意見を伝える努力
ここ1ヶ月ほどの一連の出来事から学んだこと、それは意見を発信することの大切さでした。
心の中のモヤモヤを、そのままにしておくことでは得ることのできなかった大きな学びを、たくさんの出会いや会話から得た期間だったと感じます。
発信することではじめて、意見が交わされて、他の人にとって考えるきっかけになったり、私自身の考えを深めたり改めたりすることができます。
皆さんの反応と、本当は意見するのが怖い私
今回の件について、インスタグラムのDM経由でたくさんあたたかいメッセージをいただいていました。
どのメッセージも、大切にひとつひとつ拝読しました。今回の出来事に関するショックや、私の意見への共感のメッセージが多かった中、私の文章に宛てた言葉だとは信じられないような、褒め言葉もかけていただいて、思わず小躍りしたくなった。
こんなにも、自分の文章を褒めていただいたのははじめて。せっかくなので、(いつか私が落ち込んでしまった時のために!)ここで一部書き残します。
意見がきちんと言えるのはすごい
やさしい言葉
相手へのリスペクトを感じる
真摯な態度が伝わる
問題がわかりやすい的確な文章
問題を考えるいいきっかけになった
もっと考えや意見を書いてほしいと言ってくれた方も多かった。
私の言葉を好意的に受け止めて、こうしてメッセージまでくださる。そんな方が、私が想像していた以上に多かったことが、わたしにとってはとても心強く感じました。
というのも、あんなに威張りくさった意見の記事を書いてしまった私だけど、本当は意見を書くのが怖い。
私は間違っているかもしれない
強い意見を言うことは、誰かを傷つけてしまうかも
誰も私の意見なんて求めてない
誰かの迷惑になるかも
否定されたり、中傷されたりするかも
面倒なやつだって思われちゃうかも
...
あの文章を書き上げるのに、すごく悩んでいた。
知恵熱まででてきて、ここまで悩むくらいなら書くのを辞めてしまえ!って思ったりもしました。
それでも記事を公開したのは、自分なりに考えて悩んで、私が書ける限界のところまで頑張ったと感じたから。記事の公開を諦めて後で後悔するよりも、記事を公にしてしまった後でとことん反省する方を選ぼうと思ったから。
そこには、間違っているかもしれない自分を、私より詳しい誰かに正してほしい。そんな想いもありました。
意見するのが怖くなったきっかけ
私は書くことが大好きですが、伝えることには苦手意識があります。昔はそんなふうに思ったことが無かったのに、ある期間を境に、言葉はどうしてこんなに難しいのだろう、私はどうしてうまく操れないのだろうと、悩むようになりました。
それは、言葉の使い方に非常に厳しい上司と出会った頃のこと。
彼は、他愛無いおしゃべりが上手にできない私のことが、きっと嫌いだったと思います。愛のムチとかじゃなく、本気で面倒な奴を抱え込んでしまったと、私のことを厄介者扱いしていたように思うんです。
まだ意見をする身分じゃない
言い方が悪すぎる
コミュニケーション力が低い
新人らしい振る舞いができていない
せめてムードメーカーくらいにはなれ
人となりが悪いのは、育ちが悪いからだ
...
耳が痛くなるような言葉を、幾度となく言われました。
きっと、私も何か適切でない表現をしてしまったり、余計な発言をしてしまったことがあったのでしょう。でも、人格を否定するような指摘の仕方や、君の意見なんて大事じゃないんだと、あからさまに態度にだして言われてしまった。
私が本当に伝えたかったことは、きっと何も彼の耳には届いていなかった。
どうしたらもっと適切な表現で伝えられたのか
私の意見の中で、不適切なのはどの部分か
新人らしさとは何を求めているのか
建設的な指摘をいただけたのなら、私はきちんと反省して次に活かしたいと思う。
間違っていた部分は正して、学ばせてほしいと思う。
でも、私は最後までこの上司から、そんな言葉を引き出すことができませんでした。きっと彼にとって、私の言葉は聞くにも値しなかったのだと思います。
正直辛くて悔しかったけれど、この上司にそう思わせてしまった自分の振る舞いを反省しました。
これからの人生は、言葉を味方につけて、人を惹きつけられるような人に、もっとコミュニケーションを生み出せる人になりたいと、心から思った出来事でした。
「意見」について私が考えていること
100人が私の言葉を読んだら、きっと100通りの読み方や受け止め方がある。全員に、私の言葉が100%私が意図したとおりに伝わるとは思いません。
でもその中で、なるべく伝わるように、なるべく傷つく人がいないように。
自分に持てる限りの知恵を絞り、心を込めて伝えることが大事なのだと、私は思いたい。
今回、一連の記事に関しては、否定的な意見を受け取ることがほとんどなく、私の意見を支持してくださるものが大多数だった。伝わった実感をもてたことが、これからも意見を書くことを続けていきたい私にとって、ちょっぴり自信にもなりました。背中を押してもらっていると感じます。
でも、賛同する意見だけがうれしいのではなく、異なる意見を持つ人からの意見はとても貴重で、私にとって本当に大きな学びとなりました。
こうやって、意見を交わしていただけるからこそ、理解は深まります。言いにくいことだってあったはずです。でも、ご指摘いただけたことや、私とは違う考え方の意見を聞かせていただけたことは、ありがたいことだと感じます。
私自身も、他の方の文章を読んだり会話したりする中で出会う、意見の相違や疑問に対して、私は積極的に質問し、他の考え方をもっと理解できるようになりたいと考えています。これは論破したいのではなくて、私にはない考え方をもっと知りたいし、逆に私の考えをどう思うのか、意見を聞いてみたいから。
いろんな意見を知ることが、考えを深めることに繋がると思うからです。
また、意見は変わるものだとも思います。意見や議論は戦いではないので、他の方の意見で「なるほど!」「たしかに!」と思ったことをどんどん取り入れて、自分の意見を変化させていいものなのです。
他の方の考えをお聞きする中で、私の意見も最初の頃とは少しずつ変化しました。いろんな意見を参考に、自分の意見も変化させることで、より良い落としどころなり、納得感のある考え方ができるようになると思います。
意見を言うのに立派な肩書は必要ないし、誰もが自由に建設的な議論ができる世の中であったら良い。
私は意見を言うことを恐れない人でありたいし、他者の意見もきちんと受け止められる人でありたい。どんな意見も大切です。
いただいた意見には逃げるのではなく、私なりに真正面から向き合って、一緒に会話し、議論する機会としたい。インターネット上であっても出会えたのはご縁。お互いに理解し合うことができたらいいなと思っています。
たくさんいただいたメッセージの中で、特に心に残った言葉があります。
(私の記事を読んで)
自分も、意見を伝える努力をしたいと思った。
意見を伝えるって、本当に難しい。
主張や説明の言葉はどうしても尖ってしまいがちだし、偉そうに聞こえてしまう。
違う意見を持った方には、攻撃しているようにも聞こえてしまうかもしれません。
心にすっと響くようにやさしく語るには、どうしたらいいんだろう。
この方が言ってくださったように、まさに伝えることは努力が必要。そして努力したからって、伝えたかったとおりに伝わるわけではないかもしれない。
それでも、お互いの努力のかけらを称え合って、お互いの意見を尊重しつつ、建設的に指摘し意見を交わし合うことで、理解を深めていけたらいいと思う。