【中学受験編】毒親との思い出②

まず1番最初に母親の逆鱗に触れたのは、中学受験失敗事件である笑

幼少期は自然に囲まれた環境だったので、山で友達と秘密基地を作ったり、走り回ったりと活発な子だった。

しかし、小学5年生の時、母親に言われるがまま塾に入ることになった。
そこから部屋に閉じこもる生活が始まる。

母親の言い分としては、「高校受験は英語も加わって5科目になるけど、中学受験は4科目で済むからやっときなさい。」と。

しかし、1番私に期待されていたことは、母親の母校に入学することだった。
中高一貫の女子校である。

家族という小さい社会の中で、親の言うことが絶対的だと思った。
父親は、仕事のことで頭がいっぱいで、子育てに関しては放任主義。
子供のことは全て母親の管理下だった。

私はなんの疑問も持たずに、中学受験をすることにした。

毎日、小学校が終わると塾まで送り迎えしてくれた。21時に塾が終わり、また迎えに来てくれて、家に帰ると夜食を出してくれる。

ここまでの話では、教育熱心でいいお母さん!で終わると思う。


悲劇はここからである。


約2年の塾生活を経て、ついに中学受験当日。
母親の母校は、模試では判定Aだったので絶対受かると思っていた。

しかし、いざ試験が開始すると、
「あれ、全然解けない。
やばい、隣の席の人からめちゃくちゃ書いてる音がする。このままでは全部解き終わらない。
試験に落ちちゃう、、、!。」

そう。私は本番に弱かったのだ。
緊張して集中力がなく、周囲の子たちに圧倒されて焦ってしまった。

そして、私はやってしまった。
試験に不合格。


→【中学受験編】毒親との思い出③に続く



いいなと思ったら応援しよう!