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上司に「本当の友達じゃない」と叫ばれた日

「お前は本当の友達なんかじゃない!」

 オロオロする私を横目で見るなり、受話器越しの彼女にそう言い放ったのは、私より一回りも歳の離れた上司だった。普段は仏のような表情の上司が、般若の顔をしている。彼は本気でブチギレていた。

 相手は、私が1か月前に合コンで出会った女の子である。

「髪、綺麗ですね」

 初対面の彼女は、艶やかな髪の人だった。あまりに美しいキューティクルに、私は黙っていられなかった。

「でしょ?」

 そう言い放つ彼女は、背筋もピンと伸びていて、凛としている。大きな瞳に、整った鼻筋。彼女は口角をニイッと上げて、私に声をかけてきた。

「もしよかったら、連絡先教えて。私の周りに超イケメンがいて、合コンしたいって言ってるからさぁ」

 あの頃の私は、まだ20歳を過ぎたばかり。自分から誘うのが苦手なので、誰かからお誘いを受けたり、声をかけられるのは嬉しくて仕方なかった。

 おまけにあの時の私は、彼氏いない歴20年以上。月並みではあるが、今まで彼氏がいなかったにも関わらず「坂口憲二みたいに、かっこいい彼氏が欲しい」という大志を常日頃より抱いていた。

 イケメンも紹介してもらえるなら、悪い話ではないのかもしれない。若さゆえの単純だった。私は2つ返事で、彼女からの誘いを承諾してしまう。

 まさかこの縁が、地獄の扉になるとは。

 私の携帯は、彼女との出会いから休むことなくなり続ける。すべて彼女からのメールと、電話だ。内容は、今何しているのかとか。明日は何をしているのか。おはようとか、おやすみとか。

 彼氏なんてできたことないのに、まるで彼氏みたいだ。彼氏ができると、こんなに面倒くさいのだろうか。

 彼女から最初に誘われたのは、合コンだった。イケメンの友達といって紹介された人は、顔立ちが良いというより「人柄の良さそうな人」だった。

 彼はどうやら、新たな出会いを求めている訳でもなさそう。美人の彼女と話したいがゆえに、ノコノコその場に訪れた様子。もちろん、私の顔なんて1ミリも見ていない。終始彼の眼差しは、美人の彼女に向けられていた。

 彼女のことがそんなに好きなら、告白しちゃえばいいのに。けれど彼は視点が終始定まらない感じの、少し奥手そうな男性だった。

「あの子、イケメンでしょう?どう?」

「……いい人そうでしたよね。けれど、ずっとあなたのことばかり見てましたよ。気があるんじゃかいですか?」

「えー?そんなことないってぇ。私からすれば、彼はただの友達だしぃィィィィ」

 そう言って、彼女は高らかに笑う。その後も彼女からは、何度か飲み会、ランチ、フリーマーケットなどに誘われるようになった。

 最初は気さくで明るい美人と思っていたが、話の中で少しずつ違和感を覚え始めるようになる。

「みくさんは、夢はある?私はね、いつかプロのネイリストになるの。だから今、必死に勉強してる。自分のお店を開きたいから、お金も貯めてるんだ。

夢を叶えて、私はセレブになるの。いつかプロのネイリストとして活躍して。そしてファーストクラスの飛行機に乗って、ワインをくいっと飲むんだ」

 ワインを飲む仕草を見せる彼女を見るなり、私は目を丸くする。彼女の爪が、ボロボロだったのだ。

 ネイリストになりたいはずなのに、彼女は目を離すといつも一点を見つめて、爪をガリガリと噛んでいた。普段は陽気に見せている彼女だからこそ、深い闇を感じる。

 闇の正体が明確になったのは、彼女から「いい女になるための勉強会」という怪しげなセミナーに誘われた日のことだった。

 セミナーの名前を見るなりすでに胡散臭いと感じていたが、私も私ですでに彼女からの誘いを断ることができなかった。

 彼女と出会った日から、まるで口癖のように「みくさんは友達だから」と言われ続けてきた。洗脳ともいうべきだろうか。まだ出会って日が浅いのに、私は彼女を友達だと信じきっていたのだ。

 そのセミナーにつくなり、私の予感は的中した。真っ白なスーツ姿の女が、「みなさん、お待たせしましたぁ」と、生徒たちに声をかける。

「先生、かっこいいですぅ!!」

「先生ーー!素敵ィィィィ!」

 わざとらしく囃し立てる生徒たちは、ニヤニヤと笑う。後部座席に座っている彼女たちは、先生が登場するなり、終始大声で褒め讃える。先生、まだ何もしてないというのに。

 セミナーの最前列に座る女性たちは、真っ直ぐな視線を「先生」と呼ばれる女に向けている。先生が何か言葉を発するなり、彼女たちは必死にメモを取り続けていた。きっと、その先生のことを心の底から信じているのだろう。

「みなさん。いいですか?お金は大切です。なぜお金が大切なのか。今から、ホワイトボードに書きますね」

 先生はホワイトボードに、勢いよく「お金」「友情」「時間」と大きな文字を書く。女たちの「先生!かっこいい!最高!」という野次が飛び交う。大したこと何も書いてないのに、何をそんなに褒めているのだろうか。

 そんな私の思いも虚しく、最前列の彼女たちは血眼になってメモを取り続けていた。ノートにお金、友情、時間とでも書いているのだろうか。

「たとえば、東京に友達がいるとします。友達に会うために、新幹線に乗るとお金がかかりますよね。

愛知からなら、往復で2万円……。でも、友達が困っているなら、会って話を聞いてあげたいものです。

でもお金があれば、その2万円を惜しみなく差し出すことができます。そう、新幹線代に……!そして新幹線を使えば、時間を短縮して友達と会うことができるのです。

まさにお金は、友情と時間を得る素晴らしいアイテムなのです

 当たり前じゃないか。

 そう思った瞬間に、「先生!素敵ィィィィ!」という、女たちの大きな歓声が轟き始める。

 それからしばらくしたのち、私はファミレスで彼女を含む3人の女に囲まれた。話を聞けば、私たちが参加している商法に参加してほしいのだと。

 震える声で「無理です」と断ると、目の前にいた女が「そんなことじゃ、いつまで経っても幸せにはなれないわよ。この世はみんな、自分のことしか考えてないし。自分の幸せは、自分でなんとかしなきゃいけないのに」と、捨て台詞を吐かれた。

 はたして、本当にそうだろうか。みんな自分のことしか考えていなかったら、世界はこんなに発展していないのではないだろうか。

 誰かが人のために動いてきたからこそ、世界には便利なものが溢れているのではないか。けれど、そんなことを言おうものなら引っ叩かれそうな雰囲気だったので、大人しく黙ることにした。

「どうして、そんなこというの!」

 隣に座っていたのは、いつも私を合コンやイベントに誘ってくれた彼女だった。彼女だけは、私を懸命に庇ってくれた。

 今思えば、それも組織的な計画の一部だったのかもしれないけれど。この時ばかりは、まだ彼女を友達だと信じていた。いや、信じたかったのかもしれない。

 セミナーを終えてから、じわじわとした恐怖が私を襲う。私は一体、何に誘われていたのか。得体の知れないものに誘われる恐怖を受け、足元の震えが止まらない。

 それでも私は、あの頃ただのOLだった。恐怖を感じようがなんだろうが、会社に通勤しなければならない。

 セミナー翌日の通勤は、生きた心地がしない。その後も、彼女からのフォローメールが頻繁に届いたが、怖くて全部スルーした。

 その話を上司に相談すると「絶対にそれはおかしいから、もう2度とその女と関わってはいけない」と忠告を受けた。

「でも、あの子は私のことを『友達』って言ってくれるんです」

「本当の友達はね、『友達だから』なんていちいち恩着せがましく言わないから」

 いつも「仕事疲れちゃったなぁ」とケラケラ呑気な上司が、必殺仕事人のような険しい表情をしている。上司はその後、私にその女と会わないように何度もアドバイスをし始めた。

 それからしばらくしたのち、私の電話から着信音が鳴り響く。彼女から電話がかかってきたのだ。

 上司にそう伝えると、目を大きく開いて彼はこう叫んだ。

「仕事の時間に、自己都合で電話をかけてくるなんて、ありえない!普通ならメールで『今電話してもいいですか?』でしょう?そんな女の電話には、絶対に出るな!」

 優柔不断な私は、なぜか緑のボタンを押してしまう。彼女からの「友達だから」という言葉を、まだ心のどこかで信じていたのだ。その瞬間、上司は頭を抱え、困った表情を見せていた。

 ところが、私がオロオロと対応している様子を見て、彼も居た堪れなくなったのだろう。上司は私の携帯をサッと奪うなり「お前なんか、本当の友達なんかじゃない!」と、受話器越しに叫び始めたのである。

 上司はその後、すぐさま赤のボタンを押して、私に「もうこれで、大丈夫だからね」と言って、携帯をそっと渡す。上司の表情はたちまち緩み、いつもの仏に戻っていた。

 上司は穏やかな口調で、私にこう言い放った。

「あなたの都合も考えずに連絡をよこしてきて、困らせるような人は友達じゃない。結局、あなたを都合よく使いたいだけ」

「いや……でも。彼女は、私のこと『みくさんは友達だから』って、いつも言ってくれたんです」

「だから言ったでしょう。本当の友達は『友達だから』なんて、いちいち確認するように言わないから。言葉で確認し合わなくても、友達って信頼関係で成り立ってるものでしょう?」

「でも……。彼女は私がピンチの時も、庇おうとしてくれましたし……」

「でもさっき、その彼女があなたをピンチに巻き込んでいたでしょう?

本当の友達は、あなたを困らせるようなことをわざわざしないよ」

 そう言って、上司はケラケラと笑った。それから上司に言われた言葉を、私はあれから20年経った今でも忘れることはない。

「本当の友達は、困った時にそっと助けてくれる人だ。そういう人と出会えたら、その人を大切にしなさい」

 あれから幾多もの歳月が過ぎ、私は今45歳になった。昔から続いている友人もいれば、踊りのサークル、習い事、インターネットなどさまざまな場所で、いろんな出会いが訪れた。

 人との出会いに、永遠はないかもしれないけれど。自らの努力や意思で、大切と感じた縁を繋ぐことはできるはずだ。

 これまで、上司の言葉を信じて「困った時に、そっと助けてくれる人」を大事にしてきた。もちろん、すべての縁が上手くいった訳ではない。そんな縁であっても、些細なすれ違いがきっかけでぷつりと切れてしまうこともしばしば。

 縁は結ばれた時よりも、修復するのが難しい。今となっては、切れた時は無理して結ぶのではなく、また結べる日が来るまでそっと待ち続けている。縁の修復が難しいからこそ、大事な縁は大切に繋いでいきたいものだ。

 その一方で、自分も誰かにとっての「必要な人」になるには、人が困っている瞬間にそっと手を差し伸べていくことが大事だと感じている。

 多くの出会いを経た今もなお、彼女のことを時折思い出している。

 本当は彼女だって、必死だったのかもしれない。夢を叶えるために。売上を伸ばして、ネイルサロンを開業するために、きっと一生懸命だったのだ。

 だから、たまたまその場にいた私に声をかけたのではないだろうか。そして、私を「友達だから」と言ってくれたのも、きっと嘘なんかじゃない。

 私は彼女にとって、都合のいいカモだったのかもしれないけれど。それでも私は、まだ信じているのだ。だって彼女といた時間は、たくさん笑ったし。辛いこともあったけど、楽しくお酒を飲みあった時期もあったからさ。

 彼女は今頃、ファーストクラスに乗ってワインを嗜んでいるだろうか。あの子の夢も、叶っているといいなぁ。あれからいくつかの青い空を仰ぐたびに、ふと思う。

#心に残る上司の言葉

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