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今すぐにできる自己肯定感の上げ方は「勘違いブス」になること
昨日すごいひと(便利な言葉だな!)と話していたとき、
「どうして自己肯定感が高いのか」
という話になった。ある人は、「成功体験を積み重ねたから」「乗り越えてきた経験があるから」と話した。
わたしはそもそも自己肯定感がそんなにあるほうとは思っていないし、そんなに成功体験があるわけじゃないけど、ただひとつ言えるとしたら、「あらゆる負の要素を排除してきたから」なのかもしれないなぁと思った。
小さなクラスやコミュニティだけで生きていたら難しいかもしれないけど、これは誰にでもできるカンタンな自己肯定感の上げ方。
自分のことを攻撃してくる人とは関わらない。
自分の力が活かせない場所には行かない。
自分のコンプレックスが浮き彫りになる状況をつくらない。
自分だけの小さな国を作っていくイメージだ。
「勘違いブス」という言葉があるが、わたしは勘違いブス最高じゃん、と思っている。
一般的に美人ではなくとも、自分で自分のことを美人だと思っていたら人生はハッピーだ。だって世の中には一般的な美人なのに自分はブスだと思い込んでいる人もいるくらいなのだから。
ちなみにわたしは自分の顔面は一般的には美人ではないと断言できるが、そんなに悲観的ではない。それは、「可愛いね!」と言ってくれる人か、容姿で人をジャッジしない人としか一緒にいないからである。
そのおかげで、着飾ろうとかメイクしようとかあまり思わない。だって割と満足しているから。
でも、これにはちょっとしたポイントがある。
たとえば、容姿を貶してくる仲良くもない人がいたとしたら、もうその人とは関わらなくていい。
逆に、普段から仲が良くて、「こうするともっと良くなるんじゃない?」というポジティブな提案をしてくれる人は大切にする。
小さな国をつくるというのは、狭い世界で生きるのとはまた違う。人の意見を聞き入れないというわけでもない。
自分のことを本当に思ってくれる人だけが住んでいる国なのだ。
「たまには負の意見も聞き入れるべき」という意見があったとしたら、それこそ「あなたはわたしの何なの?」という話である。
大抵「自分のことブスなのに勘違いしていてかわいそう…」とか言ってくる人はわたしのことを全然知らない人だし、仲良くないし、話したことのない人だ。
だから、別に関わらなくても何も支障がないのである。これは、「ブス」に限らず、他のことにも言える。
わたしは永遠の17歳と言っていて、初対面だとびっくりされることもあるけれど、この一見よくわからない価値観に寄り添ってくれる人と仲良くしたいと心から思っている。
ただ、別に共感してくれない人がいたとしても、その人が悪いなんて全然思わない。生まれた場所が違うだけで言葉が違うくらいだもの、そもそも人間なんてわかりあえるわけがない。
だからこそ、自ら「わたしはこんな人だよ!」と正直に表明したほうが、「いいね!」と共感してくれる人が集まって、やさしい世界がスピーディーに築かれていく。
たまに世界には相容れない人がいるけれど、それは敵じゃなくて、他の国から迷い込んでしまった人だから、その人ははやく自分の国に帰ったほうがいいし、わたしも帰してあげたい。
なのに、みんな自分と意見がちがう人と積極的に関わりにいこうとするから、クラスのディベートを眺めるような気持ちで見ている。
ディベートをしたことがある人はわかると思うが、どっちが明確に正解とかはない。
誰かに迷惑をかけるからともかく、個人の範疇で平和に暮らすことを咎められるのはおかしいからね。
そうやって好きな人とだけ暮らしていくと、自己肯定感は下がらない。だって彼らは「あなたが生きているだけでいい」と言ってくれるはずだから。
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