになりました。この理解の方が、健全な大人を育てられるように思ったからです。
背伸びもせず、卑下もせず、ありのままでいること
うつ病にかかってから、医師の方だけでなく、いろいろな方々のアドバイスもいただくなかで、内面の価値観と表出行動が一致することの重要性を日々痛感します。
僕の場合はまだ内面の価値観に揺らぎがあるのが現状かな、と自己分析していますが、そういう状態です、と正直に話せる状態が気持ちいいのです。
( それじゃあダメだ、と言われたら一気に苦しくなるでしょうが。)
スポーツ界の議論も同じことじゃないでしょうか。
組織のガバナンスが整っていないのに、あたかも整っているフリする。そのことが一番問題なのであって、まだ整っていないなら、そういう状態なのだ、と正直に認め、どれくらいの時間をかけて世間一般が認める状態まで整えていくか、その見通しをそのままお伝えすればいいだけのことじゃないか、と思うのです。
あとは、社会の価値観に全てを一致させろ、という概念はとても危険です。個人の価値観を尊重し、社会の価値観との折り合いをつけること。
インテグリティは、高潔、完全などという意味ではありません。誠実、言行一致、もっと丁寧にいえば、背伸びもせず、卑下もせず、ありのままを大事にしましょうという意味なのです。
自立の過程にあるスポーツ界にも、この理解が伝わっていけばいいな、と僕は強く願います。
おわりに
このスポーツ・インテグリティに関して、世間で気になる案件につき、ゆくゆく第5章として深掘りしていこうと考えております。
本論の冒頭文が5つ、これで纏まりました。ちょっと達成感あります。ここでいったん一息いれて、また各章書き綴っていきます。スキをくださった方々、フォロワーになってくださった方々に御礼申し上げます。
スポーツエッセイスト
岡田浩志