〖 エッセイ 〗 自由と我儘(わがまま)との界(さかい)。
ある日、好き勝手に生きてきた親戚が
「認知症である」という報せが届いた時
私の中の小さな小さなサイコちゃんが
ぞわぞわっと動き出した。
サイコパス
そもそも『サイコパス』の定義として
このようなものが挙げられます。
概ね、私の根っこは真逆の感覚を持ち
そのように生きています。
基本的にルールを守り
自己利益本位になることは少なく
なるべく計画を立てて動きたいし
暴力反対、低刺激を好み(時には刺激を好む笑)
安全第一、石橋を叩いて渡らないことがある位で
無責任にはなれないし
人が傷つくのを見ているのは辛いものです。
(あれ、列挙してみたらつまらない人間かも?笑)
ですが、ふとした瞬間というか
「誰かを平気で切り捨てることができる」
そんな時があるのも事実です。
どんな人にも
サイコな部分が隠れているんじゃないかと
私は思っています。
そんな私を怖いと思いますか?(笑)
意外だと感じますか?
そう。
相反したような意外な部分を
人は持っているものです。
真面目な人にも不真面目な部分があり
賢い人なのにどこか欠落していたり
綺麗に見えても醜い部分が存在するし
優しい人にも優しくない部分があるんです。
どれも割合の程度の差で
その人の性質が成り立っているような感覚です。
そして、それが発動するには
その人なりのスイッチがあって
スイッチが入るような相手やシーンに出くわすと
隠れていたその部分が表に出てきます。
それは
正式に「サイコパス」と診断されなくても
似たようなものだなと私は感じています。
今日は白と黒の狭間のようなものを
表現することになりそうなので
素直過ぎる自分に
下着を着せようと思います(笑)
というわけで、こちらの記事は
マガジン『ことのは』へしまう事にいたします。
そのお気持ちがとっても嬉しいです。 心から…ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚