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ミルク神とオホホから、草薙の剣と長髄彦に繋がる。
今回は、沖縄県西表島の干立(ほしだて)地区の節祭(しち)に登場する、ミルク神とオホホについて、考えていきたいと思います。
節祭(しち)とは、豊作に感謝し、海の彼方から幸を呼び込み、五穀豊穣・健康・繁栄を祈願するお祭りだということです。
沖縄のミルク神とは、七福神の布袋様の面を着けた神で、西表島ではミリク神と発音されているようです。
ミルク信仰とは、沖縄のニライカナイ思想と弥勒(ミロク)信仰が融合したものだと一般的には言われています。
ニライカナイとは、遥か東の海の彼方にある理想郷のことで、海底や地底にある異界という説もあるようです。
弥勒信仰とはミトラ教と関連があると考えられており、ミスラ神はミトラ神と起源が同じであるとのことです。
ミスラ神の光明神としての性格が強調され、太陽と同一視された結果、中世ペルシア語では日曜日のこともミフルと呼ぶようになった。これがソグド語に借用されてミールになり[4](バクトリア語からの借用とも[5])、「蜜」と音写された[6]。
この「ミスラ神」が中世ペルシア語でミフルと呼ばれ、これが「ソグド語」に借用されて「ミール」になったということで、ミールから沖縄の「ミルク神」に繋がっているのではないか、と感じました。
「ソグド語」に着目した理由とは、ソグド人と「オホホ」が繋がる可能性が考えられるからです。
「オホホ」とは、西表島の干立(ほしだて)地区の節祭(しち)に登場する道化役のことです。
「オホホ」は鼻の高い仮面とブーツ姿が特徴とされ、札束を見せびらかし子どもや女性の気を引く滑稽な所作で笑いを誘います。
西表島に漂着した異邦人が、「オホホ」の起源ではないかと言われています。
節祭(しち)の主役とも言えるミルク神は、弥勒の化身とされた布袋様の仮面を被っていると言われています。
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確かにミルク神は軍配団扇を持っていて、布袋様がモデルとなっているようです。
しかしながら、上記のイラストではなく映像で実際のミルク神の姿を見た時には、えびす神に似ているなと感じました。
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えびすの本来の神格は人々の前にときたま現れる外来物に対する信仰であり、海の向こうからやってくる海神である。
下記の漁業神、寄り神(漂着神)の他に純然たる水の神としての信仰も存在する。
九州南部には、漁期の初めに海中からえびすの御神体とするための石を拾うという風習があるという。これらの民俗信仰は、えびすの本来の性格を示すと考えられる。
えびす神とは、海の向こうからやってくる海神であり、漂着神であると言われています。
「オホホ」の起源が西表島に漂着した異邦人であるとすると、「オホホ」とはえびす神を表しているのではないか、と感じました。
えびす神がミトラ教を携えて渡来してきたのではないか、と想像も膨らみます。
ミトラ教は前述したように、ソグド人も信仰していたと考えられます。
ソグド人とは、西方のペルシャ系民族だということで、古代中国からは西胡と呼ばれていました。
胡(こ)は、古代中国の北方・西方民族に対する蔑称[1]。
西胡
「胡」は戦国時代、内モンゴルの塞外民族を指していたが(→北狄)、秦漢朝では特に匈奴を指すことが多くなった。唐代にいたり、シルクロードの往来が活発になると、「胡」は特に「西胡」ともいわれ、西方のペルシャ系民族(ソグド人)を指すようになった。
では、この「オホホ」とは具体的に誰のことを表しているのでしょうか。
愛知県名古屋市にある熱田神宮(あつたじんぐう)では、笑酔人神事(えようどしんじ)が行われています。
この笑酔人神事が、「オホホ祭」と呼ばれているのです。
笑酔人神事とは1300年以上続く神事で、熱田神宮のご神体である「草薙の剣」が、皇居から熱田神宮に戻ったことを神職たちが喜んだことを伝えるものだ、と言われています。
となると西表島の「オホホ」が、「草薙の剣」と関わりがあるのではないかという可能性が出てきます。
源平合戦の壇ノ浦の戦いにおける神剣(草薙剣/天叢雲剣)の喪失は、人々に大きな衝撃を与えた[247]。安徳天皇と共に失われた神剣は、崇神天皇時代につくられた宮中の形代であるが[248]、素戔嗚尊が八岐大蛇から取り出した「天叢雲剣そのもの」と見做す者も多かった[247][249]。
「草薙の剣」とは、スサノオが八岐大蛇退治の際に、八岐大蛇の尾の中から取り出した大刀であると言われています。
この「八岐大蛇」が「長髄彦」のことなのではないか、と以前に考察したことがありますので、以下に掲載させていただきます。
富雄丸山古墳の被葬者とは、八岐大蛇と呼ばれた長髄彦だったのか。
今回は、奈良県奈良市の富雄丸山古墳(とみおまるやまこふん)について考えていきたいと思います。
古事記に登場する、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)の「登美」とは、この奈良市の富雄のことだとされています。
登美能那賀須泥毘古は、日本書紀では長髄彦(ながすねひこ)と書かれています。
その長髄彦本拠の碑が、富雄に程近い生駒市白庭台にあります。
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それでは、富雄丸山古墳の被葬者と長髄彦との繋がりを見つけることができるでしょうか。
島根県出雲市には「富」という字を書いて「とび」と読む、富神社(とびじんじゃ)があります。
この地方の「荒神さん」と親しまれる神様は、どんな神様でしょうか。 富神社では毎年12月、わらで蛇を編み、荒神に巻き付け奉納します。 そうです、荒神様は龍蛇神なのです。
そして、この神社の稲荷社の御祭神は、宇迦之御魂神うかのみたまのかみ(女神)です。 宇迦之御魂神は、食べ物を司る神様で、記紀神話にも登場します。 富神社は、出雲郡出雲の郷ですが、隣に宇賀うかの郷があります。 宇賀とは、人頭蛇身でとぐろを巻く姿をしています。 つまり、この稲荷社も龍蛇神をお祀りしているのです。
龍神の祠も、ちゃんと単体であります。
一番奥にあるこのお社は、この神社の核心ではないでしょうか。
さらに、竜神様の斜め前に、金毘羅神社と書かれたお社があります。
御祭神は、大物主命おおものぬしのみことです。
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この富神社(とびじんじゃ)とは、蛇神社と言っても良さそうです。
奈良県葛城市には、長尾神社(ながおじんじゃ)があります。
昔、大和に大きな蛇が住み、三輪山を七回り半に取り巻き、その尾は長尾一帯まで届いていた。ナガモノ(蛇)を祀りその最後尾であることからナガモノの尾、すなわち長尾(ナガオ)と名が与えられたという説がある。このことから三輪明神(桜井市)が頭で、長尾神社はその尾にあたると言われており、一緒詣りをすると利益(りやく)があるとされる。
この長尾神社の「ながお」とは蛇の尾のことであり、奈良県桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)で祀られている大物主神が、蛇の頭であるという伝承があるのです。
このように「トビ」や「ナガ」とは、蛇のことであると考えると、富(とび)の長髄彦(ながすねひこ)とは「蛇の中の蛇、すなわち大蛇」のことを表している、と言えるのではないでしょうか。
富雄丸山古墳で出土した鉄製の蛇行剣は、蛇を模していると考えられ、全長2m37cmで東アジア最大であるとのことです。
古墳時代以前から、アジアで高度な製鉄技術を持っていた民族とは、スキタイであると考えられます。
昨日NHKのスペシャル番組を見ていたら、「アイアンロード~知られざる古代文明の道」というものが放送されてました。
シルクロードより古い「文明の道」があり、鉄の生産に長けていた、民族特にスキタイ帝国を紹介していました。
スキタイ帝国は紀元前9世紀から4世紀にかけて、広大な帝国を築き上げたとされています。
また、スキタイは遊牧民として記録に残されているだけでなく、高度な鉄の生産の技術を備えていたということです。
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そのスキタイと、日本の隼人との繋がりを前回の記事で書きました。神武天皇と徐福が隼人に出自を持つのではないか、との考察です。
徐福とは、ニギハヤヒであると言われています。
日本書紀では、神武天皇とニギハヤヒに仕えていたとされる長髄彦との戦いにおいて、天神の子である表物(しるしのもの)を示し合う場面が描かれています。
長髄彦はニギハヤヒの天羽羽矢(あめのははや)と歩靫(かちゆき)を、神武天皇も自分の天羽羽矢と歩靫を、互いに示し合ったと書かれています。
しかしながら、スキタイの製鉄技術を持った隼人一族の天孫であることの表物(しるしのもの)が、矢と歩靫であったとは考えにくく、剣と盾であったのではないかと考えました。
天羽々斬(あめのはばきり、あめのははきり)は、日本神話に登場する刀剣である[1]。「天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)」、石上神宮では「布都斯魂剣(ふつしみたまのつるぎ)」として祀られる[2]。
スサノオが出雲国のヤマタノオロチを退治した時に用いた神剣[12][13]。大蛇を斬った時、体内にあった天叢雲剣(草薙剣)に当たって切先が欠けてしまった[14][15]。
当初は十拳剣/十握剣/天十握剣としか言及されず、古事記と日本書紀本文では固有名詞を与えていない[16]。十拳剣とは「一握り十個分の長さの剣(約75.8㎝~78.8㎝)」という普通名詞である[17][18][19]。
スサノオの十握剣には、八岐大蛇退治の時に天羽々斬剣と名称がつけられた[20][3]。
スサノオが八岐大蛇を退治した時に用いた剣が、天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)と名付けられているのです。
「天羽羽矢とは、『はは』に蛇の意味があることから蛇の呪力を負う矢」であるということからも、天羽々斬剣とは、蛇の呪力を持った剣であると言えるかと思います。
前回の記事では、スキタイとはケルトではないか、ということも考察しました。
ケルト神話
「ケルト」といえばアイルランドのイメージが強いという読者もいるかもしれませんが、ミランダ・J・グリーン『ケルト神話・伝説事典』では、言及するケルト人の範囲を「およそ紀元前700年から紀元後400年までの「ケルトのヨーロッパ」にいた古代人たち」(9頁)としています。
かつて「ケルト語」に属する言語を話していたとされる人々によるケルト文明は、ブリテン諸島の「島のケルト」及びフランス・スペインからトルコに至る「大陸のケルト」の2つに大別され、古代ヨーロッパにおいてはローマ帝国と共にヨーロッパを二分するほどの活動範囲を誇っていました。
グリーンによる上述の定義からはやや外れますが、5世紀末-6世紀頃のイングランドを舞台にしたアーサー王伝説もケルト神話・文化の影響を大いに受けています。
ケルト神話に影響を受けた「アーサー王伝説」の中で登場する、「エクスカリバー」と呼ばれる剣があります。
見よ、彼は立ち上がった。手にはアルスルの剣を持っていた。剣身には黄金で打ち出された二匹の蛇の姿があって、鞘ばしると、蛇の首から二筋の炎が立ち上るのが見え、それがあまりにも恐ろしいありさまだったので、だれ一人として目を向けて見る者もないほどだった[24]。(中野節子訳)
ケルト神話に由来すると考えられる「エクスカリバー」という剣の剣身には、黄金で打ち出された二匹の蛇の姿があった、ということです。
蛇と剣とが合わさった強力な剣は、日本の天羽々斬剣(あめのはばきり)と繋がります。
ロベール・ド・ボロンの詩『メルラン(英語版)』では、アーサーは石に刺さった剣を引き抜いて王になるという伝承が語られている[30][注 7]。石に刺さった剣を引き抜くことは、「本当の王」、すなわち神により王に任命された、ユーサー・ペンドラゴンの正当な跡継ぎにしか出来ない行為だったという。
さらにエクスカリバーという剣を引き抜くことは、「本当の王」であることの証であったというのです。
エクスカリバー(英語: Excalibur)は、アーサー王伝説に登場する、アーサー王が持つとされる剣。魔法の力が宿るとされ、ブリテン島の正当な統治者(=イングランド王)の象徴とされることもある。
富雄丸山古墳で出土した鉄製の蛇行剣は、木製の鞘も出土しており、柄や鞘を装着した復元長は2m85cmに及ぶとのことです。
その鞘には、長さ18.5cmの石突が備えられていることから、儀礼の際に立てて使用されていた可能性が考えられるようです。
蛇行剣という、蛇の霊力を帯びたこの巨大な剣を鞘から引き抜くことで、富雄丸山古墳の被葬者が正当な王であることが示されたのではないでしょうか。
富雄丸山古墳では、他に類例のない鼉龍文盾形銅鏡(だりゅうもんたてがたどうきょう)も出土しています。
盾から思い起こされるのが、ロスチャイルドです。ロスチャイルドの名前は「赤い楯」を意味しているからです。
このロスチャイルドについても、RAPT理論によって詳しく解明されています。
「平家」とはロスチャイルド家だった。または明治維新にロスチャイルドが関わった最大の理由。
上記の記事には、『「スサノオ」が「八岐大蛇」を退治したという話は、「出雲族」が「ロスチャイルド」を退治したという話ではないかとも考えられるわけです。』と書かれています。
このことから、大蛇を連想させる巨大な蛇行剣と、他に類例のない盾形銅鏡のセットが副葬された富雄丸山古墳の被葬者とは、八岐大蛇と呼ばれた人物のことなのではないかと感じました。
スサノオが倒した八岐大蛇とは「蛇の中の蛇」である、富(とび)の長髄彦(ながすねひこ)という名で表された、ロスチャイルドの王だったのではないでしょうか。
ここからは、今回の記事の続きとなります。
スサノオが八岐大蛇(長髄彦)を殺害した際に、八岐大蛇の体内から取り出した剣が「草薙の剣」とされていることとは、アーサー王のエクスカリバーという剣を模している可能性が考えられます。
ロベール・ド・ボロンの詩『メルラン(英語版)』では、アーサーは石に刺さった剣を引き抜いて王になるという伝承が語られている[30][注 7]。石に刺さった剣を引き抜くことは、「本当の王」、すなわち神により王に任命された、ユーサー・ペンドラゴンの正当な跡継ぎにしか出来ない行為だったという。
長髄彦を切り殺し、石に見立てた長髄彦の体から「草薙の剣」というエクスカリバーを引き抜くことによって、スサノオが「本当の王」となったということが表現されているのでなないか、と考えられるのです。
石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)に長髄彦が祀られている、という言い伝えとは、石(長髄彦)がスサノオに切られた、と考えることで辻褄が合います。
スサノオが、長髄彦を倒した際に勝ち取った剣が「草薙の剣」であるなら、「草薙の剣」は元々長髄彦の物だったことが分かります。
長髄彦の「草薙の剣」を祀っている熱田神宮で、「オホホ祭」と呼ばれる笑酔人神事が行われています。
これにより、「オホホ」とは長髄彦のことなのではないか、と考えられるのです。
では、長髄彦とは誰のことなのでしょうか。
「オホホ祭」である「笑酔人神事」では、神職が決して見てはならないと伝えられている神面を袖の中に隠し持っていて、それを叩いて大声で笑うということです。
この神面とは、酔胡王(すいこおう)の面なのではないかと考えられます。
![](https://assets.st-note.com/img/1728004795-CRIkBSlob2zinvf3AjEH4Mea.jpg)
出典:(158)ペルシャ人とソグド人 - なぶんけんブログ
酔胡王(すいこおう)の「胡」とは「西胡」で、ソグド人のことを表していると考えられ、「酔胡王」とは酔ったソグド人の王となります。
酔胡王の面は、顔を赤くして酔って笑っている表情に造型されており、まさしく「笑酔人」であるのです。
八岐大蛇はスサノオに酒を飲まされ、酔って寝ているところを襲われました。
八岐大蛇が長髄彦であるなら、長髄彦も酒を飲まされて殺された可能性があります。
これらのことから、酔胡王とは長髄彦(オホホ)のことではないかと考えられ、長髄彦とはソグド人の王だったと考えられるのです。
長髄彦が渡来した際に、ソグドで信仰されていたミトラ教が日本にもたらされた可能性があります。
その名残として、西表島の節祭ではミルク神とオホホが共演しているのではないかと思われます。
沖縄には琉球最初の王統とされる、25代続いた「天孫氏」と言われる王統がありました。
王統の終焉
『中山世譜』には、天孫氏は王位を継承して政治を行っていたが、その後、徳が衰え、政(まつりごと)が廃止され、按司の多くは背いてしまったとある[14]。天孫氏25代の時、臣下の利勇に殺害され、王位を奪われたという[10]。『中山世鑑』によれば、毒を盛った酒を薬と偽って献上し飲ませたところ、吐血して亡くなったという[15]。これにより、国は大きく乱れたが、利勇は後の舜天となる尊敦に討たれ、舜天は新しい王統を建てたという[1]。
この天孫氏の王統の終焉とは、王が毒を盛った酒を飲まされ殺害された、ことによるのだそうです。
奇しくも、八岐大蛇(長髄彦)がスサノオに殺された経緯と符合しています。
非真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問も解決できず、真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問もすべて解決し、全てが分かる喜びに満たされて生きられる。
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