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きれいなショートケーキ

私は昔、読書感想文が大嫌いだった。

小学生が読書の感想なんて書いたところで、要約すれば『面白かったです。』というものを無理矢理に引きのばした作文がただ出来上がるだけだと思う。

別に読書感想文なんて書きたい人が書けば良い。それを夏休みの宿題なんかに組み込んだりするから余計に読書感想文が嫌いになっていくのだ。

子供心に『読書感想文なんて、誰が書いたところで同じような作文が出来上がるだけなんじゃないかな。』と私は穿った見方をしていた。

現に、クラスで1人ずつ読書感想文を読み上げる、といった授業があったが、どれもこれも似たり寄ったりで内容は全く記憶にない。

だが、突拍子もない書き出しから始まるユーモラスな作文を発表する子がいた。その子は普段はお調子者、というか悪く言えば「クラスのはみ出し者」的なトラブルメーカーだった。

私はその子の作文を聞いた時にすごくワクワクした。序盤から「感想文の定型」のレールを大いに外れながら書かれていく。彼独特の目線から書かれた表現は、それはもう斬新で私は一気にその子の作文に引き込まれていった。

しかし、先生は彼の斬新な作文に眉根を寄せて苦言を呈していた。「作文の定型」から大きく外れたその作文はまるで価値がないかのように切り捨てたのだ。

たしかに文節などはメタメタに崩れていて、『作文』というイメージからは大いに外れていたかもしれない。だが、私の心にはそれが大きく響いたのだ。

大人が選ぶ読書感想文の評価なんてそんなものか、と私は失望した。

まるで綺麗に並べられたショートケーキを眺めるように、統率の取れたものを大人は好むのだろう。

賞に選ばれるのはショートケーキの中の『特にきれいなショートケーキ』。それはモンブランでもチーズケーキでも決してない。

きれいなショートケーキにするために書く作文なんて嫌だなぁ、と思って学生生活の間は真面目に作文なんて書かなかった。

夏休みの今、昔の私みたいに身近な子供たちが読書感想文に頭を悩ませているが、今となっては、怒られても良いからとびきり立派なチーズケーキのような作文を書いて提出しても良かったのかな、なんて思ってみたりもする。





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