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量子力学的祈りというもの
友人に勧めた「インターステラー」という映画。
今回アカデミー賞作品賞他7部門を受賞した「オッペンハイマー」も含め、時系列、時間の逆行等で観客の頭を膿ませることを得意とする鬼才、クリストファー・ノーランの作品の一つで、彼のファンの中でもこの「インターステラー」が1番好きな人も多いのではないかと思う壮大で感動的な愛の物語だと思う。
この監督は本当に鬼才で、このインターステラーにおいても現実に起こりうる事態を専門家と熟孝を重ねて未来という誰も分からない未知と、現在に存在する人間と織り交ぜて作品を作っている。
難し過ぎて何度も観たり解説を読んだりするのだけど、それでも私がもうお手上げで嫌いになることがないのは、辿り着く答えのヒントに、人間の感情や愛という身近なことがとても重要になっているからだと思う。
物理学の一つに、量子力学という分野がある。
私たちの体をはじめ、全ての物質は原子から成り立っていて、私達の暮らす世界とは異なる法則が働く粒子のことだそう。
普通に暮らしてるだけの私達には難しい話だ。
ただ、この量子力学はスピリチュアルにも捉えられることがあり、機械とかではなく、私達人間の感情から人生という環境を変えることが出来るという、何だか夢のある法則だ。
その中でも「量子力学的な祈り」というワードも出てくる。
単純に言うと「信じれば願いは叶う」と言った、使い古された言葉を物理的に説明したものなのだが、疑いながらもどこかで信じたい気持ちを後押ししてくれる素敵な証明だと思う。
私達はいつも「出来ない」事や「やりたくない事」はすぐに出てくるし決断も早いのに、
「やりたい事」や「こうなりたいと信じるもの」という、本当の願いはじっくり考えないと中々出て来ない人種だという。
いつからこうなったのか。
きっと、そこには人間の善と悪があって、
願いも、いつからか枝分かれして悪の方に引っ張られてしまう時が出て来てしまったからだと思う。
言われて嬉しい言葉もあれば嫌な言葉もあって、それは全部人間の感情。
そこを、一旦静寂にして、根底から祈ってみようという、これも瞑想にあたることなのかもしれない。
こう考えると、映画やアニメの物語もまた違った視点で感じることが出来て面白い。
量子力学という言葉で難しく考えずに、とにかく一旦自分の幸せを祈って考えることは、自分を大事にしてあげる習慣の一つだと思う。