人によって態度を変える子をどうするか
僕の学校は特に高学年において、教科担任制となっている。専科の先生として、色々なクラスの授業にそれぞれの先生が入る場面が多い。
この状況において、しばしば起きてしまうのが「先生によって子どもたちの態度が変わる」問題である。子どもはよくも悪くも素直だ。担任がどの授業にもずっと教室にいられたら良いのだが、生憎他のクラスや学年で授業をしていることが多く、対応も難しい。
だからこそ、各担任は「人によって態度を変える人は良くないことだ」といった趣旨のことを、常日頃から子どもたちに言い聞かせる。実際、僕が初めて担任を持つことになった去年の相担の先生も、おそらく子どもたちによくよく言ってくださっていたのではないかと思う。
これらの恩恵は、おかげさまで受けられる時が多いものの、もちろん時に受けられない時もある。
そんな時は大抵真面目な子、正義感の強い子が授業終わりに担任の先生にどういった状況だったかを言いに来る。担任が指導をする必要が出てくる。「言ったよな?どうしてそうなってしまうんだ?」と。(これを私たちは「悪いお土産」と呼んでいる)
このようなことを、今の自分なんかは、周りの先生にまだまだしていただいている立場でもあるだろうし、一方でこれも情けないことだが、今年度からはそのような報告を受ける立場にもなっている。中途半端な立ち位置だが、だからこそ感じることもある。
というのは、何かというと、子どもたちの態度は変わって当然ではないか、ということだ。
考えてみてほしい。私たちだって、家族といる時の自分、恋人といる時の自分、職場にいる時の自分、友達といる時の自分、全てキャラクターが同じ人はそういないはずだ。子どもたちだって、キャラクターがそれぞれあるのだ。
態度を変えることの問題点
では、なぜ問題とされるのか。それはもちろん、他の子どもたちの学びを阻害するからである。
その周りの子どもたちにとって、そのような態度の変化がプラスに働くことはまずない。授業が騒がしくなったり、士気を下げてしまったりすることで、本当に学びたいと思う人たちの邪魔になる。そういったマイナス面をなくすために、態度の変化は注意されるべきなのだ。
間違っても「若手の教員でも授業をしやすい環境を作るため」ではないのだ。
時に、「担任の先生、いつも言ってるよね!?どの先生に対しても同じように接しなさいって!」なんていう言葉を、「態度を変えられた先生」が言う場面を見かけることがあるが、そんなことは口が裂けても言うべきではない。そんなことを言われても説得力がないからである。
態度を変える子どもとどう接する?
では、態度を変えられる私たちはどうすればいいのか。
1つは完璧を捨て、こちらのペースを乱さないことに特化することだ。
もちろん完璧に越したことはないだろう。しかし、先述のとおり、態度を変えられるのは当たり前のことなのである。このような状態で、完璧を求めすぎると、態度を変える子供を見つけては指導して、を繰り返す。こちらのやりたかった授業が出来なくなる。
この時、誰が1番可哀想なのか。それは、その授業を期待していた他の子どもたちだ。彼らが離れていっては授業は崩壊するに決まっている。
授業を受けられない子ども以外の最大多数を授業に引き込むことで授業を受けられる雰囲気を作るべきである。
しかし、これだけではあたかも「やらん奴は放っておけ」と言っているようなものだ。
そこで、提案するもう1つは、授業を受けてもらうための最大限の配慮をすることだ。
僕が1年目に先輩教員に言われたことの一つに次のようなものがある。
今日の現場ではノートがとれない、など色々な特性を持った子が見られる。「ノートはとるべき」というのはいつの間にか出来た私たちにとっての当たり前で、彼らの当たり前ではない。
ノートをとれていない子どもを頭ごなしに叱るのではなく、この事象を「ノートをとらせるべき」「学びを残させるべき」と捉えてみる。すると、矛先が自分に向く。では、何をしてあげられるだろう、となる。ノートがとれている子を紹介してとり方を理解させたり、タブレットでアクティビティを用意して他にアウトプットする場所を用意したり。
これを繰り返すことで、子どもと教員の間で、それは新しい形かもしれないが、一つの習慣が完成される。子どもにとっても、教員にとっても学びやすい環境がまた出来上がる。
最後に
2学期の最終日、社会の授業を担当している子1人から手紙をもらった。
「歴史の内容が全て覚えられているわけじゃないけど、授業は面白くて楽しいです」
この手紙は本当は誇れるような内容ではないと思う。しかし、僕はこれで御の字だと思う。
社会科は、特に歴史は暗記を必要とする、とよく言われる。ただ、覚えることなんてその気になればいつでも出来ると僕は思う。授業を真面目に受けている、考えている、その瞬間は「面白い!」と思ってほしい。そう願いながら授業をやった、その成果が子どもの言葉になって出てきたことが本当に嬉しかった。
大事なことなのであえてもう一度書く。
態度を変えられるのが問題ではない。学びが止まってしまうのが問題なのだ。
僕の授業は3学期もおそらくベテラン教員とは違う態度で臨まれるだろう。それでも良い。僕は僕なりの雰囲気で、学びに向かえる姿勢を作れるよう、試行錯誤していきたい。
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました!
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