作品における「解説」が及ぼす機会損失について
なんだか論文のようなタイトルになってしまった。何が言いたいかというとこの世に溢れる作品には解説があるけどそれにより自分で作品を味わう力を衰えさせてしまっているのでは、という自戒を込めています。
作品から思考を巡らせ、想像して、そして自分の中に感情を起こす。それこそ価値のある営みで人間の持つ特権だと思いたい。
これは想像だけど、作品を産み出した側でさえそのときの感情や考えによって解説のニュアンスは変化するのかもしれない。だから一つひとつ取り出して説くものではなくて、それはあまりにも野暮なことなんじゃないかと。
瞬間ときどきで揺らぐものだから何度でも味わえる。人がいろんな顔を持ち合わせているように1つの作品にもいろんな側面がある(はず)。
2024/11/10
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?