今回は、「ヤジロウ」から考えていきたいと思います。
薩摩出身の「ヤジロウ」は殺人を犯したため、「マラッカ」に逃れたということです。
この「ヤジロウ」とは真のキリスト教徒ではなく、悪魔教である人肉食信仰「クロ宗」の信者であった可能性が、RAPT理論によって解明されています。
イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。
「ヤジロウ」の僧名として「岩屋梓梁」という名前が見つかりました。
「ヤジロウ」は身長が約3mもあり、頭に角(つの)のような肉腫があったため、「岩屋天狗」とも呼ばれていたということです。
室町幕府を倒し、「秀吉」や「家康」は彼の子であるそうです。
さらに「ヤジロウ」が、アラブ系の人物として生まれたという情報もあります。
そして聖徳太子の従弟とされる、蜂子皇子も「岩屋梓梁(ヤジロウ)」と同じく、アラブの血を受け継いでいたというのです。
「蜂子皇子」は蘇我馬子から逃れるため、京都府の丹後から山形県に上陸し羽黒山で羽黒権現を感得し、出羽三山を開いたとされています。
上記によると、蜂子皇子の使命を引き継いだのが「ヤジロウ」で、その後大本教の出口王仁三郎に継承され、「ヤジロウ」が展開した弥勒下生運動は近代日本史から抹消されたということです。
蜂子皇子は蘇我馬子から逃れるため、京都府の丹後から山形県に向かったとのことでしたが、京都府の丹後町に建立されている像は「蜂子皇子」ではなく、「間人皇后・聖徳太子母子像」なのです。
この「間人皇后・聖徳太子母子像」の後ろには、ギリシャのパルテノン神殿で有名な「エンタシスの柱」と呼ばれる柱も造型されています。
ここで、「ヤジロウ」や「蜂子皇子」が「アラブ」の血脈を持っている、という話に戻ります。
14世紀に「ヤジロウ」の先祖一行が、シュリーヴィジャヤ王国から琉球へと移住してきたとの説があります。
「ヤジロウ」が日本から逃れたという「マラッカ王国」を建国したのが、シュリーヴィジャヤの王族出身者だということです。
「マラッカ」の語源が「隠れた逃亡者」に由来するということは、「ヤジロウ」が逃亡した国、だからなのではないでしょうか。
それどころか「ヤジロウ」の先祖が、「マラッカ王国」を建国した可能性も考えられます。
ここで注目すべき点は、「マラッカ王室」が、「アレクサンドロス大王」の血を引いているという点です。
「ヤジロウ」の先祖が、シュリーヴィジャヤ王国出身であり、シュリーヴィジャヤの王族出身者が「マラッカ王国」を建国し、「ヤジロウ」は「アラブ」の血脈であり、「マラッカ王室」は、「アレクサンドロス大王」の血を引いているというのです。
となると、「アレクサンドロス大王」も「アラブ」の血脈であることが導かれるのではないでしょうか。
「アラブの祖」とは、聖書に登場する「イシュマエル」だと言われています。
アブラハムは、妻サラとの間になかなか子が恵まれなかったため、女奴隷のハガルとの間に子を持ちました。その子が「イシュマエル」です。
イスラム教の創始者マホメット(ムハンマド)は、この「イシュマエル」の子孫であるのです。
これらのことから、「アラブ」の血を引くということが意味するものとは、「イシュマエル」の系譜であるということでもあるのではないでしょうか。
では、「聖徳太子」はどうでしょうか。
「聖徳太子」の生母は、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひと)・間人皇后(はしうどこうごう)でした。
先の「哈只家(ハシ家)」という引用文の中で、『波斯(アラブ)ハシ家(王侯哈只家 HAJJI)系』という表現が出てきました。
一般的に「波斯(ハシ)」とは「ペルシャ」のことだとされていますが、ペルシャの地域は時代が下るとイスラムの地域となっていったため、波斯(ハシ)が「アラブ」の意味に変遷していった可能性は大いに考えられます。
そのため、「聖徳太子」の生母である穴穂部間人(あなほべのはしひと)・間人皇后(はしうどこうごう)の「ハシ」とは、「アラブ」を意味していたと考えられないでしょうか。
京都府の丹後町に建てられている「間人皇后・聖徳太子母子像」とは、「蜂子皇子=聖徳太子」であることが暗示されているとともに、「聖徳太子」が「アラブ」の血脈である可能性も想定できるのです。
さらに「間人皇后・聖徳太子母子像」の後部には、ギリシャ発祥の建築方法ともいわれる「エンタシスの柱」がありました。
「アレキサンダー大王」はマケドニア王国の王であり、マケドニア王国は古代ギリシャ人によって建国されたとされています。
そのため「エンタシスの柱」とは、「聖徳太子」と「アレキサンダー大王」との関連が暗示されているようにも見えます。
「ヤジロウ」は身長が約3mもあり、頭に角(つの)のような肉腫があったとの説がありましたが、神格化された「アレキサンダー大王」にも「角(つの)」が描かれているのです。
この「角(つの)」も、「ヤジロウ」が「アレキサンダー大王」の系譜であることを暗示しているのかも知れません。
「鄭和(ていわ)」という人物も、『波斯(アラブ)ハシ家(王侯哈只家 HAJJI)系の人物』であるようです。
ここで注目すべき点は、「馬」という姓は預言者ムハンマド(マホメット)の子孫であることを示し、哈只(ハッジ)とはイスラム教の聖地「メッカ」への巡礼者に与えられる 尊称のことだという点です。
「ハッジ」の音から思い起こされるのが、「蜂(ハチ)」であり「蜂子皇子」で、さらに「馬」と言えば「聖徳太子」こと厩戸皇子(うまやとのおうじ)です。
これらのことから「聖徳太子」が、預言者ムハンマド(アラブ)の血脈である可能性が高くなってきました。
しかしながら現代の日本の支配者層の中で、「聖徳太子」の子孫だと言われている人物は特に思い当たりません。
そこで注目すべきは、「ヤジロウ」こと「岩屋梓梁」のプロフィールに書かれていた「秀吉、家康」等が彼の子である、ということです。
「豊臣秀吉」は、RAPT理論の記事にも書かれているように、「八(ハチ)の者」と呼ばれていました。
RAPT×読者対談〈第122弾〉現代日本の支配構造は、安土桃山時代と全く同じ。
その「豊臣秀吉」のエピソードの中で、次のようなものを見つけました。
「豊臣秀吉」は、生前「新八幡(いまはちまん)」という神になることを望んでいた、というのです。
「ヤジロウ」は、八幡(ばはん)という海賊であったとの説があります。
徳川家康にも、「八」に関連付けられたエピソードが見つかりました。
「アレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)」にも、「蜂(ハチ)」に関する逸話があるのです。
これらのことから「八幡」や「八」、「蜂」などで表される「ハチ」とは、「アラブの血」に繋がる暗号のようにも見えます。
「ヤジロウ」と同時代の人物に、「千利休」がいます。
「千利休」の幼名は田中与四郎で、生家の屋号は「魚屋(ととや)」であったということです。
「千利休」が生まれた、大阪府堺市にある「開口神社(あぐちじんじゃ)」の境内には念仏寺が建立されており、その寄進者の中に「千利休」と「魚屋弥次郎」の名が記されていることに着目しました。
「ヤジロウ」は、漢字で「弥次郎」とWikipediaに記載されています。
「千利休」の生家の屋号は「魚屋」で、名は「与四郎」、合わせると「魚屋与四郎」となり「魚屋弥次郎」と酷似しています。
「千利休」と「ヤジロウ」は、ともにキリシタンだったと言われており、「千利休」の生没年は1522年〜1591年、「ヤジロウ」は1511年頃〜1550年頃とされています。
この二人が「兄弟」であった可能性も考えられますが、その旨の記事は一つも見つかりませんでした。
残る可能性は、この二人が同一人物であるということです。
「魚屋弥次郎」という名前、これは千利休である「魚屋与四郎」のことなのではないか、考えられるのです。
「千利休」は商人でもあったため、「貿易船」に乗って「マラッカ」へ行くこともできたでしょうし、「ザビエル」とも「出会う」ことができたのではないでしょうか。
「ヤジロウ」こと「岩屋梓梁」が「千利休」であったとすると、「秀吉」や家康」が「千利休」の子だった可能性が出てきます。
「豊臣秀吉」の継父だとされる人物に、「竹阿弥(ちくあみ」がいます。
「竹阿弥」が「豊臣秀吉」の実父である、という説もあるようです。
この「竹阿弥」という名前から思い起こされるのが、「観阿弥・世阿弥」という能楽師(猿楽師)の親子です。
「世阿弥」のプロフィールから導き出されるキーワードとは、「猿・鬼・三郎・元清」です。
それでは同じように、「徳川家康」について見てみます。
「徳川家康」のキーワードとして挙げられるのが、「竹・元信・元康・次郎三郎」です。
これらのキーワードの中で気になったのが、「次郎・三郎」です。
「次郎(ジロウ)」からは、「ヤジロウ」が連想されます。
それでは「三郎」とは何を意味しているのでしょうか。
「三郎」とは、「えびす神」のことが表されているのだと考えられます。
七福神である「えびす神」は、赤鯛を持っています。
「赤鯛」とは、日本書紀に「赤女(あかめ)」と書かれています。
「赤女」とは、「あかい女」→「アカイメ」と読むことができますので、赤鯛とは、アケメネス朝ペルシャの隠語なのではないかと考えました。
えびす神は、赤鯛(アケメネス朝ペルシャ)を捕ってご満悦です。
アケメネス朝ペルシャを捕ったのは、誰でしょうか。
マケドニア王国のアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)です。
「えびす神=三郎」とは、「アレキサンダー大王」のことが表されている可能性があるのです。
すると「次郎」や「三郎」がプロフィールの中で示されている「世阿弥」や「徳川家康」とは、「ヤジロウ」や「アレキサンダー大王」の系譜であることが暗示されているのだ、とは考えられないでしょうか。
そうなると、「豊臣秀吉」の父とされる「竹阿弥」が「ヤジロウ」である可能性は高くなってきます。
「ヤジロウ」は「弥次郎」、「千利休」は「与四郎」という名前であったことから、「次郎」と「四郎」の間に入るのは「三郎(えびす神)」であり、ここからも「アレキサンダー大王」が導き出されるのです。
これらのことから、「ヤジロウ」とは「千利休」とセットとなることで、「千利休」の出自が判明するよう創作された人物だったのではないか、と考えられるのです。
「蜂子皇子」も「聖徳太子」とセットとなることで、「聖徳太子」の出自が判明するよう創作された人物なのでしょうか。
反対に「蜂子皇子」が実在の人物で、「聖徳太子」が創作された人物なのかも知れません。
いずれにしろ、日本の歴史に登場する重要人物たちが、「アラブ」の血脈である可能性と、「ヤジロウ」や「アレクサンドロス3世」の系譜である可能性がある、ということが導き出されました。
「千利休」や「徳川家康」の系図を見ると、今の日本の皇族と繋がっていることが分かります。
千家 - Wikipedia (千家系図)
徳川家康【今上天皇の直系祖先】 | 歴史ディレクトリ
現在、日本のイスラム教徒(ムスリム)人口は約23万人と言われており、急激に増加しています。
日本の支配者層が「アラブ」の系譜である可能性と、日本のイスラム教徒人口の増加とは、関連があるのではないでしょうか。
事実、日本国政府は「イスラム教徒」を優遇する政策を取っていることが、「RAPT理論+α」によって発信されています。
日本各地の保育園でイスラム教徒の子供に『ハラル認証給食』を提供する取り組みが開始「食物アレルギーの子は弁当! ムスリムには対応します! 絶対間違ってる」と批判殺到
茨城県境町と五霞町でイスラム教徒向けのハラール給食の提供を開始「日本の公立教育機関は、政教分離です。なぜイスラム教だけを特別扱いするのですか?」
【岸田内閣】ベジタリアン・ヴィーガン・ムスリムなどの『外国人観光客』の受け入れ環境の整備のため、8000万円の予算を計上
【移民大国・日本】東京の住宅街でモスクに向かうイスラム教徒たちが、交通に支障を来すほどの長蛇の列をつくり物議
【私物国家】岸田総理の就任以来、インドネシア人の国内就労者数が激増 2021年は5万9820人、2023年は12万2028人 総理の実弟はインドネシア人の国内就労支援事業を経営
『この世の中で分からないことは全て分かるまで研究し、祈り求める者となりなさい。』と、RAPTさんは教えてくださっています。
サタンは私たち人間が何もかも分からなくなるようにし、神様は私たち人間が何もかも分かるように導かれる。だから、分からないことは全て分かるまで研究し、祈り求める者となりなさい。
いま世界中で、様々な災害や艱難が起きていますが、それはなぜでしょうか。
神様がこの世を裁いているのは、人々に自分たちの限界を見せつけ、「神を求め真理を求めるか、それとも絶望して死ぬか」という選択肢を突きつけるためだ。
『真理と愛』を学ぶことの重要性も、RAPTさんは教えてくださっています。
真理はサタンを滅ぼすことができるが、非真理はサタンを滅ぼせない。真理にはサタンに勝利する力があるが、非真理にはサタンに勝利する力がない。
愛と真理を豊かに携えて生きるなら、それだけで心が満たされ、ありとあらゆる祝福がついてまわる。
神様は真理によって人々を刺し貫き、聖霊様は恵みと愛によって人々の心をほぐされる。それによって、人類を悔い改めに導き、人類が御言葉に聞き従って祝福を受けられるように導かれる。
RAPTさんが、命がけで伝えてきてくださっている『御言葉』が、これから急速に全世界に広がり、神様とRAPTさんの御名が世界中で高められますことを、心からお祈りしています。
この時代に送られた中心者は、聖書の歴史の締めくくりを成し、自らの使命を最後まで成し遂げ、これによって天で大きな栄光を受けた。だから、中心者の伝えた御言葉はこれから急速に全世界に広まり、その名が高められるだろう。
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