コロナと食べ物と新たな世界
有り難いことに就職活動が無事に終わり、
それはそれでやることがなくなった
来年になるともうあまり本も読めなくなるかもと
今馬鹿みたいに図書館で本を借りている
今読んでいる本は
辺見庸さんの『もの食う人びと』(1994年発売)
TBSの番組で嵐の櫻井翔くんが紹介(?)してたことがきっかけで
食を通して見える世界のエッセイがとても興味深い
英語だとinterestingな方の面白さなんだけど、
何で日本語になるとこんなに表現が難しいんだろう
この本を読んでいると、食と人々の生活が断片的に、
それでいて客観と主観が混ざり合う形で共存していることに気づく
戦争や紛争、政治の動乱や個々人の価値観など、
見えないのか見ないようにしているのか分からないけど
普段目をつむっていることがありありと浮かぶ
今私たちは新型コロナウイルスという
未曾有の大災害の危機に直面している
ただ、私たちは同じ苦しみを今全世界の人々と共有している
これって何気にすごいことじゃないか?
東日本大震災が起こったとき、小学5年生だった私は津波の映像を見ながら
ポップコーンを食べていた
自分の身近な人が犠牲になっていなくて、住んでいたのは四国だったから
同じ感覚で悲しんだり胸を痛めたりすることは難しかった
熊本地震も、西日本豪雨も、今のミャンマーの混乱も、
私は何一つ自分の事として考えることができない
大学生活の大部分を占めるハンセン病の活動でさえ
その本質そのものは私にとって遠い世界の話にすぎない
私が生まれて初めて実感を持って感じているもの
それが奇しくも
新型コロナウイルス、だった
今まで全世界の人間が同じ事象に対して胸を痛めることがあったか
同じレベルの苦しみを味わったことはあったか
全人類で話せる話題はもしかすると、これ、なのかもしれない
この危機を乗り越えた私たちはきっと
なにかに対して同じ価値観を共有できる、
同じ苦しみ、悲しみを共有できる
新たな世界を作り上げられるんじゃないかな
というひとりごとの理想
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