Miku

感情の移ろい、その中で考えたことを見つめる場所。 共感という形で誰かの心に寄り添えたら…

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感情の移ろい、その中で考えたことを見つめる場所。 共感という形で誰かの心に寄り添えたらいいな。 📍Tokyo

最近の記事

好きなものに溺れたい(たびたび更新予定)

ただ自分のテンションを上げるために好きなものを羅列していく場所。 秋冬の丸の内仲通り 天気の良い日のテラス席 いつか行きたいParisの街並み 暖色系統のイルミネーション 透明で青い海 もやが見えるほどの星空 ピンクとハートとラメ、月のモチーフ diptyqueの香り ベージュやピンクのバラに金平糖みたいなリトルウッズ 真冬の早朝に飲む熱いブラックコーヒー チョコレート(BIG LOVE♡) お皿みたいなサイズのクッキー スパイスの効いた温かい飲み物 いろんな色をしたマ

    • バーンアウトとリラックスの狭間で揺れている

      秋口頃からなんだかやる気がなくなり調子が出ない。けど今はそれでいいと思ってる。 色々と意味のないことばかりで壮大な暇つぶしをしている気がして、そして壮大ですらないように思う。でも重荷になるから壮大でないことは都合が良い。 暇だからこんなことを考えるんだ、ということならもっと暇になりたい。こうしてぐるぐる考える時間は愛おしい。自分の中で生み出すしかないものがあるはずだから。 何回でも休んで、自分の感情を知っていろんなことを考えて、そうしていたら文字に書き起こしたくなるまで

      • 焦ったいもの

        目を開けると見えなくなってしまうものがあまりに多すぎる。 辿り着こうと意識すると辿り着けないもので、もっと掴みたいと欲を出すと途端に見えなくなるからなんとも焦ったい。 私はまだそこに浸っていたいのに。 無意識を働かせたいから情報を遮断する。 それは無の時間とは違うようで何か自分の根っこを感じられるような、それこそ有意義な時間であると感覚的に分かる。 それと同時にこんなにも言葉が通用しない感覚があるのかと思う。 2024/11/11

        • 作品における「解説」が及ぼす機会損失について

          なんだか論文のようなタイトルになってしまった。何が言いたいかというとこの世に溢れる作品には解説があるけどそれにより自分で作品を味わう力を衰えさせてしまっているのでは、という自戒を込めています。 作品から思考を巡らせ、想像して、そして自分の中に感情を起こす。それこそ価値のある営みで人間の持つ特権だと思いたい。 これは想像だけど、作品を産み出した側でさえそのときの感情や考えによって解説のニュアンスは変化するのかもしれない。だから一つひとつ取り出して説くものではなくて、それはあ

        好きなものに溺れたい(たびたび更新予定)

          縛りはほどけてほころんで

          軽やかさを増している。こんなにも肩の力を抜いてしまっていいのかと不安になりそうなほど。 「世間一般では」「常識的に考えて」はもううんざり。お腹いっぱいだし飽きてしまったの。 私の内側はいつだって自由で私の思うまま。どこにいたって潜り込んでいける。 2024/11/09

          縛りはほどけてほころんで

          直感に従って「好き」に集中すること

          ここ最近は好きなものに囲まれたい欲が高まっている。昔からそういった性分だけどもう一段階ギアが入ったようでとにかく自分の周りを好きで固めたい。 服や持ち物などはもちろん、日用品や日々の食事、頭の中でさえも好きで埋め尽くす時間を増やしたくて好きなことへのアイデアをあれこれ考える。 そうすると次が見えてくる。具体的に文字に起こすとやってみたい仕事、1日をどんなタイムスケジュールで過ごしているのか、休日の過ごし方や人間関係、理想の生活を送っている自分はどんな自分なのかなど。 頭

          直感に従って「好き」に集中すること

          回復の兆しを感じて

          好きなものを好きと思える瞬間が生まれることが回復の兆候みたい。可愛いものを集めたい、あれが食べたいこれが欲しい。懐かしい、戻ってきたこの感覚。 苦しい気持ちが重たくて持ちきれない。また頑張る気力はないし、今を耐え忍ぶ体力も底をつきそう。そんな期間を経てまだ少し痛む病み上がりの心が、好きに触れる時間を重ねることでだんだんと癒えてくる。 否定も肯定も証明もできないことばかり。端から定義がなくて分かるものでもないって知っていたのに意地になって探し続けていたからしんどかったんだ。

          回復の兆しを感じて

          いつか読み返したとき、恥ずかしいと思うのでしょうか。

          一度書いた文章は何日か置いておく。 それで朝も昼も夜も読み直す。 熟成させすぎると気持ちが変わっちゃうからほどほどに。 いつか読み返しても恥ずかしくない文章であって欲しいけど、やっぱり恥ずかしいと思うんだろうな。 拭えない気恥ずかしさはあれどそれでも書きたい気持ちが勝つみたい。 2024/11/3

          いつか読み返したとき、恥ずかしいと思うのでしょうか。

          私の好きな人

          痛みを知らずして、分かったような気になって、人に光を投げつけることは決して純度の高い世界を創ることとは違う。 私は危うく誰かに対して浅はかに軽々しく光を投げつけるところだった。 痛みにじっと耐えた経験のある人はそんなことしない。 光だけ見せるなんて雑なことはしない。 陰を知っている。 どうにもならない、やるせないことを無視しない。 そんな人が好きで、私もそうありたい。 2024.11.02

          私の好きな人

          夏の憂鬱、待ち遠しかった金木犀の薫り

          息ができなくなりそうなほど熱気を帯びていた夏、いや酷暑。 ここ最近はもう随分と呼吸のしやすい季節になりそれだけで生きやすく感じる。日が短くなることも、少し肌寒い夜風も、生き物たちが眠りの準備を始めてだんだん静かになる世界もみんな私の好きなもの。 本格的な寒さを迎えていよいよ寒さに飽きてしまう前に秋を愛してみよう。 ろうそくに灯したあかりのゆらめきを観察して、枯れ葉の音を聞いて、じっと内に籠ると少しずつ心が治っていくようで。 ところで11月は秋なのでしょうか。 202

          夏の憂鬱、待ち遠しかった金木犀の薫り

          思わず考え過ぎてしまう秋

          私はあまり寂しくならない。 他の誰かが入ってこないからいつも自分に目が向いていて、何か変化を起こさなきゃという焦燥感でずっと喉が渇いているみたい。 私以外にもそう思っている人がいて欲しい。 誰の何のために頑張っているのか分からなくなって、乗せ過ぎた気持ちの行く当てがなくなっちゃって、自分が削れていくみたい。 頑張ってるよって自分を認めてみても、今の苦しさに立ち向かうにはあまりにも頼りない。 どんな導きの言葉もああいえばこう言うで跳ね返しちゃうから心に馴染まなくて救いがな

          思わず考え過ぎてしまう秋