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HSP×INFJのアラサー 毒親の呪縛で自己否定しがちだった日々。

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HSP×INFJのアラサー 毒親の呪縛で自己否定しがちだった日々。

最近の記事

【中学受験編】毒親との思い出④

今となっては、父も共犯である。 母が怒鳴り散らかしているのに対し、何も言わなかった。 父は仕事人間だった。 家から帰ってからも仕事。土日も家で仕事。 職場では評価されていたのかもしれないが、父としては評価するに値しない。 いつもイライラしてて、家族で食事中に話していたら、「うるさい。」と言われる。 そんな我が家の食事は沈黙の苦痛時間。 母に加えて、父も相手の目線で物事が考えられない人だった。 自分がいいと思ったものは、相手も喜んでくれると思っている人だった。 休日の

    • 【中学受験編】毒親との思い出③

      受験不合格の結果を見て、母から一言。 「結局それがあなたの実力。」 私が「絶対に受かる自信がある。」と言うので、母親も期待していたのだろう。 でも蓋を開けたら、このザマ。 許せなかったに違いない。 母の態度は結果を受け止める以上にこたえた。 慰めてとは言わない、せめて突き放さないでほしかった。 私はごめんなさいしか言えなかった。 結局、滑り止めで受けていた私立の中高一貫に通うことになった。 塾に入らず、記念受験した子が受かるような学校だった。 母は時々思い出したか

      • 【中学受験編】毒親との思い出②

        まず1番最初に母親の逆鱗に触れたのは、中学受験失敗事件である笑 幼少期は自然に囲まれた環境だったので、山で友達と秘密基地を作ったり、走り回ったりと活発な子だった。 しかし、小学5年生の時、母親に言われるがまま塾に入ることになった。 そこから部屋に閉じこもる生活が始まる。 母親の言い分としては、「高校受験は英語も加わって5科目になるけど、中学受験は4科目で済むからやっときなさい。」と。 しかし、1番私に期待されていたことは、母親の母校に入学することだった。 中高一貫の女

        • 【初投稿】毒親との思い出①

          初めまして、こんにちは。 毒親との思い出を浄化したいと思い、ここに記します。笑 母親は世間体を気にする人でした。 母親の母校や偏差値の高い学校に入り、母親の期待に応えることが私の役割でした。 しかし、そんな期待をよそに、私は受験に2度も失敗してしまう。 それからは地獄。 何日もわたり、朝から晩まで罵声を浴びせられた。「なぜ難しいことをお願いしてるわけではないのに、期待を裏切るのか。母親の言う通りにさえしていればいい」と。 受験の不合格の結果が変わるわけではないのに。