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猿田彦が隼人でありソグド人だった可能性と、シュメールと古代中国王朝との繋がり。
今回は、猿田彦(サルタヒコ)から考えていきたいと思います。
猿田彦命
神幸行列の先頭に天狗のお面をかぶった役が先導するのをよく見ると思いますが、実は天狗ではなく神様。彼は猿田彦命(サルタヒコノカミ)といい、神幸行列を先導する役目。その昔、天孫降臨の際に道案内をしたということから「導きの神」と古来から言い伝えられています。
神社等のお祭りの行列では、天狗のような形相の「猿田彦」という先導役を見かけます。
この「猿田彦」とは、ソグド商人の「キャラバン・リーダー」を表しているのではないかと考えられます。
薩宝という称号はソグド語の単語の音写である。実際には薩宝という用語は二つの異なる経路で中国に入っている。インドではサールタヴァーハsarthavahaは、キャラバン・リーダー、すなわちキャラバンを率いて安全に先導する人物を意味した。
(中略)
一方、首長は、共同体の構造の中で「キャラバン・リーダー」を意味するサルタパオという称号を持ち、この点において商人の伝統を継承している。
薩宝(さっぽう)とは「キャラバン・リーダー」のことで、「サルタパオ」という首長の称号のことであったようです。
隋・唐の時代、薩宝(薩甫、薩保)は官職と認められ、ペルシア人やイラン系の西域出身者(ソグド人など)に官位が授けられ、祆教寺院や礼拝所(祆祠)の管理を任された[66]。
ソグド語の音写である「薩宝」とは、中国で寺院や礼拝所の管理を任された官職だったということです。
ソグド人の「薩宝」という役職は、旧約聖書における「レビ人」の役職と似ていると感じます。
ソグド語はイラン語派に属するが、ソグド人は隊商のことをイラン語系のキャラヴァンではなく、サールトと呼んだ。これはサンスクリット語のサールタ(सार्थ)に由来しており、インドの商人がソグド人と同じかそれ以前から活動していた可能性を示している[2]。
ソグド人は、隊商のことを「サールト」と呼んだということです。
ソグド人の隊商行列の首長が、「サルタパオ」という称号であったことから、神社の神幸行列を先導する役目の神が、「猿田彦(サルタヒコ)」と呼ばれ伝承されているのだと考えられるのです。
「猿田彦」とは、ソグド人がモデルとなっている可能性が高いのではないでしょうか。
ソグド人とは、鼻が高く赤い顔で天狗のような形相をしていたことが、「酔胡王」という面にも表現されています。
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出典:(158)ペルシャ人とソグド人 - なぶんけんブログ
また、「伎楽(ぎがく)」の演目では、鼻の高い天狗のような仮面をつけた「治道(ちどう)」と呼ばれる人物が、パレードを先導するといいます。
1.先頭は治道で魔を避ける僻邪として露払いし、行道という一種のパレードが行われる。
これは読経をともない仏を賛美するものと考えられる。このパレードは「治道(ちどう)」とよばれる鼻の高い天狗のような仮面をつけた者が先導する。次に笛、鼓などの楽器で構成される前奏の楽隊、音声という声楽のパート、さらに獅子、踊物、そして後奏の楽隊、帽冠(ほうこ)とよばれる僧がつきしたがう。一行が、しつらえられた演技の場に到着する
この伎楽の「治道」とは、ソグド人のキャラバン・リーダーである「サルタパオ・薩宝」が表現されていると考えられます。
伝道者
中国にミトラ教をもちこんだのは、ソグド人(現在のタジク人)とウイグル人の商人およびマギである。中央アジアまでは、バビロニアからカルデアン・マギも来ている。中国語の資料には、シリア語から訳したものもある。経路は、内陸のシルクロードだけでなく、海路もある。
ミトラ教を伝えたのはソグド人だと言われており、伎楽とはミトラ教の秘儀であるということです。
伎楽 ぎがく
ミトラの秘儀は、中国南部の「呉」から伝来した。持ち込んだのは、百済人の楽師・味摩之〔みまし〕である。味摩之〔みまし〕は、伎楽と呼ばれるミトラの秘儀における仮面劇を中国南部の呉地方で学んで持ち込んだ(612年)。
伎楽の演目には「呉女」が登場しており、伎楽が中国南部の「呉」から伝来したということにも頷けます。
4.悪魔の崑崙が呉女に懸想して卑猥な動作で言い寄り力士にこらしめられる演技。
崑崙はマラカタとよばれる男性器を誇張したつくりものを扇でたたいて呉女に言い寄り、力士はそのマラカタに縄をかけて引っ張ったり、たたいたりする。色欲を戒める意味をもたせて上演されたが、その所作は見物の爆笑を誘ったと想像される。
伎楽の演目「悪魔の崑崙と呉女」の内容から思い起こされたのが、日本神話に登場する「天宇受売命(アメノウズメ)」です。
天宇受売命が天の香山の日陰蔓を襷にかけ、真析蔓を髪飾りにして、天の香山の笹の葉を採物に束ねて手に持ち、天の石屋の戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神がかりして胸の乳を露出させ、裳の紐を女陰までおし垂らした。すると、高天原が鳴り響くほどに数多の神々がどっと笑った。
夫婦である「猿田彦」と「アメノウズメ」が連想される、インド神話があるようです。
●サルタヒコは太陽神であり先導役であり海洋神であり、日本の神には無いはずの姿形がある。
●インドにはスーリアという太陽神が居る。
●スーリアはウシャスという金星の女神によって、日の出へと導かれる。そのときウシャスは乳房と陰部を見せて誘う。これはそのままサルタヒコとアメノウズメの関係に近い。
●スーリアは沖縄まで海を渡って来た。だから海の神の性質を得た。また古代では太陽から方角などを算出していたので、先導の性質を得た。
●日本に渡り、日本の農耕神話の中で穀物神を山から導く、別の「先導」の性質を得た。
インドの「スーリア」という太陽神が、「ウシャス」という金星の女神によって「日の出」へと導かれ、そのとき「ウシャス」は乳房と陰部を見せて誘うとあります。
これは「スーリア」が、日本神話では「天照大神」にあたり、「ウシャス」が「アメノウズメ」にあたると考えられます。
上の記事にもあるように、これは「猿田彦」と「アメノウズメ」の関係にも置き換えることができます。
太陽神である「スーリア」は海を渡り沖縄まで来たということで、琉球では「ティダ」という太陽神が最高神とされていることにも通じます。
ここで閃いたのが、「伎楽」の演目とは、ソグド人隊商の遥かな「旅路」を演劇として表現されているのではないか、ということです。
それでは、伎楽の上演内容を順番に見ていきます。
1.先頭は治道で魔を避ける僻邪として露払いし、行道という一種のパレードが行われる。
これは読経をともない仏を賛美するものと考えられる。このパレードは「治道(ちどう)」とよばれる鼻の高い天狗のような仮面をつけた者が先導する。次に笛、鼓などの楽器で構成される前奏の楽隊、音声という声楽のパート、さらに獅子、踊物、そして後奏の楽隊、帽冠(ほうこ)とよばれる僧がつきしたがう。一行が、しつらえられた演技の場に到着する
1.ソグド人の「サルタパオ・薩宝(治道)」が、キャラバン(隊商)を先導している様子… 楽器の演奏や楽隊と声楽とは、ソグド商人として商売と人集めの目的、チンドン屋のような役割もあったのかも知れません。
2.獅子舞がはじまる。
これは演技の場を踏み鎮める役割をはたす。人の児の姿の獅子児が、獰猛な親の獅子をなだめる。1・2は序章で、次から各登場人物によって劇的展開をもつ演技がはじまる。この演技はすべて仮面をつけておこなわれ、無言のパントマイムと舞で構成される。また管楽器や打楽器による伴奏がつく。
2.「獅子」とはライオンの別称であり、当時のソグド商人の旅路の中で「本物のライオン」に遭遇したということの表現…ライオンは、アジアにも生息していました。
インドライオンとも呼ばれるアジアライオン(Panthera leo persica)は,古代において,小アジアとギリシャから,パレスチナ,シリア,メソポタミアおよびインド北西部にまで生息していました。この動物は恐れられ,尊ばれていたため,古代近東の美術にしばしば登場しました。古代バビロンの行列道路には,彩釉れんがを使った見事なライオンの装飾が施されました。
十字軍は12世紀の終わりごろ,パレスチナでライオン狩りをした,と伝えられています。ライオンは,西暦1300年を過ぎた頃に,その地域では絶滅したと見られます。しかし,メソポタミアとシリアには19世紀まで,イランとイラクには20世紀の初頭までライオンがいたことが報告されています。
3.呉公、金剛、迦楼羅(かるら)、呉女、崑崙(くろん)、力士による劇。呉公は扇を持ち幕口に向かって笛を吹く様子をする。盤涉調を伴奏に舞う。金剛が続いて登場し舞う。続いて、霊鳥である迦楼羅が蛇を食べてテンポ速く舞う。
3.ソグド商人の旅路の中で、インドコブラなど「毒蛇」と遭遇することもあったという表現…迦楼羅(かるら)というインドの神に蛇からの守護を祈っていたのかも知れません。旧約聖書に登場する「炎の蛇」が思い起こされます。
仏教において、毒蛇は雨風を起こす悪龍とされ、煩悩の象徴といわれる為、龍(毒蛇)を常食としている迦楼羅は、毒蛇から人を守り、龍蛇を喰らうように衆生の煩悩(三毒)を喰らう霊鳥として信仰されている。
4.悪魔の崑崙が呉女に懸想して卑猥な動作で言い寄り力士にこらしめられる演技。
崑崙はマラカタとよばれる男性器を誇張したつくりものを扇でたたいて呉女に言い寄り、力士はそのマラカタに縄をかけて引っ張ったり、たたいたりする。色欲を戒める意味をもたせて上演されたが、その所作は見物の爆笑を誘ったと想像される。
4.崑崙という悪魔が登場し、呉女と交わろうとする様子…伎楽とはミトラ教の秘儀だといわれていることから、悪魔と神女の結婚儀礼が表現されているのではないでしょうか。
5.波羅門が褌をぬいで洗う所作。
洗う姿が滑稽(『教訓抄』)。
5.波羅門(バラモン)とはインドの司祭階級のことであり、ミトラ教では「マギ」にあたると思われます…ソグド人隊商の中には、神官(マギ)がいたということが表現されているのでしょうか。
6.大孤という父親と子供が仏に五体投地して礼拝する演技。
老い衰えた孤父が、2人の子に介添えされ腰を押されつつ登場。仏前に両脇を子どもに介護されて五体投地し礼拝する大孤の所作は、直接的に仏教的な内容を教え説いている[1]。1999年には、チベット仏教では五体投地が行われ、西部のシャンシュン地区に残る芸能で、仮面を使う老父と子供の五体投地劇が残っていた[21]。
6.ソグド人隊商が、チベット仏教が盛んな地域も通過して来たことの表現…悪魔崑崙と同じ名を持つ、崑崙山脈(こんろんさんみゃく、クンルンシャンマイ)とは、中国新疆ウイグル自治区にあり、「中華文明の原点」とも言われているようです。
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出典:https://www.recordchina.co.jp/pics.php?id=897428
崑崙山にまつわる神話は中国だけでなく、アジアの他の地域にも伝わった。例えば西王母は崑崙山中の揺池に住む神女とされるが、漢代(紀元前202年-紀元220年)には現在のイラン高原北東部に存在していたパルティア王国に伝わり、古代バビロニアの伝説にある月の女神と融合して、現在も中央アジアや東南アジアの民衆に崇拝されている。
7.酔胡王(酒に酔った胡の王)とその従者(酔胡従)によるハラメキと称される舞楽。
ハラメキは鳴動で大きな音を立てて動く演技[22]。西域の胡王が8人の酔胡従者を従え、自分の権威を示そうとするが、酔っている故にその酔態の様が狂態となってしまい、人びとを爆笑させ、権威をなくしてしまう王を舞で描いている。[23]緩やかな批判精神がある。その一方彼らは稀人で様々な交易品で希少な品物を運んでくれる[24]。
7.「酔胡王」とはソグド人の王であり、ソグド人隊商の中に「王」が随行し、「酒好き」で酔っぱらうことが多かったということの表現…ソグド商人は、シルクロードに高価で珍しい品々をもたらすと共に、ミトラ教をアジア各地に広めて行ったのではないでしょうか。
以上、「伎楽」の上演内容には「ソグド人隊商の旅路」が表現されている、との仮説はいかがでしたでしょうか。
上に掲載した崑崙山の写真には、「玉璧(ぎょくへき)」がモチーフとなった大きな石碑が写っています。
宮崎県の串間市では、直径約33cmの「玉璧」が完全な形で出土しています。
平成24年、7月4日(日)の日経新聞に、宮崎県串間市の「王の山古墳」から発見された玉璧に関する次のような記事があった。
「玉璧は文政元年(1818)、串間市で掘り出した石棺から鉄製品や玉類とともに出土したという。直径33.3センチ、軟玉でできた薄い円盤で、中央部には丸く孔があけられ、周囲には獣文、渦巻文、獣文の三重の文様帯を刻む。中国の玉器に詳しい岡村秀典京都大学教授は”王侯クラスに賜与するために漢王朝の工房で紀元前2世紀につくられた優品の一つだったと考えられる”とみる。」
その「穀璧」の写真の脇に次の文が添えられていた。
「(直径33.3センチ、財団法人前田育徳会所蔵)「穀」は渦巻文のこと。古代に日本列島にもたらされたとすれば、漢王朝が周辺の国王に贈り、政変などで亡命した王が持参した可能性が考えられるという。」
渦巻文と書いてあるが、中国では穀文といっている。春秋戦国時代の璧を見ると、本当に一つ一つが渦巻いているが、漢代になって、それが簡略化されたらしい。わずかに渦という感じが残っている。遠目には穀物の粒という中国の表現の方がふさわしく思える。
璧のパターンは時代が下るにつれ複雑化しており、王の山のものは漢代の璧によく似ている。同時代とみて問題ない。形式が定められていたらしく、類似の獣文(牛と角の図案化)を持つ漢代の璧がいくつか出土している。
王の山の璧は、右写真の南越王の玉璧とパターンがそっくりだが、より大きく、渦巻き文の内側にもう一つ獣文が入って、格上と考えられる。南越王のものはいくつかあり、33.4cmで獣文、穀文、獣文を並べ、王の山の璧と同レベルのものもある。
「弥生の興亡」に従えば、この玉璧が日本で出土した理由をいともたやすく説明できるのである。前漢、武帝代の東越繇王・東城(東成)侯の子孫が王の山古墳被葬者の第一候補で、これは文・漢氏の祖先。隼人の祖先ということでもある。伝世されていたものが、その価値を評価されなくなり、古墳に埋納されるに至ったのだと思われる。(「弥生の興亡、「中国朝鮮史から見える日本」 「3、帰化人の真実」参照)
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出典:https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-11985511032.html
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出典:https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-11985511032.html
この串間の「玉璧」には、『獣文(牛と角の図案化)』が描かれているというのです。ソグド人の伝えたミトラ教では、牛が信仰されていました。
また渦巻き文とは、隼人の文様であるとも言われています。
壁とは、形状は円盤状で、中心に円孔を持つ玉のことをいいます。
璧は日月を象徴する祭器として、祭礼用の玉器のうち最も重要なものとされました。
さらに璧とは、「日月」を象徴する祭器だったということです。
太陽と月が一つとなった「金星神=光明神」のシンボルとは、円環であり王権の象徴「メー」と呼ばれるそうです。
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太陽と月が一つになった「金星神=光明神」のシンボルである「円環」は、王冠として被ったり、光輝として身に纏ったり、玉座(=宝珠)として座ることができる。メーが舟で運ばれるという逸話も、現実の舟の話ではなく、太陽や月や星などの天体(メーはそのシンボル)が舟で運ばれて移動するという観念は、古代神話では珍しいことではない。
「光明神」とは、ミトラ教の神のことです。
ミトラス教(ミトラ教)の起源は、古代インドのヴェーダ信仰の影響を受けた古代ペルシア人(アーリア民族)のミトラ信仰にあるとされる。ミトラ神は多種多様な属性を持つ神であり、現世利益を人々にもたらしてくれる『契約の神・戦争の神・光明神・太陽神』などとして、古代のペルシア(イラン)やインドの民衆から熱狂的に崇められるようになった。
「日月」を象徴する「玉璧」が、ミトラ神の象徴であり王権の象徴であったなら、ミトラ教徒のソグド王にぴたりと当てはまります。
メーは、もともとはメソポタミア神話の神エンリルによって集められ、エンキの保護のもとに引き継がれ、エンキによって、彼の守護する町エリドゥをはじめ、ウル、メルーハ(Meluhha)、ディルムンなど、様々なシュメール文明の中心都市に仲介された。
ここで注目すべき点は、「メー(メ)」という概念が、シュメル神話に登場しているという点です。
エリドゥ ━ 天から地へ最初に王権が下された都市
メソポタミア南部の最南端、ユーフラテス河の沿岸にあった都市エリドゥは、『シュメル王朝表』によれば「天から地へ最初に王権が下された都市」である。
エンキ神は水神であるばかりでなく、シュメルの「神の掟」を司る全知全能の神でもあった。「神の掟」は「太古から神々によって定められた規範」で、「メ」と呼ばれるものである。
このことから、王権の象徴である「メー」を具現化したと思われる、「璧」を冊封国に下賜していた中国古代王朝の支配者とは、「シュメル」に出自を持っていたのではないか、と考えられるのです。
さらにその「璧」を授けられた諸王も、シュメル人の系譜であった可能性もあるのではないでしょうか。
宮崎県といえば日向国で、日向隼人(大隅隼人)の居住域でした。
「猿田彦」は天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を宮崎県日向の襲の高千穂峰へ道案内をしたとのことです。
そのため、宮崎県で出土した「玉璧」とは「猿田彦」の所有物であった可能性も考えられます。
そこで思い起こされるのが、天孫族と隼人族との戦いが神話化されたという「海幸彦と山幸彦」の説話です。
この物語は『古事記』『日本書紀』ともに収録されている有名なもので、弟の山幸彦の子孫が後の天皇に、そして兄の海幸彦の子孫が隼人になったと伝わっています。
そう、つまり神話上は天皇と隼人とは遠い血縁関係にあるとされているのです。
隼人には魔を祓う呪力があると信じられた
ヤマトの王権にとって浅からぬ関係のある隼人ですが、居住する地域によって部族的な区分がされていました。
現在の宮崎県あたりの「日向隼人」、鹿児島県の大隅半島の「大隅隼人」、同じく薩摩半島の「阿多隼人」、甑島(こしきじま)の「甑隼人」などがそうです。
そして朝廷には「隼人司(はやとのつかさ)」という隼人らを統率・管理するための専門機関が設けられており、遠く南九州から奈良の都へと出仕にやってきた隼人や、畿内に移住してきた隼人たちが所属していました。
隼人に課せられたのは、竹細工の製作や歌舞音曲の奉納、そして「吠声(はいせい)」と呼ばれる呪術で王権を守護することでした。
隼人の吠える声には魔を祓う力があると信じられており、元日の儀式や外国使節の来訪など、重要な国家事業の際には応天門前の左右に着飾って居並び吠声を行ったといいます。
これは奈良時代初めの「養老律令」の施行細則である、『延喜式』に詳しく記載されており、隼人という人々が当時の朝廷にとって特別な存在であったことを伝えています。
大和朝廷には、「隼人司(はやとのつかさ)」という専門機関が設けられ、大和王権に帰順させられた隼人に課せられたことは、『竹細工の製作や歌舞音曲の奉納、そして「吠声(はいせい)」と呼ばれる呪術で王権を守護すること』だったというのです。
「歌舞音曲と、呪術」とは、ミトラ教徒であるソグド人隊商の得意技だったのではないでしょうか。
隼人とは、日本に渡来したソグド人の子孫であり、隼人の地に降臨した「猿田彦」が「玉璧」の所有者だった可能性も考えられます。
「玉璧」を所持していた「猿田彦」とは、「酔胡王」だったのかも知れません。
それでは、「猿田彦」とは誰のことなのでしょうか。
天照大神は、葦原中国(あしはらのなかつくに)平定の際に、建御雷神(たけみかづち)を派遣しました。
建御雷神は剣を逆さに立て、その上にあぐらをかくという威圧的な登場で大国主神に国譲りを迫ります。
大国主の息子である事代主神は、建御雷神の説得に応じ、父に国譲りを提案します。しかし、大国主のもう一人の息子・建御名方神(たけみなかたのかみ)は反発し、建御雷神に挑んで力比べを行いますが敗北し、信濃の国(現在の長野県諏訪)まで逃亡します。建御雷神に追い詰められた建御名方神は、諏訪湖で命乞いし、服従することを誓います。
建御雷神は、剣を逆さに立て、その上にあぐらをかくという威圧的な態度で、大国主神に国譲りを迫りました。
そして高千穂峰山頂に刺されているという、その「天の逆鉾」に「猿田彦」と思われる顔が付されているというのです。
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古代筑紫国(福岡県)は猿田国と呼ばれていたという説もありますが、それ以前には九州全体が猿田国だったという説もあります。
先日紹介した鹿児島県霧島市の高千穂峰山頂に刺されている「天の逆鉾」にサルタヒコと思しき顔が付いているのは、その説を裏付けるものなのかもしれません。
そして高千穂峰の西に位置する阿多隼人の地こそ、最初にサルタヒコが九州に基地を構えた所なのではないでしょうか(参照)。
九州に猿田国があったという説もあるとのことですが、「薩宝」という言葉から、「隼人」の本拠地である「薩摩国」が猿田彦の国であったのかも知れません。
隼人とソグド人との繋がり、日向の高千穂峰に降り立った「猿田彦」、国譲りの際の象徴物である「天の逆鉾」に「猿田彦」の顔が付され、日向の串間で発見された「玉璧」という王権の象徴、これらのことから「猿田彦」とは「大国主神」と名付けられた人物であることも考えられます。
ここまでで、猿田彦=ソグド人の薩宝=伎楽の治道=酔胡王=大国主神という可能性が見えて来ました。
インドの「スーリア」という太陽神は、海を渡り沖縄まで来たということでした。
隼人の祖先とは、沖縄から南九州にやって来たとは考えられないでしょうか。
鹿児島県薩摩川内市にある、大宮神社に伝わる入来神舞(いりきかんめ)の起源とは、「隼人舞」にまで遡るそうです。
大宮神社の例祭に奉納される入来神舞の起源は相当古く神話伝承の「隼人舞」まで遡るといわれており、特に神舞三十六番中の二十二番「十二人剣舞つるぎまい」は奈良時代の前後にかけて隼人が宮城の十二門を警護したことを象徴する舞とされ、これに後世、雅楽や出雲神楽等の神事芸能の要素が加わり現在の神舞になったと推測される。
入来神舞の中では十二人剣舞が有名であるが、その他に巫女が舞う猿女舞さるめまいや三隈舞みくままい、四方・四季を表現している青・赤・白・黒の鬼神が舞う四方鬼神しほうきじんの舞、五穀の豊穣を祈念し収穫に感謝する杵舞、田ノ神舞等が伝わり、入来町の神職をはじめ「入来神舞保存会」によって継承されている。
入来神舞には、「十二人剣舞つるぎまい」や「猿女舞さるめまい」などが伝わっているそうです。
「猿女(さるめ)氏」とは、「アメノウズメ」の後裔とされており、宮廷祭祀に関わる氏族であったと考えられています。
「猿田彦」の配偶神とされる「アメノウズメ」の系譜である「猿女氏」も、「隼人」と同じように宮廷祭祀に関わっていたということからも、「猿田彦」と「隼人」の繋がりが感じられます。
沖縄県西表島の、干立(ほしだて)集落の節祭(しち)というお祭りは、興味深い祭り次第となっています。
干立の節祭のタイムスケジュール
時刻 行事内容
5:00 ドラ打ち
7:15 船抽選
7:45 公民館出発(旗頭)
8:00 ヤフヌティ
8:30 舟漕ぎ
10:30 式典・祝宴・奉納芸能
一番狂言の天上天拝
アンガー踊り、ダードゥリッダー
二番狂言:川平早使い
三番狂言:牛追い狂言
棒術
ミリク加那志
オホホ
獅子舞
12:30 トゥリムトゥへ移動(フタベ家・カイレ家)
14:30 スリズ(公民館)・ツヅミ
干立の節祭には、ミルク神(ミリク神)とオホホが登場します。
沖縄のミルク信仰とは弥勒(みろく)信仰に由来していると言われており、弥勒信仰とはミトラ信仰と繋がっていると考えられます。
「ミトラ教」を伝えたのはソグド人であると考えられるため、この沖縄の干立の節祭とは、「ソグド人」の沖縄への渡来の記憶と、「伎楽」の演目とが融合されたものであるように見えます。
さらに、この節祭の「獅子舞」の獅子が「ライオン」そっくりなのです。
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出典:http://www.zephyr.justhpbs.jp/iriomote_hoshidate_shichi2019.html
ソグド人が伝えたとされる「伎楽」で披露される「獅子舞」とは、シルクロードの旅路でソグド人隊商が、本物の「ライオン」と遭遇したことを伝承しているのではないか、との自説にも信憑性が出て来ます。
節祭の中で披露される舞いは、馬にまたがった格好で演じられるものもあり、両足に挟んだ櫂には馬の絵が描かれているとのことで、ソグド人が「騎馬民族」であったことが表されているのではないか、とも考えられます。
さらに、子ども達による迫力ある「棒芸」も披露され、これは「隼人舞」の剣舞いにも通ずると思われます。
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出典:http://www.zephyr.justhpbs.jp/iriomote_hoshidate_shichi2019.html
さらに、干立の節祭に参加する男性の装束で注目すべき点とは、古代エジプト神が思い起こされるような冠を着けている点です。
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ハトホル神とは、牛の角の間に太陽円盤を載せているということです。
琉球では、「ティダ」という太陽神が最高神とされていました。
沖縄の干立の節祭では、「牛追い狂言」も奉納されています。
ミトラ教とは、太陽信仰と牛信仰が結びついている宗教であるため、干立の節祭の内容にぴったりと重なって見えるのです。
以上のことによって、ソグド人が「酔胡王」と「ミトラ教」と共に、中央アジア(ソグディアナ)を出発し、インドやチベット・中国を通過し、沖縄へと渡来し九州の隼人へと繋がってゆくという、ソグド人隊商による「シルクロード」の遥かな旅路がゆっくりと姿を現してきました。
サタンは私たち人間が何もかも分からなくなるようにし、神様は私たち人間が何もかも分かるように導かれる。だから、分からないことは全て分かるまで研究し、祈り求める者となりなさい。
サタンは人々から考える力を奪い取り、主は人々に考える楽しみをお与えになる。
非真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問も解決できず、真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問もすべて解決し、全てが分かる喜びに満たされて生きられる。
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