文学フリマ札幌に行った話
何かを作ることは好きだけど、作品作りというよりは、ただ手を動かすことが好きなだけで、あるいは何かの模倣というかパロディというか内輪向けのノリで何かを作ることが好きなだけで、わたしが作った作品を売った経験といえば、母の職場のバザー向けにミサンガを100本くらい作ったり、ビーズザイクを50個くらい作って持ち込んだくらいのものだ。(日頃お世話になっているので寄贈した作品をを売ってもらい、売上を運営経費にしてもらった。売れ行きも売価も知らない)
そんな中、ちょっとした縁があって、「文学フリマ札幌」に行ってみた。ヲタクの割に同人活動に足を突っ込んだ経験がなく、20年前に友人に連れられていった同人イベント振りにこういったイベントに参加した。
息子が「僕は行きたくない」と会場ロビーでipadと戯れていたため、私はさらっと会場を1・2周周回するくらいしかできず気になっていた作家さんのポストカードを買うだけで終わってしまったが、率直に出品者の皆さんはかっこいいなと思った。
出品者の皆さんは書いた作品に自信を持っているのだ。作品に対してへりくだっている様子は何一つなく、自分の書いたものが500円なり1000円の価値があるというところについては当たり前のことのように対応されていたし、お客さんも値切るとか価格に対して文句を言うような様子は見受けられなかった。
多分わたしは平均よりかなりネガティブで、平均よりかなり自己肯定感が低くて、その割にプライドが高いので、自分の作品に値付けができないし、自分の作品に金銭的価値をつけられないのだろうと思う。だから、「私の書いた詩集は500円です」と言い切る姿に新鮮な驚きを感じたのだ。
例えば私の noteが書籍化されるとして、私はそこに印刷代以外の何かを載せることができるのだろうかと考える。金銭的価値との引き換えになるのは、私の時間なのか、責任なのか、自信なのか、一体何がその価値になるのか。でも、それは文章に限らず、働いて賃金を得ることも同じ気がする。自分に付加価値をつけると同時に、自分が価値のある人間だと言い切れること。それが今の私に欠けているのかもしれない。
何か作品を売ってみたいと思った。自分のどこに価値があるのか知りたいと思った。自分に何ができるのか知りたいと思った。まだ人生は折り返し地点に差し掛かったところである。まだまだ何かできるはずだしやってみたい。
偶然にも今日買ったポストカードには札幌らしいと言うか「Boys,Be Ambitious 少年よ大志を抱け」と書かれている。このポストカードは手帳に挟んでおくことにしよう。