少女と女王をつなぐ花
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第13回 『森は生きている』(サムイル・マルシャーク)
BOØWYやプリンセスプリンセスなどのロックバンドが流行した高校時代、文化祭はコピーバンドの演奏で幕を開けた。
文化祭では、音楽や演劇などの舞台系の出し物と、模擬店やレクリエーションなどの展示系の出し物があり、舞台系は近隣の大きな公会堂を貸し切って、展示系は校舎の教室を使って、それぞれ別日程で開催された。
自由な校風で、今では信じられないくらい生徒の自治と自主性が重んじられていた学校だった。教員が文化祭の出し物に関与したり、口を出したりすることはなく、企画から金銭の管理まで生徒が行った。舞台に出演しない展示系の生徒は、公会堂で観覧してもしなくてもよかったし、同様に舞台系の生徒も展示系の出し物に興味がければ、その期間は学校に登校する必要はなく、出入りも自由だった。
私のクラスは3年間展示系の出し物で模擬店を開いたが、友人が演劇を希望したクラスや吹奏楽部に所属していたこともあり、公会堂での観覧を楽しみにしていた。
朝9時から夕方4時くらいまで数多くの出し物が続くのだが、教員や大人が関与しない分、なかには鑑賞に耐えないものもあり、途中、どうしても飽きてしまう。とくに軽音楽の演奏で出演するグループには、流行のロックバンドを真似て買った楽器を披露したいためだけに出てきたようなグループがいくつもあり、大音量だけが耳に残った。
それでも3年生グループにとっては最後の舞台で、親御さんたちが観に来て、声援を送っていた。ある事情から学校にあまりなじめなかった私は、冷めた気持ちでその様子を眺めていたのだが、あれから30年という月日が経った今思えば、それもまた、誰にとってもキラキラした青春時代の一コマだった。
大トリを務める友人の吹奏楽部の出演まで少し時間があったので、近くのマクドナルドで時間をつぶそうとロビーに出ると、演劇で出演するクラスが出番を待っていた。そのなかに、王冠をかぶり、真っ赤な長いマントのようなものを背にかけ、手には錫杖のようなものを持った生徒の姿が目に入った。
紙でつくったハリボテの王冠も錫杖も、布を買ってきて誰かが手縫いしたと思われるマントも、学芸会の域を出るものではなかったが、その生徒の凛とした、本物の女王を思わせる威厳のある佇まいに息を飲んだ。どこのクラスのどんな演目なのかを確かめようと、くしゃくしゃにしてしまったプログラムの紙をひらくと、屋外の渡り廊下でつながれた向かいの校舎にある、あまり交流のないクラスの『森は生きている』という劇だった。
『森は生きている』・・・わがままな女王が、春に咲くなんとかっていう花がほしいと真冬に言い出し、森に住む貧しい女の子が、雪のなか、それを探しにいく話しだったかしら???「世界の童話全集」みたいなテレビアニメか絵本でみたことがあるような・・・
おぼろげな記憶をたどっていくと、王冠をかぶった生徒は、そのわがままな女王役であることに思い至った。がぜん興味がわいてきた私はすぐに客席に引き返した。
* * *
新年を迎えようとしている大晦日、少女は継母から薪拾いを言いつけられて、雪深い森を歩いている。そこへ老兵士がやってくる。王宮の御殿で行われる新年祝賀パーティーで使うもみの木を探しているという。兵士は本当の両親がいない少女を気の毒に思いながら、もうひとりの親のいない少女について話し出す。
それは王宮にいる女王のことで、両親の王と王妃を亡くして、早くにこの国の主人になった。女王には親身になって知恵や分別を教える人がいなくて、気難しい人柄だという。少女はそれをきいて、自分と同じ14歳の女王に同情を寄せる。
老兵士は少女に手袋を貸し、励ましながら薪ひろいを手伝うと、少女がそのお礼に、素晴らしいもみの木のある場所まで老兵士を案内する。そのころ、12月の精と1月の精があらわれて、互いを讃え合い、吹雪をおこしながら交代をはじめる。
王宮の御殿では、女王が教育係の博士から数学と習字を学びながら、総理大臣の持ってくる勅書にサインをしているが、面倒な仕事や博士の小言にイライラしている。季節ごとの月が順に巡ってくることで1年が12ヶ月で成り立っていることを博士から教えられると、すぐに4月に咲く松雪草が見たいから、明日の新年の祝賀パーティーに松雪草を持ってきたものには、褒美として金貨と銀ぎつねの毛皮がついたシューバ(毛皮のコート)を与え、新年の御幸のお供を許すというおふれを出す。
それをききつけた少女の継母とその娘は、薪拾いから戻ってきた少女に松雪草をつんでくるように言いつけて、再び寒い雪深い森へと送り出す。こんな季節に松雪草があるわけがないと少女が途方に暮れていると、森の動物たちの導きで、12ヶ月の精たちが勢揃いして焚き火で暖をとっているところにたどりつく。
少しの間だけ暖まらせてほしいと懇願する少女を快く受け入れる12ヶ月の精たち。大晦日の夜、雪深い森で少女がひとりさまよっているのを不思議に思って事情をたずねる。そして、4月の精は、ほんの少しの時間だけ4月として松雪草を咲かせようと提案する。少女が森に親しみ、森の恵みを大切にしていることを知っていた12ヶ月の精たちは、少女の窮地を救ってやることにする。
松雪草を手に入れることができた少女が心から感謝の気持ちを伝えると、月の精たちは、どんなときも自分たちは少女とともにあるといって、4月の月の精が指輪を贈る。何か困ったことが起きたら、この指輪を投げてある言葉を唱えるようにと。
籠いっぱいの松雪草をたずさえて家に戻ると、継母と娘は喜ぶ一方で、少女の様子を不審に思い、見たことのない指輪を大事にしているのを見て、こっそりと取り上げてしまう。翌朝、少女は起きて指輪がないことに気がつき継母と娘を問い詰めるが、継母と娘は知らないと言いはり、王宮の御殿に松雪草を持っていってしまう。・・・
女王がほしがった松雪草
女王が欲しがった松雪草(待雪草)は和名で、スノードロップといった方がピンとくる人もいるのかもしれない。小さな白いふんわりとした3枚の花びらが下に向いた花で、春を告げる花として知られている。
スノーフレークと呼ばれるすずらんによく似た花があるけれど、それとは別の花で、スノーフレークには花びらの先端に緑色の斑点があることで見分られる。実は私も長い間、松雪草、スノーフレーク、すずらんの区別がついていなくて、すずらんの品種違いくらいにしか思っていなかった。あらためて写真でよく見ると、似て非なるものだった。
まず松雪草はクロッカスを下に向けたような花で、スノーフレークやすずらんに比べて、花びらの丈が長く、一枚一枚が独立していて、絵本に出てくる妖精たちがふんわりと羽を広げて飛んでいる姿に似ている。スノーフレークとすずらんは、短い袋状というか鈴状になった花びらで、赤ちゃんの帽子のようでもある。
そして松雪草の茎は細くて繊細で葉は茎の半分くらいで、雪が積もったときには花だけが雪から顔を出すのに対して、スノーフレークは茎も葉もシュッとして長く、地面からやや離れて咲く。すずらんは茎は細いけどチューリップの葉のような形をした肉厚の葉が2枚向き合って、小さな花を守っている印象がある。
どれも春の花と言われるが、咲く時期も微妙に異なり、日本では松雪草が2月〜3月の雪がまだ残るころに、スノーフレークが桜と同じ3月終わりから4月のころ、すずらんは初夏の5月ごろに咲く。
松雪草は、日本には明治のころに入ってきたという説がある。調べた限りでは、その後の日本の文学作品にはあまり登場しないが、俳句では春の季語とされている。ヨーロッパからコーカサス山脈付近が原産地と考えられていることもあり、ヨーロッパ各地に伝説があり、ギリシャ神話や旧約聖書、アンデルセンの作品などにも登場する。
ギリシャ神話では、妖精の王の娘に恋をしたことで追放されてしまったある島の王子が、報復のために妖精の国に攻め入ったところ、返り討ちにあって死んでしまう。王の娘は霊草の汁を王子にかけて生き返らせようとするが、王子は小さな白い花になったという。王子が白を意味する名前だったことにちなんでいると考えられる。この神話の影響なのか、イギリスのある地方では縁起の悪い花とされている。
旧約聖書ではエデンの園を追われたイヴが、雪ばかりふる季節を嘆いていると、天使がやってきて雪に息を吹きかけた。その雪が落ちた場所から小さな白い花が咲き、天使はイヴに必ず春夏がやってくるから希望を捨てないようにと慰めたという。花言葉の「希望と慰め」はこの逸話がもとになっていると考えられる。
岩波少年文庫から出ている『森は生きている』の解説には、この作品は旧ソ連時代の1946年、詩人のサムイル・マルシャークがスラブの民話『十二の月たち』をもとに戯曲化したとある。『十二の月たち』について調べてみると、やはり大晦日の夜に一堂に会した12ヶ月の精が、継母に言いつけられて雪深い森にやってきた少女を助ける話しなのだが、少女が求めているのは松雪草ではなく、すみれとなっている。
松雪草、すみれのいずれにしても、雪深い北の国では春の訪れを待ち望む気持ちを表現する花なのだが、あえてすみれから松雪草に変えたのはなぜだったのだろうか、という疑問が湧いてきた。
チャイコフスキーの「松雪草」
「松雪草」とインターネットで調べると、チャイコフスキーによる「松雪草」という曲があがってくる。ロシアの12ヶ月それぞれの月にあらわれる風物をイメージして作曲した「四季」という12曲からなる小作品の一曲で、各月の曲には、それぞれのイメージにあったロシアの代表的な詩人による詩がそえられている。
『森は生きている』のなかでも、12ヶ月の精がそれぞれ担当する月をイメージする詩をうたいあげるシーンがあるのだけれど、作者マルシャークはスラブの民話『十二の月たち』とともに、このチャイコフスキーの小作品も意識していたのではないかと思えてくる。
「松雪草」は雪深い大地に咲く小さき花に一筋の光を・・・と祈るような、明と暗が戯れ入れかわるような調べが印象的な曲だ。単純に、花の開花に春の訪れを期待する曲とはいいきれない、奥深さと陰影がある。
都市部で暮らす私には想像もできないくらい、北の国の冬は厳しいものなのだろう。秋に生まれたお子さんに、春にちなんだ名前をつけた東北出身の友人がいる。不思議に思って名前の由来をたずねてみた。
「東北で育ったものにとって、春は本当に待ち遠しいものなのよ」
友人は東北の冬の厳しさも美しさもすべて受け入れたうえで、それでもなおといって、まぶたをほんの少しぎゅっと閉じた。
チャイコフスキーはこの「松雪草」を4月の曲としている。解説には、ヨーロッパの旧暦(ユリウス歴)の4月であるため、現代の季節感とはずれるとある。仮に旧暦(ユリウス歴)の4月1日といった場合、新暦(グレゴリオ歴)では4月15日前後にあたるという。先にもふれたように、日本の感覚だと松雪草は2月〜3月の花だけれど、日本よりさらに北西に広がるロシアでは、雪解けに向けて大気が動きはじめるのが3月の終わりから4月中旬ごろからであり、そこに姿を見せるのが松雪草なのかもしれない。
宮沢賢治の『水仙月の四月』でも、水仙が咲きはじめるころ激しい吹雪が来るように、冬から春の転換点が、雪も寒さも暗さももっとも厳しいのではないか。そんな瞬間に、小さな姿を雪の中からのぞかせる松雪草は、ある意味、絶望のなかにとどく一筋の光であり、希望なのだろう。
エデンの園を追われたイヴが嘆いたのは単に寒さや雪の深さではなく、住みなれた場所を離れ寄る辺ない身の上となった絶望だったのではないか。そこに天使が、厳しい季節に姿をあらわす花松雪草という希望と慰めを与えたのだろう。
花言葉はひとつの花においてもさまざまなものがあり、文化によっても違うので、ロシアでの松雪草の花言葉が、そのままイヴの逸話にある「希望と慰め」かどうかは分からないけれど、『森は生きている』がスラブの民話を基にしながらも、少女がつむべきはすみれではなく松雪草としたのは、このような松雪草の背景を必要としたのではないかと考えてみる。
少女が4月の精のはからいで松雪草を籠いっぱいにつむことができたとき、「どれも大きくて、くきにはやわらかい毛がはえていて、ビロードのようだし、花びらは水晶のようなの」という。
「くきにはやわらかい毛がはえていて」という表現に注目して、これは松雪草ではなく雪割草なのではないかという説をみかけた。たしかに松雪草の茎はツルッとしていて、毛は生えていない。一方、雪割草も松雪草と同じように雪の中で小さな花を咲かせるのだが、写真を拡大してよくみると、たしかに茎に毛が生えている。
また、チャイコフスキーが「松雪草」の曲にそえた詩人マイコフの詩にも、雪割草の訳語が当てられているものがあって、私は頭を抱えてしまった。こんなときはロシア語の原書にあたるのが一番なのだが、残念なことにロシア語ができない。
あれこれ考えて、まず松雪草の英語名snowdropに対応するロシア語を数種類の翻訳サイトで確認したところ、「подснежник」という語であることが分かった。次は『森は生きている』の原書名である『十二ヶ月』と作者マルシャークの名前も、翻訳サイトでロシア語の表記を確認して検索する。するとロシアの児童文学のレビューサイトらしきものがあり、そこで『十二ヶ月』のあらすじを見つけることができた。その文章に対して「подснежник」の語を検索したところ、数多くヒットした。
またチャイコフスキーの曲やそれに添えられているマイコフの詩についても、同様のことをおこなったところ、「подснежник」であることが確認できた。単語上の訳語としては松雪草 = snowdrop = подснежник であることはつながった。念のため、画像検索をしてみると、同じ花を指していることが確認できた。
少女の言葉にある「花びらは水晶のようなの」は、白い花が白い雪の上に咲いている姿が、透明のきらきらひかる水晶の塊のように見えることを考えると、松雪草しかないと思うけれど、「くきにはやわらかい毛がはえていて」が、何を意味しているのかは、やはり分からなかった。
それでも私は、この物語の花はすみれでもなく、雪割草でもなく、「希望と慰め」を表す松雪草でなくてはならないと思うのだ。
少女と王女、ふたりでひとり
子どものころ、『森は生きている』をアニメや児童向けの芝居として観ていたときは、女王は無理難題を言って臣下を振り回し、少女を困らせる悪者であり、少女は継母とその娘につらい仕打ちをされながらも健気に生きる、シンデレラのようなヒロインに映ったのではないか。おそらくわがままはいけない、苦難があっても耐えていれば、きっといいことがあるといった、教訓話を読んだときのような感想を抱いていたのだろう。
あらためて戯曲として読んでみると、女王は少女と同じ年齢で、親を早くに亡くした娘であることにはじめて気がついた。「女王」という言葉から成人した女性だという先入観があって、女王を「眠れる森の美女」の魔女や、ヒロインに意地悪をする継母と魔女を掛け合わせた「白雪姫」の母親のような存在だと思っていた。
ところが女王が女王であるという以外、少女と何ひとつ変わらない14歳の娘であることを知ったとき、ふたりは教訓話的な悪者とヒロインという関係ではなく、表裏一体、ふたりでひとりなのではないかという考えが浮かんだ。
女王には臣下や教育係のような博士がいて、少女には継母とその娘がいて、表向きの親らしき大人はいるけれど、どちらも愛情深く庇護されているわけではない。女王は一国の主人なので仕方がないとはいえ、刑罰の種類や可否を決定するなど、その職務は14歳の娘が負うべき責を超えている。少女の方は貧しい暮らしの中で、継母からやはり身にあまるきつい労働を強いられている。
少女は森とともに暮らし、労働をつうじてその恵みに感謝し敬意を払い、自然(12ヶ月の精たち)から恩寵を受け取ることができる。反対に女王は経済的には豊かな暮らしをしているが、ずっと王宮の御殿で暮らしているため、自然の摂理や健全な人間関係の築き方を知らない。そんなふたりが、松雪草を介して出会う物語なのではないか。
女王は教育係の博士を通じて知った、4月に咲くという松雪草を見てみたいと言い出す。国中におふれを出したにもかかわらず、新年の祝賀パーティがはじまっても松雪草は届けられていない。王宮の植物園で育てられた高価な花々が届けられるが、松雪草ではないことを理由に、女王は植物園の園長に刑罰を言い渡す。
やっと少女の継母と娘によって松雪草が届けられると、今度は松雪草が咲いている場所へ案内しろと言い出す。継母の手引きではじめて森の入った女王は、森の動物たちの存在や雪が積もってたわんでいる木々の様子が珍しくてならない。そのなかではじめて、雪かきという労働を経験して汗をかく。
継母の娘の策略で森の湖までやってきた少女は女王と対面するが、松雪草が咲く場所はどうしても教えられないというと、女王は継母の娘から少女の指輪を取り上げて、湖に投げ入れてしまう。転がる指輪に少女は12ヶ月の精たちに教えられた言葉を唱える。すると雨風がおこり、1ヶ月ごとの季節が猛烈な勢いで巡ってくる。
4月がやってくると、女王は夢中になって松雪草をつみはじめる。すぐにその季節は過ぎ去り、次はイチゴ、キイチゴ、エゾイチゴが実る季節がやってくる。そして灼熱の夏がきて、つむじ風の秋がやってきてと、目まぐるしく季節が変化することに、臣下や従者たちは根をあげて、皆逃げ出してしまう。
再度厳しい冬がやってくるが、秋のつむじ風でシューバ(毛皮のコート)が吹き飛ばされてしまったため、女王は凍えそうになり、体が動かなくなる。臣下や従者たちが馬車やソリで逃げてしまい、王宮の御殿に帰ることもできない。そこではじめて女王は、自分がおろかなおふれを出したことに気がつき、後悔する。
女王の元に残ったのは、家庭教師役の博士と、少女を助け女王に親がないことを心配していた老兵士だけだ。老兵士がソリをさがしてくるが、雪深い森ではソリを引く馬などみつかるはずもない。継母とその娘、女王がいがいあっているところへ、少女を助けた1月の精があらわれる。そして必要なものを与えるという。
女王は金銀のほうびを与えるから、御殿への帰り方を教えてほしいという。1月の精は雪を銀やダイヤモンドにかえてみせて、「あなたがわしに、ではない。わしがあなたに贈ることができるのじゃ」と諭す。そして、さらに欲深さをさらけだし、いがみ合う継母とその娘を犬に変え、それにソリを引かせて、火のあるほうへ向かうように老兵士にいう。
そのころ、少女は12ヶ月の精たちとの再会を果たしていた。指輪に執着せず、湖に投げ入れられたところで呪文を唱えたことが功を奏したといい、4月の精は少女に指輪を返す。そしてこれからは、少女のところに自分たちが順番にそれぞれの月の恵みをもって訪れると約束する。まず12月の精から高価な衣装がたくさん入ったつづらが贈られる。2月の精からはソリを、5月の精からはソリを引くための力強い馬を2頭、3月の精からは馬の首につける鈴や小鈴を贈られる。
そこへ女王と博士と老兵士が乗ったソリがやってくる。1月の精は、焚き火で暖をとるように老兵士に勧める。少女が女王にもみまがう美しい身なりをしていることに一同は驚くが、女王は気に入らない。しかし今や少女が月の精たちから贈られたソリや馬を使わなければ、王宮の御殿には帰れないことを知った女王は、ほうびを与えるからソリや馬を使わせろという。
ものごとを頼む方法を知らない女王に、12ヶ月の精、老兵士、博士は、ほうびを与えたり命令したりするのではなく、ただ、どうかソリに乗せてほしいと頼めばいいのだと教える。少女は女王の願いを快く聞き入れ、高価な衣服が入ったつづらから、女王と博士に老兵士にシューバを贈る。そして12ヶ月の精たちに見送られて、少女、女王、博士、老兵士はソリで森を後にした。
物語の前半では、少女の苦難と12ヶ月の精との出会いとが描かれ、後半では、自然のなかでの女王の試練と月の精との出会いが描かれる。
ラストで少女がシンデレラのような幸運を得たことに読者はホッとする。幸運は少女の自然とその恵みに対する敬虔な心持ちによるところが大きいけれど、女王がわがままと気まぐれにほしがった松雪草がきっかけだったともいえる。季節はずれの松雪草を探しに出たからこそ、12ヶ月の精たちと出会うことができた。それはいじわるな継母たちとの絶望的な暮らしのなかでの得た慰めであり、一筋の光、明るい将来への期待だったのではないか。
一方、女王は自然の摂理を理解し、自分がすべてを与える存在ではなく、自分が与えていると思っているものですら、自然から与えられているものであることを知る。そしてそれを自由きままに独占するのではなく、分け与えることを同じ年齢の少女から学ぶ。
また困難のなかにあっては、命令と報賞、刑罰によるうわべだけの人間関係ではなく、臣下に対する信頼と臣下からの忠心による信頼関係が自分を救ってくれることを、老兵士から学ぶ。それはこれからの長い年月、女王が国を治めていくなかで必要不可欠なものであり、何よりの財産となるものだ。
女王は少女とは違った孤独な暮らしのなかで、きまぐれに松雪草をほしがったけれど、結果的には、女王として生きるための道標をみつけたのではないか。それもやはり女王にとっての慰めであり、一筋の光、期待だったと、私は思うのだ。
少女と女王は松雪草を介して出会い、お互い補い合い、それぞれにないものを得た。そういう意味で、ふたりは「ふたりでひとり」なのではないか。森から去っていった少女と女王の関係が描かれることはないけれど、ふたりが互いを気遣い合える友人になれていたらいいなと思うは、私が年齢を重ねすぎたせいだろうか。
* * *
屋外の渡り廊下でつながれた向かいの校舎にある、あまり交流のないクラスが上演した『森は生きている』は、その年一番の拍手喝采で幕を閉じた。演出も演技も、私が3年間の文化祭の中でみた舞台系の出し物のなかで、もっともクオリティの高いものだった。脚本と演出を手掛けたのが、あの赤いマントを身につけた女王役の生徒だったということを、後日、知った。そして両親の離婚など、家庭にいくつかの不幸が襲っていた時期だったともきいた。
後年、彼女は海を渡り、舞台演出の勉強をしていると風の便りできいた。あのときの松雪草が、彼女にとって慰めであり、一筋の光、期待だったことを願った。
※上記動画の背景にある画像は、松雪草(スノードロップ)ではなく、よく間違われるスノーフレークである。