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夫の「料理ができる夫、凄い」という承認欲求を満たしてあげたい

「俺今、唐揚げ作ってるから。写真を撮影して、Xにアップしてくれないか」

 先日、夫より「俺が料理をしている姿を撮影して、SNSにアップして欲しい」という依頼があった。最初は唐揚げを手早く捏ねている姿を撮影していたが、写真がブレるので作業を止める夫氏。彼は本気だ。自分の料理をする姿を撮影して、本当にSNSにあげて欲しいと思っているらしい。

こねている
ふわっふわです

 実はこの依頼、この一回だけではない。これまでに「アボガド丼(めんつゆとアボガド、ラー油を混ぜる。彼の考案ではなく、人気ユーチューバーリュウジさんによるもの)」や、ちくわの天ぷらなども夫の指示により撮影し、その都度SNSにアップ。

ちくわを串刺しにする
揚げる


サックサク

 アボガド丼の投稿は非常に人気があり、Xユーザーからたくさんの反応があった。反応が多かった理由も、その時初めて「簡単レシピ」を投稿したからじゃないかと。その後、ぼちぼち投稿を続けても初回のような反応は得られにくい。情報とは意外性が大事なのだと、この時知る。

夫の「料理を作ってる俺、凄い」という承認欲求を満たしてあげたい。

 唐揚げも、ちくわの天ぷらも作れるんですね。ちくわを天ぷらにするなんて、普通なら誰も考えないですよ。料理ができる旦那さん、素敵です。

 多くの人たちから喝采を受け、夫に自信をつけさせたい。夫が自信を持てば、これから先も料理してくれるはずだ。しめしめ。私はニヤリとほくそ笑む。

 夫は、SNSに料理をしている姿をあげれば「誰かに凄いと褒められる」と信じている。この発想は、とても羨ましい。私自身、生粋のツイ廃ではあるが、Xといえば日々論争や炎上が繰り返されているイメージしかない。

 自分の投稿に対し、誰が何で怒るのか。第六感を鍛えて、透視能力を高めないと難しい気がする。昔、第六感を鍛えるために「蝋燭の炎の残像が消えるまで、瞑想を続ける」という訳のわからない修行を続けていたが、それでも人の心を読むのは至難の技である。

 誰から何で怒られるかわからないので、投稿する際には「誰かが嫌な思いをしないか」をよく考えている。そんなに慎重であっても、人によっては嫌悪感を抱かれることもしばしば。

 嫉妬、誤解、ただの嫌がらせ。人の思いは単純ではない。その投稿が気に入らないというより、もはやその人そのものが何らかの理由で気に入らないから、噛みつかれるということもありそうだ。

 人に嫌われないように投稿するなんて、ただのストレスでしかない。なら、自分を好きになってくれる人を大事にすればいいんだけれども。一度噛みつかれると論争が始まり、収集がつかなくなるのも歴の長いツイ廃なのでよく理解している。


 Xは楽しい反面、怖さもある。けれど夫は純粋に、「自分が頑張る姿を見せれば、誰かが褒めてくれる」と信じている。

 そう思えるのは、私がXで出会った人たちの中で「仲良くしてくれる人」のことしか話してないからかと。あとは、夫もたまにしかXを触らないからではないだろうか。

 夫のように、人を疑わない部分は美しくもあり、時には怖さも感じる。世の中の人は、みんながいい人という訳ではない。それでも真っ直ぐに人を信じることと、誰かから褒めて欲しいと思えること。そして、頑張れば誰かが褒めてくれると信じて疑わない無垢さ。

今のネット社会で、本当に大事なことは論争ではなく、信じることではないかと。インターネットで論争を見るたびに、ふと思う。

【完】

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