死にたいやばい死にたくない
最近、辛くなったり心が乱されるときは、さくっと自己ワークをしているのですがね。
毎度繰り返しオススメしているのですが、
私が基本的に行う自己ワークは、
紙に自分のモヤモヤしている気持ちをなるべく全て書きなぐることです。
特に寝る前にというのが、とってもお薦めなのですが、
これほんと『書くだけ』でかなりすっきりするので、今日は平穏だったわ、という一日でも、書くという行為は相当メンタルヘルスには良い働きをするのだと思いますからおすすめです!穏やかな一日の時は感謝を書くとよいですね。
ですが、
状況によっては、
自己ワークすら、
無理かも。
ああもう疲れすぎてエネルギーない。
とか、
精神的にもう限界、
という時は、
タイトルのような、
やばいやばいやばい、
という瞬間がやってきます。
多分この時は客観的にも見ることができていて、
やばい、この感覚は、
死にたいやつだ、という感じで、
慌てるわけです。
私が死にたくなる時
ちなみに私の場合は、
すごく大きく『がっかりした時』
に、死への誘惑がやってきます。
もう、パターンです。
小さながっかりはよいですが、
はい、あきらめよう、
はい、しょうがない、
はい、もう慣れた、
とやってるうちに
なぜか気づけばどど~~~~んと、
『ああ、しんど』
がやってきて。
もうこの世に生きてる意味ない、
死にたい、
早く終わらせたい、
という気持ちが盛り上がってしまったりします。
そのモードに行ってしまったときは、
別の助けが必要になるのです。
私がポケットに入れている御すがりアイテム
誰しも死にたくなる時はあると思うのですが、
人生は修行の場らしいので、
最近の私が取り組まなければいけないらしいテーマも重たく過激で恐ろしいものに感じています。(あ、ややオーバーだったかもですが)
私の場合は、
御すがりアイテムは、
祝詞と般若心経を唱えることだったのですが、
最近般若心経5巻でもかなり良いというのを聞きつけたので、
唱える前に、
『神様、私が死なないように、支えてください』
などと~
コトバでもがっつりおすがりして!ひたすら般若心経を繰り返し唱えると、
はっきり言って、
こんなことを言ってしまってよいのか、
分かりませんが。
『え? 自己ワーク、要る?』
くらいの心境に変わってしまうこと
しばしば。
カルマの時は神頼み!
多分、
ネガティブモードになっている時というのは、
シンプルに波動が落ちていて、
それは自分のネガティビティや価値観や考え方だけのせいではなく、
先祖や、前世から引き継いだカルマということもあって、
それを自分事として、ワークするのもあんまり有効ではないのです。(言い切り)
なぜなら、自分個人だけがそこで持ち続けている価値観やトラウマでもないからです。
なので、カルマだったりすると、過去のカルマまで思い出せるのならワークもできましょうが、
思い出せないと、まず自己ワークが進まない。
ということで、
神様にすがって祝詞などを唱えるのは、
特に波動を上げてくれる働きが相当あると感じるため、
そのネガモードにすら入らないようにしてくれて、
という働きがあるので、
『え?私なにで騒いでましたっけ?』
という状態になったりするのだと思います。
神道の祝詞も、般若心経も、十三仏真言も、お気に入りの古事記の神様の名前を唱えるということも、
なんだか、そのたびに、
新発見があって、よいです。
若い人はまだ身体的エネルギーがあると思うので
自己ワークしたり、人生のドラマチックを味わって人間関係でやりあうというのも経験という意味ではアリ、と思うのですが、
もう40過ぎるとですね、
そのへんも、省エネで行きたいんですわ。
ということで
人々が、年を重ねるにつれて、だんだん神社が好きになったり、お寺が好きなったり、自然を味わうことが好きになったりというのは、
当たり前なことかなぁと思います。
自然の中に、八百万の神を感じて生きて来た日本人なのですからね。
清浄な波動にひかれているというのもある感じがします。
この世にちゃんと生き続けてることに、祝福を♡
私にも、あなたにも。
苦しみを抱える私たちにも。