「じじつ」と「しんじつ」
今年の本屋大賞を受賞した『流浪の月』
なぜ人は憶測で考えて、それをあたかも事実のように語ってしまうのだろう
彼女と彼にとってあの時間がどれだけ尊いもので素敵だったか私たちは知らないのに
社会という主体性を持たないけれど、姿はないけれど、確実にあるもの
私たちはいつからか自分の意思とは裏腹に組み込まれている
そしてその社会の常識や当たり前を脳に刷り込まれて、視野が狭くなる
自分が更紗の友達だったら?なんて声をかけるんだろう
この本のほとんどの人と同じように私も誘拐された過去を持つ可哀想な女の子としか思わないのかな
自分は更紗のような誘拐される側じゃなくてよかったって、なにも知らなければ言ってしまう
第三者が全てを知ることなんてきっと不可能なんだけど
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